高校卒業後はコーチの道へ
39年ぶりにウインターカップ出場を果たした専修大学附属は、留学生を擁する開志国際に力の差を見せつけられ初戦で散った。
キャプテンの山下隆聖が「新チーム発足当時は都大会ベスト4という目標から始まりました」と言うように、専大附属は特待生もおらず、ほとんどの選手が全国未経験で決してバスケに特化した学校ではない。それでも、地道に練習を続け、その目標は「関東大会で1勝」へと変わり、『Tokyo Thanks Match』を制して、目標を大きく上回るウインターカップ出場の機会を得た。
『下克上』を目論んでいたが、全国屈指の強豪、開志国際とは大きな力の差があった。山下は言う。「強いことは分かっていました。一矢報いるというか、自分たちの良いところを少しでも見せたかったんですけど、試合の序盤から相手のペースでいってしまってそれができずに悔しかったです」
高さやスピード、シュートの正確性やフィジカル。すべてが相手のほうが上だった。「今までやってきたチームはどこかでシュートが落ち始めたり、リズムが崩れてきたりそういう時間帯がありました。開志国際さんは本当にそういう時間が短くて、1プレー1プレーですぐに修正していました。リバウンドも全然取れなかったし、自分たちの流れに持って行けずキツかったです」
39年ぶりの全国大会出場は胸を張って良い快挙であり、決して下を向く必要はない。それでも、山下が後悔を募らせるのは出ることに満足してしまった点にある。「自分たちで追い込んで練習できて、ウインターカップに出れたとこまでは良かったんですけど、そこからさらに上を目指せなかったから、今日みたいな悔しい結果になったと思います。出ることに満足してしまっていた。めちゃくちゃ悔しかったです」
当然、大学に進学しバスケットボールを続けるものだと思っていたが、ウインターカップ出場を機に選手としての道は終了すると山下は答えた。「選手は高校でやめようと、高2くらいから決めていました。コロナもあったので大学で少しやろうとも思ったんですけど、ウインターカップにも出れたので終わりにしようと」
全国大会に出るような選手がバスケをやめることに違和感を覚えるが、その決断はネガティブなモノではなく新たな道へ進むための第一歩だった。「将来は教える立場になりたいと思っていて、専修大に上がったら学生コーチをやりたいんです」
最初で最後の全国大会でのプレーは悔しさの残るモノだった。それでも、ウインターカップは新たな道に進むきっかけともなった。選手としての道に一区切りをつけた山下は「良い経験でした」と屈託のない笑顔で語り、東京体育館を後にした。