パウ・ガソル

「非常に難しい決断だけど、よく考えた上で決めた」

41歳のパウ・ガソルが正式に引退を発表した。NBAで18シーズンを過ごし、2度の優勝と6度のオールスターを始め、数々の栄光を勝ち取ってきた。またスペイン代表では20年間に渡り活躍し、2006年のワールドカップ優勝など多くの実績を残した。ただ、その彼もケガで近年は満足にプレーできなくなっており、2018-19シーズンはNBAで30試合の出場に留まり、その後NBAのコートに立つことはなかった。今年になって古巣のバルセロナに復帰し、東京オリンピック出場を果たしたが、これが彼の最後の挑戦となった。

7フッター(213㎝)のビッグマンでありながら高さと身体能力に任せたプレーはせず、技術と精神力で試合に勝とうとした。そしてスター選手になった後も学ぶことに飽きず、常に成長し続けた。これがレイカーズでコービー・ブライアントと強固な信頼関係を築くに至った理由だ。

「非常に難しい決断だけど、よく考えた上で決めた。松葉杖をつくことなく現役を引退できること、バルセロナでタイトルを獲得し、5度目のオリンピックに出場して引退できるのは素晴らしいと思っている」と、バルセロナで行った会見でガソルは言う。

「弟のマルクと、祖父の家の裏庭でプレーしたのがバスケのスタートだった」と、パウは会見に同席したマルクに言葉を掛けた。「弟の君と同じスポーツをやって、バスケでも兄貴分であろうとしたことが、僕にとっては常に大きなモチベーションだった」

そしてパウはこう続ける。「常にすべての力をバスケに注ぎ、できる限りのことをやろうとした選手。そうやって皆に記憶されたらありがたい。41歳までプレーできたのだから、悪くないキャリアだと思うよ」

ケガからの復帰を目指していた2019年の時点で、ガソルは「まだまだモチベーションがある。世界最高レベルの選手たちと競い合い、勝ちたい。この気持ちがある限りはあきらめない。ただ、復帰時期は決めない。少しずつだけど良い方向に向かっていることを確認しながら、ポジティブに焦らずやっていきたい」とリハビリについて語っていたが、この時点で引退後のプランも立てていた。

「自分がコーチになると考えると不思議な気分だけど、若い選手に僕の知識や経験を伝えるのは楽しいだろうね。もともとチームメートにアドバイスするのは好きだから。本当にやるかどうかは引退してから考えるけど、コーチ業は選択肢の一つだ」

2001年のドラフト1巡目3位でNBAにやって来て、グリズリーズでプレーしたデビューシーズンに新人王は獲得したが、最初からスター選手だったわけではない。当時はまだスキルとプレーの多彩さ、バスケIQで勝負するセンターは主流ではなく、グリズリーズでの7年間でプレーオフ進出は3度だけ。そのすべてがファーストラウンド敗退だった。彼が名を上げたのは2007年にレイカーズに移籍してコービーと組むようになってから。険しい道を進んでNBAのトップスターになった経緯がファンの心をとらえて離さないし、その経験はセカンドキャリアにも生きるだろう。素晴らしい指導者に転身したパウがバスケ界で活躍し続けることを願いたい。