仙台89ERSの『顔』として地域に向き合う志村雄彦が迎える10年目の3.11「復興の歩みを忘れないで」

仙台89ERSの『顔』として地域に向き合う志村雄彦が迎える10年目の3.11「復興の歩みを忘れないで」

2021/03/11 07:30
志村雄彦

3月11日は東日本大地震の発生から10年となる。仙台は震災によって大きな打撃を受けた地域の一つで、仙台89ERSも残りシーズンの活動休止を余儀なくされた。3月11日当日、チームは例年通り、震災の被害が特に大きかった仙台市若林区荒浜地区で黙祷を捧げる。そして今年はナイナーズカラーの黄色の花が咲く金木犀の植樹を行う。10年は一つの節目であるかもしれないが、同時に通過点にすぎない。震災でチーム存続の危機に陥ったものの、多くの人々の支援を受けて復活した仙台89ERS。現役時代は中心選手として活躍し、引退とともにフロントに転じて現在は代表取締役社長を務める志村雄彦に、この激動の10年間を振り返ってもらうとともに、これからの10年に向けた思いを聞いた。

「地域のためにこのクラブを強くしていく気持ちです」

──10年という節目を迎えて、率直な気持ちや思いをお聞かせください。

10年は一つの節目でもありますが、これで復興への取り組みが終わることはありません。何かを達成したわけではないですし、震災発生当初に話した「忘れないで」のメッセージを伝えていく思いはずっと変わらないです。

10年という数字だけを見るとすごく長く感じますが、日々が充実していますし、いろいろことが起きている意味ではあっという間です。震災が起こった当時は、1年後のチームがどうなっているのか、10年後にまたバスケットをやれるのか想像できませんでした。今は新型コロナウィルスの感染対策で制約はありますが、興業として試合を開催できていることに特別な思いはあります。

──震災によりチームは活動休止に追い込まれ、それに伴う特例措置として選手たちは他のチームにレンタル移籍し、そこではみんな背番号89をつけてプレーしました。志村さんも当時は、琉球ゴールデンキングスで89番を背負いました。あの時にプレーを続けたことを振り返ると、どんな意味があると思いますか。

すべてが繋がっていると思っています。あの時の決断があって今の自分がある。89番を背負って、ナイナーズ(仙台89ERS)のために戦おうという決意でバスケを続けました。役割や立場が変わる中でもその思いは変わらず、地域のためにこのクラブを強くしていく気持ちです。

──当時は経営危機でチーム存続も危ぶまれる状況でしたが、そこから10年間の歩みをどう感じていますか?

震災後の5年と、Bリーグ誕生以後の5年では置かれている状況は違いますが、震災当時のナイナーズは、bjリーグ創設時から参加して徐々に地域との連携を取りながら成長しトップを狙えるチームになってきている段階だったのが、一気に存続の危機に陥りました。BリーグではB1からスタートしたものの、1年でB2降格。その後、2018-19シーズンには経営母体が変わり、今はコロナという新しい壁に立ち向かっているところです。その中でも、地域の皆さんとの繋がりをひとつ一つ確実に積み重ねている実感はあります。

志村雄彦

「ナイナーズの一員として震災を経験して、今の自分がある」

──仙台89ERSだからこそできる復興活動とは何か、この10年間で見えてきたことはありますか?

これは続けていくことしかないと思います。地元のチームとして例えば子供たちにボールを寄贈したり、各地でバスケットボールクリニックや試合をする。そういう地道な活動を「1年で何回やりました」ではなく長きに渡って続けていくこと。それは地元の皆さんとの交流もそうですし、続けていかなければいけないです。

──今シーズンは、仙台だけでなく県内いろいろな場所でホームゲームを開催しています。その意義をどう考えていますか。

スポーツチームの根底として、コミュニティに影響力を発揮し、発展に寄与していくことに大きな意味があります。仙台だけでなく、今年は特にいろいろな場所で試合をすることで新たな発見があったり、繋がりができているのは僕たちにとって非常に重要です。この10年、地域貢献や復興活動にかなり注力してきました。もちろん球団経営として収益を上げることは大切ですが、その中であらためて地域との活動への重要性を感じています。

──新しい発見というは具体的にどういうことですか?

まだ、僕たちがリーチできていなかったお客さんがいらっしゃる。それは会場に来てくだされる方だけでなく、スポーツチームへの支援を考えている企業の方たちもです。いろいろな話をする中で、試合を見てもらうとどんな効果があるのが非常にイメージしてもらいやすくなる。そこでナイナーズの理念に共感して、試合への協賛となるケースもあります。大きなアリーナだけでなく、地方の小さい街でコンパクトな興行をすることで盛り上がっていけるのも大きな可能性だと感じます。

──志村さん個人でいうと、仙台で生まれ育ち仙台高校で日本一となり、仙台89ERSの中心選手として長くプレーを続けました。それが引退して今は経営者となったことで、何か変化は生まれましたか。

仙台のため、宮城のため、と思う気持ち自体に変わりはありません。現役時代を知っている人たちは「雄彦らしくやってほしい」と言ってくれますが、立場が変わることで動かせるものも変わってきます。経営者になると、自分が何をすればいいのではなく、いかに多くの方たちを振り向かせるのか。僕が何かをするだけでなく、一緒に活動してくれるより多くの仲間を巻き込んでいくことがすごく必要となってきます。そこへの難しさはあります。

──経営者としての手応えをつかめてきている実感はありますか。

今は模索しているところです。がむしゃらにやっている中でいろいろな課題はあり、手応えはあまりありません。ただ、特にやらないといけないのは地域の皆さんとの繋がりをより深めていくことです。そして語弊はあるかもしれないですが、ナイナーズの一員として震災を経験して、今の自分がある。チームへの思いをしっかりと出していきたいです。

志村雄彦

「街の姿は戻らないが、地域への思いや文化は残っています」

──その経験を経て、チームに伝えたいこと、継承していきたいことはどんなところですか。

『感謝の心』です。震災の後、沖縄でプレーして僕は助けられました。すごく温かい言葉で迎え入れてくれて、僕との繋がりが今もある方はたくさんいらっしゃいます。たくさんの人の思いやりによって、ナイナーズは復活することができました。球団職員を含めチーム全体として、皆さんの応援に対して、感謝をしっかりと伝えていく。人を思いやる部分は、この仙台、宮城県のすごく良いところなので、そういうところを大切にしていきたいです。

──10年が経っても復興は継続中です。仙台89ERSとしてこの先、10年20年と地域に寄り添っていく上で何を重視していきますか。

今は住居などの施設、インフラはだいぶ整いました。街の姿が震災以前のものに戻ることはありませんが、住民の方たちの地域への思いや文化は残っています。それをしっかりと繋いでいく活動を僕たちはバスケを通してやっていきます。その気持ちから今回、『NINERS HOOP』というプロジェクトを立ち上げるに至り、様々な地域貢献や復興支援を行っています。その中にはリーグと一緒に防災への意識を高める活動などもあります。

──B1昇格に向けて佳境となるシーズン終盤戦への意気込みをお願いします。

非常に厳しい状況ではありますが、ずっと連勝中だった群馬さんにも勝てる力を持っていることは証明しています。今回のレギュレーションで言えば、プレーオフで勝つことが一番大事です。レギュラーシーズンの残り試合で接戦を最後に勝ち決める力を高めて、プレーオフに向かいたいです。

──最後に仙台ファン、全国のバスケファンにメッセージをお願いします。

3.11を迎えるにあたって、あの時に起きたこと、そしてここまでの復興の歩みを忘れないでいてほしいと思います。まだまだ以前の生活を取り戻せずに苦しんでいる方もいらっしゃいます。そして、震災を経験していない世代に防災の意識を伝えていくことも大事です。震災から復興に向かってきた動きを伝えていくのは僕らの役割だと思います。

RECOMMEND