「求められることを忠実にやれるポイントガードが一流」
横浜ビー・コルセアーズの河村勇輝は本日行われる川崎ブレイブサンダース戦を最後に、特別指定選手としての活動を終了して東海大へと戻っていく。
河村は横浜で15試合に出場し、平均21.9分のプレータイムで6.3得点、3.6アシスト、1.5スティールを記録した。大学1年生ということを考えれば素晴らしい数字だが、三遠ネオフェニックスでのファーストインパクトを超えられなかった印象だ。プレータイムはほぼ同じでも得点は約半分になり、3ポイントシュート成功率は21.7%と苦戦した。河村も「苦しくて、悔しいシーズンでした」と振り返った。
「三遠の時はスタートでも出してくれましたし、中心選手としてやらせてもらいました。高校生としてがむしゃらに戦い、自分自身も気楽にやれていました。昨シーズンに結果を残したからこそ、今シーズンはマッチアップする選手からタフにディフェンスされるようになりましたし、対策もすごいされました。ある意味、プロの壁を感じるシーズンでした」
川崎戦で初の先発を任されたが、それはケガ人が続出する中での『苦肉の策』であり、今シーズンの河村はベンチから流れを変える役割を担った。その役割の違いはスタッツが伸び悩む原因となったが、河村に後悔はない。「三遠の時と違ってポイントガードの役割が明確でした。監督はアウトサイド陣でインサイドを生かすようなプレースタイルを望んでいて、そこにフォーカスしながらやることがチームの勝利に繋がると思っていました。求められることを忠実にやれるポイントガードが一流だと思うので、コーチの期待に応えたいと思ってやっていました」
ヘッドコーチのカイル・ミリングからは、特別指定選手であることは関係なく、一人のプロ選手として指導を受けたという。「特別指定だよな? って思うくらい、誰よりも怒られました。怒られるほど期待されると思っているので感謝しています」
オフェンスでは思うような結果を残せなかった一方で、福岡第一時代から突出していたディフェンス力に関してはあらためて手応えを得たという。「ディフェンスに関しては昨シーズンに比べたら良くなっていると思っています。高校の時は足で守れていたけど、最後に押し込まれて決められることもありました。コンタクトしたり選択肢が増えて、自分の強みはアグレッシブなディフェンスだと感じました」
「勝利に貢献できたかどうかを考えると、思うところはあります」
河村はチームの勝利に貢献することを一番の目標に掲げていた。それは自分のスタッツは残せても、2勝9敗と勝てなかった1年目の記憶があるからだろう。今シーズンは6勝9敗と勝率はアップした。しかし、自身のパフォーマンスが勝利に直結しているわけではなく、素直に喜ぶ心境ではない。「自分が何をすればチームの勝利に貢献できるのかを模索しながらやってきました。勝利に貢献できたかどうかを考えると、思うところはあります」
福岡第一で日本一を経験し、東海大でもインカレ優勝を達成するなど、河村は『勝つこと』に慣れてきた。2月10日の富山グラウジーズ戦で41点差の大敗を喫した時には「自分自身、バスケ人生であれほどみじめな試合になったことはほとんどありません。自分は反骨心のかたまりなので絶対にやり返したい」と語るなど、勝利に対する思いは人一倍強い。
河村は「チームを勝たせるポイントガードになる」ために東海大への進学を決めた。今日の試合が終われば、大学での挑戦が再スタートする。東海大で同じガードの先輩となる大倉颯太は、特別指定選手としてプレーした千葉ジェッツで全治12カ月の重傷を負った。河村は「大倉選手のケガもあり、自分のやらなきゃいけないことが増えたので、責任や覚悟を持って大学に戻りたい」と、強い決意を口にした。
今後、河村がどのような成長曲線を描いていくかは分からない。だが、「大学で明確な課題を克服して、対策された上をいくような選手になって3年目のBリーグに戻ってきたい」と語る以上、期待をして『その時』を待っていたい。