「B」の主役たち~竹田謙(横浜ビー・コルセアーズ) 現役復帰の37歳、『枠を取っ払う』という挑戦

2016/09/29
Bリーグ&国内
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文=松原貴実 写真=B.LEAGUE

女子リーグのコーチを辞め、Bリーグの戦いに『現役復帰』

Bリーグ開幕を前に『竹田謙、現役復帰』というニュースを耳にした時は正直、驚いた。37歳である。しかも2年のブランクを経ての復帰だ。一度は降りたコートの上に再び竹田を呼び戻したものは何だったのか、その心の変化を聞いてみたいと思った。

2001年青山学院大学卒業後、東京海上に入社し日本リーグでプレー、翌02年プロバスケットボール選手になる決意を固めて新潟アルビレックスBBへ移籍。05年には新チームとして設立された福岡レッドファルコンズへの移籍を決めるが諸事情でチームは解散、半年後パナソニックへ移籍し2年半プレーする。08年リンク栃木ブレックスの創部に伴い移籍、在籍期間は最も長い6年となった。

ざっと列記したここまでが引退表明以前の竹田の経歴だ。社員選手からプロ選手に転身し、5つのチームを渡り歩いたことから『ジャーニーマン』の異名を取ったが、身に着けるユニフォームは違っても持ち前のスピードを生かしたアグレッシブなプレーに変わりはなかった。

内外に安定した力を発揮するユーティリティープレーヤーとして2009年に日本代表入り。同じく2009年~2010年シーズンにはリンク栃木ブレックスのリーグ初優勝にも貢献した。それだけに現役引退を惜しむ声は大きかったが、本人に迷いはなく、アンバサダー&アシスタントゼネラルマネージャーとして1年を過ごした後に栃木を離れ、Wリーグのデンソーアイリスのアシスタントコーチに就任した。

「現役を引退した時、自分の中ではやり切った感があったんです。逆に言えば、それがあったから引退の決心ができたわけです。でも、去年デンソーで女子の選手たちとかかわったことで、次第に何かが変わっていきました。どの選手もいろんな犠牲を払って、本当に真摯にバスケットに取り組んでいる。夏のアジア選手権で代表チームがリオオリンピックの出場権を勝ち取った姿を見た時も、何と言うか、心が揺れる想いでした。本当に自分は選手としてやり切ったのだろうかという疑問が徐々に徐々に膨らんでいったんです」

アジアで優勝した女子に対し、男子の現況は厳しい。男子には何が足りないのだろう。ステップアップしていくには何が必要なのだろう。女子の現場に身を置いたからこそ見えてきたものが確かにあった。

「日本の男子バスケットがこれからステップアップしていく可能性は十分あると思っています。ただ女子に比べると、男子は新しいことにチャレンジしない風習がある。風習と言うのは変ですが、新しいものを受け付けない、新しいものに抵抗してしまうみたいなところが男子にはあると感じたんです。例えば突拍子もないことを言うコーチがやって来て、自分たちがそれまで教わってきたことと全然違うことをやれと言ったとします。すると、みんなそれをやる前から抵抗しちゃうんですね。最初から拒否反応を示す。やってみなきゃ分からないのにその一歩を踏み出さない。それが日本の男子が勝てない原因の一つになっているように感じました」

『なんでもあり』にならないと男子バスケは強くならない

それでは竹田自身はどうなのか。新しいことに抵抗を感じることはないのか、と質問すると、「感じないタイプでしょうね。むしろ新しいことにすごく好奇心があります」と、よどみのない答えが返って来た。

「ジャーニーマンと言われましたが、意図してジャーニーマンになったわけではなく、新しい環境とかチームに対する好奇心が自分を動かしていたような気がします。女子の世界に行ったのもやっぱり好奇心ですね。面白そうだな、もっと知りたいなと思ったら割とすぐ行動に移す。今回だって、『37歳で2年もブランクがあって現役に復帰するなんてバカじゃない?』と思った人、きっとたくさんいるはずです。だけど、そういうバカみたいなことがいっぱい起きてこないと男子バスケットは活性化しない。『なんでもありでしょ』という状況にならないと日本の男子バスケは強くならないと思うんですよ」

もちろん、自分一人が復帰したからといって、何かが大きく変わるとは思っていない。

「そりゃそうです。そんな単純なものではありません。けど、少なくとも自分は人がバカじゃない? と思うようなことにもトライしたいと思いました。限界までやってみようと決めたんです。男子バスケに感じている『枠』を取っ払うためには、まず自分がその枠からはみ出してみたかった。まず自分がやらなければ、人にあれこれ言うことはできないじゃないですか」

そうは言うものの年齢とブランクに不安がないわけではない。

「不安はあります。めちゃくちゃありますよ。現役復帰を決心したものの、心のどこかに『できっかな、俺?』という気持ちがありました(笑)。ただ身体はだいぶ戻ってきています。試合に出てしばらくは普通にプレーできるようになりました。これからはプレー時間が伸びて身体がきつくなった時、それをどうコントロールしていくかが課題になります。無理な場面も出てくると思うので、そのあたりはコーチとコミュニケーションを取りながら、今の自分ができる100%のパフォーマンスを見せたいと考えています」

横浜ビー・コルセアーズの青木勇人ヘッドコーチはかつて新潟アルビレックスBBでプレーしていた時のチームメートでもある。

「それもあって思っていることは何でも話せます。うちには蒲谷正之、高島一貴、山田謙治、川村卓也といった経験値の高い選手が揃っていて、それぞれ知識も豊富ですから、ロッカールームでもいろんな意見が出る。それはすごくいいことですね。負けても下を向いて終わっちゃうようなことがないんです。それぞれが『当事者』だという意識を持っているのがこのチームの強み。その強みをもっと有効にして結果に結びつけていくことが今の自分の役割だと感じています」

『ジャーニーマン』の最後の舞台は、生まれ育った神奈川

あと1年遅かったら現役復帰はなかっただろうと思う。今だからできた、今だから決心できた。そして、恐らくここが選手としての最後の場所だ。

「いろいろなチームに所属して、それぞれ楽しかったですが、最後に生まれ育った神奈川のチームに帰ってきたのも何かの縁かもしれません。親が近くにいたり、ばあちゃんの顔が見られたりするので、やっぱりどこか安心感がありますね。それもまた自分を後押ししてくれているのかもしれません」

サンロッカーズ渋谷と対戦した開幕2連戦はいずれも4クォーターで競り負けた。竹田のスタッツは第1戦が16分34秒、6得点。第2戦が14分11秒、2得点。

「チームとしても個人としてもまだまだこれからです。今回の敗戦は準備していたものがうまくいかなかったというのではなく、チームルールとしてシーズンを通してやっていかなければならない根本的なことができていない場面が多かった。まず必要なのはその改善ですが、落ち込むことは何もないです。プラスに考えれば、これから上向きになる余地がいっぱいあるということですから」

リーグは始まったばかり。長丁場を戦う術は知っている。だが、竹田にとって今シーズンはこれまでと違う特別な舞台になりそうだ。誰もが認める37歳のベテラン選手は「成長していきたい気持ちは新人並みです」と、笑った。