グレッグ・オデン

「若いビッグマンがプレーの幅を広げるための手助けをしている」

2007年のドラフトでトレイルブレイザーズから全体1位指名を受けたグレッグ・オデンは、度重なる負傷の連続で満足の行くNBAキャリアを送れないまま引退を余儀なくされた。ケビン・デュラント(2007年の1巡目2位指名選手)より評価が高かったにもかかわらず、全休となった1年目から7シーズンで稼働できたのは3年のみ、NBAで105試合にしか出場できず、『史上最悪の1位指名選手』の汚名を着ることとなった。

現在はバトラー大でコーチを務める彼は『SPORTS DNA』の取材に応じ、「ケガがなければ良い選手になっていたと思う」と語っている。

「NBAに来る何年も前から膝の問題を抱えていた。大きな手術を5回やったが、結局は完治しなかった。良いプレーができると感じた時期もあったけど、そのたびにケガで台無しになった。NBAで活躍したかったけど、その夢はあきらめざるを得なかった」

彼は今、自分ができなかった成功を若い選手たちに味わってもらうために働いている。「僕がプレーを続けていたらバスケの変化に合わせて、動き回ってロングレンジのシュートを放ったり、自分のプレーの幅を広げなきゃいけなかっただろうね。ボールハンドリングを強化して、3ポイントシュートも練習する。自分ではそれができなかったけど、今はチームのビッグマンにそんなプレーを教えている。彼らがプレーの幅を広げるための手助けをしているんだ」

「僕のキャリアの最盛期はNCAAでプレーしていた頃だろうね」とオデンは言う。オデンがスター選手として活躍していた当時のオハイオ州立大を率いたマット・サッタが、バトラー大のヘッドコーチ就任に際してアシスタントに招いてくれた。そのおかげで、『史上最悪の1位指名選手』は彼にとって過去のこととなった。

「僕は大人になって、考え方も以前とは変わった。若い頃は何も考えていなかったけど、今は大人として振る舞っている。コーチであり、父親であることを楽しんでいるんだ」

オデンのキャリアは栄光よりも挫折の方が多く、人生のどん底も経験した。それでも彼は道を踏み外すことなく、また新たなアプローチでバスケットボールにかかわろうとしている。現役時代は不運続きだった彼が今度は良いツキに恵まれ、成功を収めることを願いたい。