「自力で五輪の出場を決められた。歴史を作った一員になれて誇りに思います」
FIBAワールドカップ2023、男子日本代表がカーボベルデ代表と対戦した。日本はアップテンポな展開から高確率で3ポイントシュートを沈める持ち味のスモールバスケットボール爆発で、第3クォーター終了時には18点の大量リードを奪う。このまま危なげなく勝利を収めると思われたが、第4クォーターにまさかの失速。シュートがことごとく外れ0-13のランを食らってしまった。残り1分で日本のリードはわずかに3点と全く分からない中、ここで日本を救ったのがジョシュ・ホーキンソンだった。
残り49秒、比江島慎のパスを受け、ゴール下でシュートをねじこんでバスケット・カウントを決めると、フリースローもしっかり成功させた。そして残り20秒にはオープンのコーナースリーを沈めて、死闘に終止符を打った。最終的にホーキンソンは40分のフル出場で3ポイントシュート8本中4本成功を含む29得点7リバウンド4アシスト4ブロックを記録。攻守に渡っての大暴れで、パリ五輪への切符をつかむ立役者となった。
試合後、ホーキンソンは第一声で「はぁ……」と大きな安堵のため息をついた後、こう激闘を振り返った。「これまで勝った2試合と全く違う展開でした。前の2試合はともに前半、良いプレーができずにいました。それが今日はコーチが求めるエナジーを前半から出すことができました。最後は良い終わり方だったけど、後半はペダルから足を踏み外すように、空回りしてしまいました。ただ、勝ちは勝ちです。パリ五輪へのチケットをつかみました。初めてワールドカップで大会3勝を挙げ、48年ぶりに自力での五輪出場を決められた。歴史を作った一員になれて誇りに思います」
この試合だけでなく、ホーキンソンは大会を通して獅子奮迅の活躍を見せた。初戦のドイツ戦こそファウルトラブルで25分の出場に留まったが、残りの4試合はすべて36分以上のプレータイムとフル稼働。5試合平均で35.0分出場、21.0得点、10.8リバウンド、2.0アシスト、1.4ブロックを記録した。ホーキンソンがNBA選手や欧州トップリーグで活躍するビッグマンたちと互角以上に渡り合い、サイズ不足が危惧されていた日本のゴール下を守り抜いたからこそ、今回の快挙へと繋がった。
「すべての試合で異なる選手がステップアップする姿を見られたのは楽しかったです」
ホーキンソンは大会前からこのような活躍を自分ができると手応えを得ていた。それは自分のこれまでのキャリアへの絶対的な自信でもある。「大学ではNCAAでも屈指の高いレベルであるPac-12カンファレンスでプレーしてきました。そして(大学卒業後)Bリーグに来て、ずっと優れた選手たちとマッチアップしてきました。Bリーグは発展を続けていて、NBAに次ぐレベルを持つリーグの1つだと思います。だから、自分については揺るぎない自信を持っていました」
また、フル稼働となったものの、「信州ブレイブウォリアーズで1試合37分、38分とプレーしていました。キャリアを通しても多くの時間プレーしてきたので、僕にとって新しいことではないです」と言い、コンディション面で不安はなかったという。
そしてホーキンソンは、自分の活躍に関心はなく、チームのことしか考えていなかったと強調する。「チームのためにベストを尽くし、勝利のことだけを考えてプレーしていました。そして、チームとして高いレベルの相手と対戦することを心待ちにしていました。すべての試合で異なる選手がステップアップする姿を見ることができて、楽しかったです」
今回の日本代表の活躍は大きな反響を呼び、バスケットボールのさらなる人気拡大、知名度向上など、さまざまな効果をもたらす。その中でもホーキンソンは、次の部分を重要視する。「この試合をテレビで見た5歳、6歳くらいの子どもたちなど、次の世代の子どもたちに新たな可能性を見せることができました。こうして高いスタンダードのプレーを続けることで、子どもたちにバスケットボールがどれだけ素晴らしい競技なのか示すことができます。そしてバスケットボール界の発展に繋がる一部に自分がなれるのは光栄なことです」
今、Bリーグには実績と経験を備えた複数の帰化選手がいる。だが、ホーキンソン以上にトム・ホーバスヘッドコーチのスモールバスケットボールとの相性が良く、この過酷な起用法に応えられる耐久力を持った選手はいなかった。ホーキンソンは言う。「多くの優秀な帰化選手がいる中、トムが僕を選んでくれてハッピーでした」
彼はホーバスヘッドコーチへの感謝を語ったが、今回の快挙はホーキンソンがいなければ成し遂げられなかっただろう。帰化を含めた彼の選択、そして日本バスケ界への深い愛と献身にあらためて感謝したい。