ステフィン・カリーが『カリーブランド』を通じて人々に伝えたいこと「苦しい時期の取り組みが、自分の未来を作る」

ステフィン・カリーが『カリーブランド』を通じて人々に伝えたいこと「苦しい時期の取り組みが、自分の未来を作る」

2021/01/23 09:00
ステフィン・カリー

「絶え間ない情熱と強い意志を持って努力し続けること」

ステフィン・カリーはNBAキャリア12年目のシーズンを戦っている。3度のNBA優勝、2度のMVP、オールスターには2014年からケガのあった2020年を除き6回連続で選出されるなど、NBAのトッププレーヤーとしての評価を確立した。

しかし、彼はいわゆるエリートではない。父のデル・カリーはNBA選手であり、優れたバスケットボールのDNAを持って生まれたものの、193cmで細身の身体はNBAのレベルでプレーするアスリートとしては特段恵まれていたわけではなく、プロバスケットボール選手としての彼の成功は、彼自身がたゆまぬ努力を積み重ねた末につかみ取ったものだ。

「子供の頃、チームで一番背が低かった。有名な大学からの奨学金のオファーも得られなかった。体格で試合を支配することはできない。しかし僕にもできることはある。バスケットボールIQ、ハンドリング、クイックシュート。身体が小さかったおかげで多くを学んだ。何かを成し遂げるために、誰かの真似をする必要はない。生い立ちや才能の有無にかかわらず、絶え間ない情熱と強い意志を持って努力し続けること。必要なことはそれだけだ」

カリーにとっての逆境は「背が低かった」ことだろう。アスリート能力を競う面の大きいバスケットボールにおいて、レベルやカテゴリーが上がれば上がるほど、それは大きな課題として立ちふさがる。カリーは大学に進学する際に身長が183cmしかなく、NCAA1部の強豪校からは奨学金のオファーを得られなかった。彼が進んだデイビッドソン大は中堅校でしかない。

大学2年の時に迎えた2008年のNCAAトーナメントで、カリーはそのシュート力を武器にセンセーショナルな活躍を見せる。チームを4回戦まで導き、NCAAオールアメリカンセカンドチームに選ばれた。このパフォーマンスが注目されたからこそ、彼は翌年のNBAドラフトでウォリアーズから1巡目7位指名を受けることになる。

ステフィン・カリー

「絶対にこのシュートは外れない、と感じる瞬間が訪れる」

ルーキーイヤーの2009-10シーズンからウォリアーズの主力に定着したカリーは、そのシュート力に年々磨きを掛けていく。6年目の2014-15シーズンにはNBA優勝を成し遂げ、MVPにも選出された。40%を超えれば一流と見なされる3ポイントシュート成功率は44.3%で、シーズンを通じて286本の3ポイントシュートを決めた。2012-13シーズンの272本がリーグ最多の3ポイントシュート成功数だったが、カリーは自らこれを乗り越えたのだった。

カリーは言う。「最大の武器は3ポイントシュート。これまでのNBAでは、3ポイントは最も重要な存在ではなかった。試合を支配し、より多くの得点を効率的に取るなら、3ポイントを数多くリングに沈めることだ。大切なのはたくさん練習して、毎回同じフォームでシュートを打つこと。リズムとタイミング、そのすべてが完璧に決まった時、どこでシュートを打つかは関係ない。『絶対にこのシュートは外れない』と感じる瞬間が訪れる」

優勝とMVPを手にした時点で、カリーは名実ともにNBAのトップ選手となった。だが、成長のスピードはさらに加速していく。翌2015-16シーズンに彼が決めた3ポイントシュートは402本。歴代トップの数字を4割増しで塗り替えた。この頃から速いペースで相手を振り回し、得点効率の高い3ポイントシュートで攻め勝つウォリアーズの『スモールバスケット』に他チームが追随するようになる。しかし、ウォリアーズほどの遂行力を備えるのは簡単ではなかったし、何より他のチームにはカリーがいなかった。

カリーはその後も進化を続け、最大の武器である3ポイントシュートは精度の高さはもちろん、シュートレンジの広さ、味方と連携してフリーになる動きの質など、すべての面でトップクラスへと成長している。ただ、カリーはこう語る。

「僕のNBAでのキャリアは華々しく見えるかもしれない。しかし、度重なる足首と膝のけがで辛い時期もあった。大抵のスポーツにおいて、人がすべてをコントロールすることはできない。アクシデントは起こる。大切なことは困難に向き合い、乗り越えるためにポジティブでいること。プレーできなくても、チームのために貢献すること。ケガはバスケットボール選手として成長するチャンス。苦しい時期の取り組みが、自分の未来を作る」

「才能はどこにでもあるが、機会はどこにでもあるわけではない」

カリーがプロバスケットボール選手として成功できた最大の要因は、逆境に屈することなく、それを前に進む力に変えられたからだ。アンダーアーマーとのパートナーシップで『カリーブランド』を新たに立ち上げた際に、彼は「アンダーアーマーと10年以上にわたり行ってきたコミュニティ活動を通じて、才能はどこにでもあるが、機会はどこにでもあるわけではないということを学びました。私たちが一緒に取り組んできたのは、この2つのギャップを埋めて、より平等な場を作ることです」とコメントしている。

カリーはこれまでも子供たちへの教育やチャリティに大きな関心を見せ、子供たちにバスケを教えたり、病気と戦う子供を励ましたりと様々な活動に取り組んできた。昨年末に立ち上げた『カリーブランド』は、そのカリーの行動を形にするためのものだ。

「ハードワーク、逆境を乗り越える力、チームワークやコミュニケーション。スポーツは若いアスリートに多くの重要なライフスキルを教えてくれます。だからこそカリーブランドを通じて、誰もがこれらの機会にアクセスできるよう情熱を注いでいきます」

カリーは背が低いという逆境に置かれながら、成功を勝ち取った。ただ、それはチャンスが与えられたからこそ実現したものでもある。カリーはかつての自分と同じように才能を持ちながら逆境に置かれている人たちへと目を向け、チャンスを与えたいと願っている。「僕たちはみんな、次の世代を支える若者たちに良い影響を与えたり、何らかの形で恩返しをしたりする能力を持っています。これを実行に移すことは、とても大切なことだ」

「また日本に行ける日を楽しみにしています」

カリーブランドの立ち上げから1カ月半というスピード感で、日本でも活動の第一歩が踏み出された。東京の六本木にある東洋英和女学院の体育館は、カリーがこれまで来日した際、2度に渡り訪れた場所。このバスケットボールコートを『カリーコート』に変えたのだ。選手たちに贈ったメッセージビデオの中でカリーは「僕たちのミッションはより良い世界へ変えていくこと。すべての子供たちにスポーツの楽しさを伝え、東京でのバスケットボールの発展を進めます。また日本に行ける日を楽しみにしています」と語っている。

カリーブランドのロゴには3つの意味がある。まずは彼の名前のアルファベットである『S&C』で、カリー本人が実際に書いたものが採用された。続いて『HIGH WING』。これは家族やファンなど大切な人たちに神のご加護をという思い、進化し続けるというカリーの意志を表す。最後は『3』で、3ポイントシュートが決まった際にカリーが右手の中指、薬指、小指で作るジェスチャーだ。

32歳になったカリーは今も進化を止めてはいない。昨シーズンはケガに悩まされて十分なプレーができなかったが、それもまた逆境を乗り越える彼の力となる。2021年を迎えてすぐの試合で、『UA CURRY FLOW 8』を履いたカリーは62得点を記録して自らの1試合最多得点記録を塗り替えた。

カリーはまだまだ勝利に飢えている。そして『カリーブランド』を広めていくことにも強い意欲を持っている。彼のプロジェクトが今後どのように発展していくのか、また東京に作った『カリーコート』がこれからどう活用されていくのか、楽しみは尽きない。

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