マヌ・ジノビリが引退を決断するまでの経緯を告白「簡単な決断ではなかった」

2018/09/16
NBA&海外
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マヌ・ジノビリ

写真=Getty Images

「ちょっとだけ開けていたドアをすぐに閉めたよ」

8月下旬にプロ生活23年に終止符を打ったマヌ・ジノビリが、引退発表後はじめてメディアの取材に応じ、決断までの背景などを語った。

スパーズの練習施設で地元メディアの取材に応じたジノビリは、すっきりとした表情で質問に答えた。「色々なことを考えてしまうし、こういう風に囲まれた環境で引退を表明したくはなかった。引退を自分の中で決めていたし、妻とも話して、何をすべきかは分かっていたけれど、最後のエンターボタンを押す時には指が震えていたからね」

彼には、引退表明後に気持ちの整理をつける時間が必要だった。その心境を、独特な言い回しで、こう表現している。「23シーズンもプレーしたのだから、簡単な決断にはならなかった。棺に最後の釘を打ちつけるのは辛かった。感情的というより、感傷的だった。メディアの皆さんの前に立って、質問に答えるには、数週間の時間が必要だったんだ」

オフに家族との旅行を経てサンアントニオに戻ったジノビリは、僅かながら現役続行の可能性も残していたという。だが、練習場で運動していた際に、若い選手のトレーニングを見て、もうできないことを自覚したことを明かした。

「チームの練習場で、軽めのウェイト、有酸素運動をしていたら、ブリン(フォーブス)やデジャンテ(マレー)がシーズンに向けた練習をしていた。その時の自分は、彼らの状態には程遠くてね。その時に『もう終わりだ』と悟った。現役を続ける可能性がほんの少しあったけれど、ちょっとだけ開けていたドアをすぐに閉めたよ。年間82試合、僕の場合は65試合かもしれないけれど、それだけの試合数をこなせる姿が想像できなかった」

引退を決断したジノビリは、その旨を恩師であるグレッグ・ポポビッチに最初に報告した。1年前と同様に、ポポビッチはジノビリを説得しようと試みたものの、本人の意思が固いことを理解し、決断を尊重したという。

NBA優勝4回、アルゼンチン代表としてオリンピックでの金メダル獲得、ユーロリーグ優勝、ユーロリーグ・ファイナルMVPなど輝かしい成績を収めてきたジノビリは、NBAキャリアで最も印象に残る瞬間を聞かれると、2014年にレブロン・ジェームズ、ドウェイン・ウェイド、クリス・ボッシュの『スリーキングス』を擁したヒートに勝って優勝した時を挙げた。その理由は、前年のファイナルで先に王手をかけながらも逆転負けを喫したことにあった。

「2013年のファイナルでの責任を痛感していたんだ。それを除いても、チームの優勝に貢献できたことが大きかった。あの瞬間は、僕のキャリアにとって重要だった。楽しいプレーができて、自分のことより周りを優先する素晴らしいチームで成し遂げられたことだからね。それに、当時はもう年をとっていた。初めてNBAで優勝した時は、何が何だか分からなかったけれど、当時は37歳で、優勝まであと一歩のところまで行ったのに負けてしまった経験があったから、とてもうれしかった」

気になる今後についてだが、家族を連れて12月に母国アルゼンチンを旅行する以外は特に決まっていないとのことで、これからも頻繁にスパーズの練習場には顔を出すという。しばらくはサンアントニオの自宅で時間を過ごし、助言を求められれば臨時コーチのような役割を担うのだろう。

もう選手としてコートに立つことはないが、彼のバスケットボールに対する姿勢を間近で見てきた選手たちには、『スパーズイズム』が継承されているはず。ジノビリの引退後の第二の人生、そしてデマー・デローザンが中心の新生スパーズに注目したい。