『ファンタジスタ』の異名で知られる並里成は、琉球ゴールデンキングスで4シーズンに渡りプレーし、このまま生まれ故郷のクラブでキャリアを全うすると思われていた。だが、ファイナルに進出した昨シーズンはBリーグ優勝に懸ける思いが不完全燃焼のまま終わり、契約も満了となった。そんな並里の新天地となったのは、群馬クレインサンダーズだ。33歳とキャリアの円熟期を迎えた並里は、バスケ選手として、そして一人の父親として、群馬での新たな挑戦に心を躍らせている。
「まとめる力、流れを読む力はあるつもりなので」
──右第5趾基節骨骨折というケガのリリースがありましたが、今のコンディションはいかがですか?
ドクターストップでチーム練習にはまだ入れていないのですが、順調に回復していて、もう動けそうです。今は外からチームを見ているんですけど、特に焦りとか不安はなく、そういう角度からチームを見ることもなしじゃないと思っています。
──そうやって見ている新しいチームの印象はどんなものですか?
昨シーズンは「すごく個性的で、攻撃力があるチーム」という印象でしたが、実際に見てみるとみんな堅実で、チームのルールに則ってプレーしようとする意識が強いですね。
──その中で並里選手は、自分の役割として主役を演じるのか、少しずつ慣れていくつもりなのか……。
それはもう分かってるじゃないですか(笑)。僕としてはメインでやるつもりです。まとめる力、流れを読む力はあるつもりなので、そういうところでチームの力になれると思っています。また個性的な選手が多い分、その力がそれぞれ違う方向に行きそうな時にまとめる度胸もあると思っています。やっぱり日本人選手と外国籍選手の言葉の壁もあるので、自分がその間に入って上手くやりたいですね。
──高校生の頃からずっと並里選手のプレーを見ていますが、昔は「俺がやる!」だったスタイルが、今では「俺がまとめる」に変化しています。その意識の変化はどの時期からですか。
高校の時は「自分について来い」的な部分が結構ありましたね。リンク栃木(現在の宇都宮ブレックス)の頃も、まだそんなところがあったかもしれないです。自分の中で変わってきたのはbjリーグ時代に沖縄に戻った時ぐらいですね。気持ちで引っ張ったりプレーで引っ張ったりするバランスを自分なりに学ぶようになって、その頃はまだまだバスケットを理解しているわけではありませんでしたが、リーダーシップの面白さが分かるようになりました。
当時は自分の中でも探りながらだったし、ベテランの選手もいたのでその声を聞きながら上手くやろうとしていました。今ではバスケの理解も深まって、ある程度のことはできる自信があります。そう思えるようになったのはここ数年ですね。結果はどうあれ、見えない精神的な部分でチームを支えたいと思っています。
「バスケット人生の中で、間違いなく一番悔しい出来事」
──4シーズンを過ごした琉球ゴールデンキングスを離れました。地元のチームへの思いは?
やっぱり生まれ育った場所で優勝したい気持ちが強かったですね。家族だけではなく沖縄のみんなが僕のことを息子のように、弟のように見てくれていたので。いろんなところで助けてもらって今の自分がある気がしていて、ある程度の経験を積んだことで自分の力で優勝に貢献できると思って4年前に琉球に行きました。
そのプロセスを踏んでやってきて、昨シーズンはやっとチャンピオンシップのセミファイナルの壁を超えることができたんですけど、僕自身はコロナでファイナルに出場できませんでした。肺気胸という病気で身体が弱ったところでコロナに感染してしまって。本当に数少ない貴重なチャンスなのに、チームの力になれませんでした。
──テレビで見るしかなかった琉球のファイナルを、どんな気持ちで見ていましたか?
正直、「僕が足りない」と感じましたね。みんなの力を最大限に引き出すのが自分の仕事であり、僕の分を穴埋めできなくてファイナルではチームが悪い方向に行ってしまった。画面越しに見てましたけど、やっぱり悔しかったです。今までのバスケット人生の中で、間違いなく一番悔しい出来事でした。
あのファイナルが、これまでの自分の努力ややってきたことが正しいと証明されるチャンスだと思っていました。それがこんな形でチームの力になれないなんて思ってもいなかったし、本当に悔しかったです。
「今まで抱えていたモヤモヤがなくなってスッキリしました」
──群馬には息子さんを連れての移籍となりました。この経緯はどんなものですか?
シングルファーザーでバスケ選手をやってきて、今までは親に頼るしかなかったんですけど、このタイミングで沖縄を離れることが決まった時に、息子が「一緒に行きたい」と言ってくれたんです。今年で8歳なんですけど、お父さんの後ろ姿を見て育ちたいのかなと感じました。息子がそう言ってくれた以上、僕としては一緒に行くことをすぐに決めました。
正直、今は結構忙しいんですけど(笑)、やり甲斐はあります。今まで親に頼ってきましたが、本当に仕事だけやってていいのかと思う部分はやはりありました。大変ですけど、バスケも子育ても100%で両立してやっていくのは、僕にとっても結果的に良いんだろうなと思っています。
チームは契約の際に、僕が息子を見られない時はサポートすると言ってくれて、それはありがたかったです。今は小学校へ迎えに行くのは僕だったり、クラブの人が代わりに行ってくれたり。休みの日は一緒に体育館に行くという生活をしています。
──群馬で息子さんと一緒に生活して、忙しいこと以外に変化はありますか?
バスケ選手である前に一人の親として、今まで抱えていたモヤモヤがなくなってスッキリしました。おかげで今まで以上に仕事にも打ち込めます。僕も大変ですけど息子も大変だと思うんですけど、そういう気持ちを受け取りながら、毎日「もっと頑張ろう」と思っています。息子との絆はより深くなったように感じますね。
──父親としての理想像はどんなものですか?
いつでも頼れる存在でありたいです。不安であったり不満であったりは何かしらあると思いますが、「お父さんに言えば解決してくれる」と頼ってほしい。お互いにかけがえのない存在になれたらと思っています。