佐藤公威

5月25日、佐藤公威は所属する新潟アルビレックスBBを通じて、現役引退を表明。新潟県長岡市出身の佐藤は、地元クラブの新潟で2005年にプロキャリアをスタートさせ、その後、大分ヒートデビルズや島根スサノオマジックでもプレーし、2020-21シーズンに復帰した新潟で17シーズンに及んだ現役生活に幕を閉じる決断を下した。そんな佐藤に引退発表をした現在の心境やこれまでのプロ生活、そして今後について語ってもらった。

「未来の子供たちのために」という気持ちをすごく大事にやっていました

――現役生活、お疲れ様でした。今の率直な気持ちを教えてください。

スッキリしているところはあります。みんなからは「まだやれるだろう」という言葉をもらいますけど、やれないから引退したわけです。身体的にはまだいけると思いますが、60試合を戦う上でメンタルを保つことがきっとできない、戦っていけないメンタルという感じです。

基本的に不安との戦いは毎年続いていましたが、心と身体のバランスが一致しなくなった。身体の調子が良くても心が燃えなかったり、逆に心が燃えすぎて身体が空回ったりしていたので、1シーズンを通して心と身体が合致した試合が少なくなってきました。そういう試合が多くなってくると、落胆する声も大きく聞こえたので、引き際だなという感じでした。

――どんな気持ちでプロになったのか。そしてプロになった当時はどんな気持ちでプレーしていましたか?

「プロ選手になれればいいな」という漠然とした夢は、バスケを始めた小学5年生くらいの時からありました。そして学年が上がった時に、新潟アルビレックスができることと、トップチームに上がれるように下部組織を作るというニュースを知ったんです。その下部組織はA2と呼ばれていて、まずはそこに入ろうと思った記憶がありますね。当時ヘッドコーチだった廣瀬(昌也)さんからお誘いをいただいて、その時はA2に入ると思っていたんですけど、いきなりトップチームに加入することになったのでびっくりしました。

当時はbjリーグでやっていて、すごく過度期にいるなと感じましたね。自分たちは若かったけど、「今後のバスケのためにやっているな」という感覚は当時からありました。当時はリーグが2分割されていたので、なんでそういう状況なんだろうと漠然とは思っていました。ただ、やっていくうちにいつかは一つになるだろうと思っていて。何よりも当時から「未来の子供たちのために」という気持ちをすごく大事にやっていました。今はBリーグになって、子供たちの夢は大きくなってきているのかなと思います。

とはいえ、bjリーグ時代は本当に給料も少なくて、自分たちの目先のことで精一杯でした。とにかくスタッツを上げて給料をもらうとか、スタッツを出して良いチームに拾ってもらうとか。本当にハングリーな生き方をしていたなと思いますね。

佐藤公威

「今思うとバスケットは天職じゃなかったと思うんです」

――そんなbjリーグ時代を経て、2015年にBリーグが誕生しました。その時の心境を教えてください。

やっと一つになったという感覚でした。それに楽しみの方が多かったです。リーグが一つに統合することで、今までは別のリーグでプレーしていた選手と一緒に試合ができると思うとすごく楽しみでした。

――Bリーグ初年度は、新潟でプレーしていましたね。どんな思いでシーズンを迎えていましたか?

Bリーグ1年目の時は、五十嵐(圭)さんやダバンテ(ガードナー)もいて、メンバー的にはなかなか破壊力があって「これがトップチームなのか」と練習の時から感じていましたし、すごく楽しかったです。負けてはいましたが、今シーズンみたいな大負けもなかったですし、接戦で勝つ時もありました。

――翌シーズンは島根スサノオマジックに移籍し、3シーズンを過ごしました。

当時の島根の社長さんから、ずっとオファーをいただいていたんですけど、その都度「新潟でやります」とお断りをさせていただいていて。ただ、Bリーグ2年目の時、自分は32か33歳だったんですけど、それでも必要としてくれるチームがあることに僕はすごく熱いものを感じて島根にいきました。ベテランになって家族で新しいところに行くのは、不安がありました。それでも、チーム、そして地域や県民の皆さんが温かく迎え入れてくれたので、生活にもすぐに慣れて、いろいろなことを勉強させてもらった3年間でした。

――その後、2020-21シーズンに復帰した新潟で、現役引退を迎えました。新潟での最後の2シーズンを振り返るとどうでしょうか?

やっぱり新潟には特別な気持ちがありました。貢献したいとか、恩返しをしたいという気持ちは今も持っています。何か起きてもプレーに専念したいけど、外野からの話が耳に残り、そうすると何かしら精神的にも来てしまう時があって。何かアクションの方向性を間違えたらいろいろな問題が発生してしまうことがありました。今思うとバスケットは天職じゃなかったと思うんです。だから、バスケット選手をやっていながら、いろいろな経験をしたし、悩んだ時もあったけど、この経験は次に生かせという使命だと思うので、何かしらの形で生かしていける自信もあります。

佐藤公威

「何を大事にするのかを僕は追求していきたい」

――今後はどのように過ごしていきますか?

自分の試合や練習で子供たちの試合を見られなかったので、子供のことを見たり、ケガを気にせずに子供たちと遊びたいですね。

仕事は新潟を拠点に個人で活動していきます。クリニックをやったり、機会があれば今までの経験についての講演会活動をしたり。新たな指導者にもなりたいと思っているので、試行錯誤しながらやっていこうかなと思っています。

それと、自分が今までやってきたことが生かせることをやりたいです。純粋に人を応援したり、バスケットを頑張っている人を見たりしたいです。組織が固まれば固まるほど、いろんな見方や意見があると思います。だけど、もともとはみんな楽しくてバスケを始めたんだよね、っていう根本にもう一回戻って、何を大事にするのかを僕は追求していきたいです。未来ある子供たちに自分が思ってきたことや感じてきたことを教えて、純粋な気持ちでこれからバスケットを楽しんでいきたいです。今も楽しくないわけじゃないですけど、純粋にバスケットというスポーツは素晴らしいもので、バスケを通していろいろなことが学べるので楽しくやっていきたいです。

新潟でのアルビレックスの知名度はすごいんですよ。プライベートで新潟市から遠いところに行った時に、コンビニに入ったら「わー! アルビの選手だ!」となったんですけど、こういうところに足を運ばないと夢を与えられないなと思いました。なので、求められればクリニック活動でも行きますし、バスケット選手にもいろんな選手がいて、みんな「こういう考えで頑張っているんだよ」って伝えたいです。

選手があるのは、本当に県のおかげなので、そこはもっと感謝していかないといけません。僕はこれからどういった形で恩返しをするのかは分からないですけど、新潟アルビレックスBBにもっともっと人が入ってくれるような何かができればなと、感謝をしっかり恩返ししていきたいです。

――新潟ブースターの方々は、とても熱くてチームの味方という感じですよね。

そうですね。ただ、逆もありますよ。僕もよく新潟ブースターの方と言い合いしていました。でも、それも叱咤激励ですよね。自分たちのケツを叩いてくれているので、そうやって表現してもらえるのはありがたいことです。それにある意味、そのレベルに達するって本当に認知されている証拠なので、それぐらい愛がある地域クラブだと感じます。

――最後にファンの皆さんにメッセージをお願いします。

行くとこ行くとこでたくさんの方が応援してくださって、支えてくださったので本当に感謝を表さないといけないんですが、なかなか言葉にすることができませんでした。自分一人じゃ、ここまでやって来られなかったのは事実なので、これからは自分が受けた恩を何かしらの形で返してきたいと思います。引き続き、バスケットが盛り上がるように、皆さんと同じ立場になってどんどん盛り上げていきますので、一緒にBリーグを盛り上げていきましょう。