大阪薫英女学院、不動のエース島袋椛(3年)は1年時からコートに立ち、桜花学園や京都精華学園の前に屈する悔しさを味わい続けてきた。同じ175cmのシューター松本莉緒奈(3年)と攻守で鍵を握る。順当に勝ち上がれば、準決勝では今年2勝している京都精華学園と激突する。スローガンは「時代を変える」。全員バスケでそれを実現させる準備は整った。
島袋「学年が上がるにつれて責任が出てきました」
――松本莉緒奈選手、自己紹介をお願いします。
松本 大阪府四條畷市出身です。誕生日は2月24日でA型です。アイドルのオーディションにバスケ部みんなでハマっていて、ダンスをみんなで踊ったりしています。
島袋 莉緒奈のコートネームはカイです。175cmと身長があるけど、3ポイントがよく入って、インサイドでも面を取ってくれます。学年の中で一番持久力があるんで、よく走ります。相手の3番選手をブロックしたり、センターがファウルトラブルになったら、下のポジションを守れたりします。3番ポジションにいてくれてチームが去年よりサイズアップしました。優しくて、いつもニコニコして、みんなを和ませていろんな人としゃべれます。ただ、笑い声はうるさいかな。木本ツインズと一緒におったら化学反応みたいな感じで、双子の声が高いんで賑やかになります。
――松本選手は寮を出られたそうですね。
松本 最初は自宅通学でした。1年時、安藤香織先生に「寮に入ってみるか」と言ってもらって、Aチームに入れてもらっていたので、入寮しました。調子が良い時は試合にも出ていたんですが、落ちていった時に、先生が変化をくださいました。寮を出てちゃんとできるように自宅通学をしています。寮にはみんながいて、自分の性格上、人について行ってしまうところがありました。先生にも「いけないところだよ」と言ってもらって、治すために退寮して、一人で行動する部分では成長できました。
――3年間を振り返ってください。
島袋 1年から試合に出させてもらって、1年時はとにかく思いっきりやって、すべての大会が楽しかったです。自分のせいで負けても、先輩が補ってくれたんですけど、学年が上がるにつれて責任が出てきました。今年は自分のせいで負けた試合を経験して、先生にも「お前に責任がある」と教えてもらいました。試合に対する思いが変わり、一つひとつのプレーの大切さが分かってきたと思います。
――松本選手はどのように島袋選手を見ていましたか。
松本 私は入学当初Bチームでした。頑張って這い上がりたかったけど、島袋は最初から上手いし、身体も自分よりあって、すぐ試合に出てすごいし、羨ましかったです。島袋を超えていかないと試合に出られないのは分かっていたので、超えられるように頑張ってきました。
――大会までの改善点は。
島袋 最後まで自分がディフェンスの穴になり、試合の最後は自分のところでやられると、先生は思っています。だから細かく指導してくださっています。オフェンスの部分ではインターハイぐらいまで、平均的には得点できたんですけど、インターハイで全部のプレーを出したので、対応されることが増えました。対応された上で、周りを生かすのか、自分で攻めるのかを突き詰めていかないといけないし、シュートを打てたとしても、決め切らないと苦しい場面でしんどくなると思います。何をするべきかを常に考えておかないといけないと思います。
松本 インターハイまでは全然得点できなかったのですが、トップリーグ序盤で3ポイントシュートを決められるようになりました。終盤の桜花学園さんや岐阜女子さんとの試合では3ポイントを警戒され、もっとドライブに行かなきゃいけないのにできない部分がありました。警戒された時にドライブからのジャンプシュートなど、得点の幅を広げたいです。
――今年のコミュニケーション能力が高い理由はなんでしょう。
島袋 しゃべるはしゃべるんですけど、最初は意見を言うだけでした。先生からどんな声のかけ方がいいのかを教わりました。言葉の内容に対する着眼点が全然違っていました。しゃべるという自分たちのカラーに先生の指導が入って、思いを伝え合っています。相手がちょっとへこむこともあるんですけど、そこは他のメンバーが支えながらやっていけていると思います。
「3年間マッチアップしている選手に負けたくない」
――チームや個人のライバルは。
島袋 負けたくないチームは京都精華学園さんと桜花学園さん、岐阜女子さんです。一番はトップリーグで「ここで勝てたんじゃないか」という試合ができた桜花学園さんで、京都精華さんには勝ったけど、全然良い勝ち方じゃなかったです。
3年間マッチアップしている選手がいろんなチームにいて、自分がマッチアップした人には絶対に負けたくないです。京都精華の八木悠香さん(3年)と桜花の深津唯生さん(2年)、留学生に対して守るのは限界があると思うんで、点を取り返すというところは意識しています。1対1じゃ勝てなくても、全員で守りたいです。
松本 個人はないんですけど、桜花さんには勝ったことがないし、トップリーグでも良くないところが出て、勝てるゲームを落としてしまったので改善して勝ちたいです。
――島袋選手は、お父様がプロバスケットボール選手でした。どんなことを教わりましたか。
島袋 中学では父が顧問で、細かいことまで教わりました。一番大事なのは声です。自分の周りに声をかけながら、自分を奮い立たせられるので、「良い時も悪い時も声って大事やな」って、小さい時から言われています。プレーは能力があるから限界があるかもしれないですけど、声は無限に出せますから。
――松本選手は3年間で感謝したい方はいますか。
薫英に来て、厳しいご指導をいただいて、安藤先生にはバスケの部分だけじゃなく、私の人間性や性格の弱いところを指摘してもらえました。そこを理解できたから、少しは変われたかなと思いますし、すごく感謝しています。
「保護者の方にも注目してもらって、一体感の素晴らしさを見てほしい」
――過去のウインターカップの思い出を教えてください。
島袋 良かった思い出は毎年25日のクリスマスになったら、保護者から、クリスマスケーキを1人1個もらえることです。みんなでホテルの食堂で食べます。写真も撮りました。今年もあってほしいと願います。
苦い思い出は負けた試合です。1年時は準決勝の京都精華戦で6点差まで追い上げたのですが、自分から狙いに行けなくて、80-86で負けてしまいました。去年の準々決勝岐阜女子戦はずっと1点差、2点差の厳しい試合になって、自分が最後にシュートを打って外したし、その前のプレーでもゴール下を外したり、いらないファウルをしてバスケット・カウントを決められたり。自分のせいでチームを66-69で負けさせてしまいました。
松本 1年時も2年時もユニホームはもらって、ベンチに入らせてもらいました。プレータイムはなかったので、ベンチで声を出そうとは考えていました。2年生のインターハイでも戦力になれなかったので、「戦力になるぞ」という思いで取り組みました。前回大会は点差が開いた試合には出させてもらっていたんですけど、大事なところで出られなくて悔しかったです。ラスト1年は死ぬ気でやって出るだけじゃなく、チームを勝たせる選手になりたいと思っています。3ポイントを警戒された時の、ドライブとジャンプシュートを磨いて、大会では決められるようにします。
――島袋選手はエースの自覚はありますか。
島袋 3年間出させてもらった責任はあります。でも責任を取るというより、教わってきたことを見せたいです。自分のプレーで勝たせてきたことがあることも自信にして、目の前の一つひとつのプレーに集中します。悪い流れをいかに断ち切るかを意識して戦いたいです。
――全国の皆さんにメッセージを。
島袋 ベンチメンバーが「今、ここ狙えるよ」、「相手ファウル何回だよ」と発信してくれて、ベンチも応援席も一緒に戦う全員バスケです。1人でも欠けたらダメだし、人数が多い分、その数だけパワーにしないといけません。保護者の方にも注目してもらって、一体感の素晴らしさを見てほしいです。
松本 今年から始めた行事で、神社に行って必勝祈願をしてきました。インターハイの時は、保護者さんと私たちだけでしたが今回は初めて先生も同行してくださいました。その前に全員で折った千羽鶴を渡してもらったんですけど、それに立ち会うのも先生は初めてで、日本一になってほしいという気持ちを持ってくれているのではないかと思います。モットーは「時代を変える」なんですけど、前例にないことをしてくださる保護者さんにも感謝して、最後は悔し涙ではなくうれし涙を流せるように全員でやり切ります。