2017-18シーズンのBリーグ王者に輝いたアルバルク東京。優勝に大きく貢献したのが今回登場する田中大貴と小島元基だ。A東京のエースである田中は、攻撃ではピック&ロールの中心的存在を担い、さらに1対1でマークした相手を抑え込む鉄壁の守備でチームを牽引し、チャンピオンシップMVPに輝いた。また小島は新加入ながらタフなディフェンスと思い切りの良いプレーで、苦しい時にチームに勢いを与える大仕事をやってのけた。2人は東海大の先輩と後輩であり、小島はエースの田中に誰よりも突っ込める存在。シーズン終了後のリラックスできるこの時期にしか見られない、2人の和気藹々とした掛け合いを楽しんでもらいたい。
「昔よりは親密になっていると思います(笑)」
──まずは2人の関係ですが、東海大の頃の『先輩と後輩』と比べて変化はありましたか。
田中 僕は全然、変わってないです。
小島 僕も別に変わりはないですね。同じチームになったので、会う回数は増えましたけど。
田中 小島が京都にいた時にも、僕が練習の帰りに家まで時間かかるんで、暇だからイタズラ電話なんかしていました。
小島 めちゃくちゃ鳴らしてくるんですよ。
田中 特に何かあるわけではないですが、取りあえず暇つぶしにって感じですかね。
──今ではフランクに話せている小島選手ですが、大学時代は上下関係が厳しかったのでは?
小島 初めて会った時はメチャクチャやばかったです。こいつマジかよって感じで(笑)。
田中 それは僕だけじゃなく、自分たちの代が、下の学年からすると結構怖かったらしいです。
小島 狂犬でした。挨拶しても「誰だオマエ」みたいな雰囲気を出してくるので、後輩のこちらとしては「えっ?」みたいな。
田中 そうだったら、昔よりは親密になっていると思います(笑)。
──そこから打ち解けたきっかけは、何かありましたか
小島 多分、僕が実家に帰っていて、夜遅く寮に帰って来た時があったんです。それで「遊んでたの?」と聞かれて、「いや遊んでないっすよ」って感じの会話があって、そこから話すようになったと思います。
田中 全然覚えてない。小島との関係でいえば、琉球にいる須田(侑太郎)と一緒に、イタズラで完全無視したことがあるんです。練習中からハイタッチとかも小島だけスルーしていたことがありました(笑)。
小島 それはちょっとムカついて、わざとご飯の時にドーンと隣に座ってやったりしてました。
「タイトルを取ることができてホッとしている」
──どれだけ仲が良いかが分かるエピソードですね。ちなみに田中選手が、セミファイルのシーホース三河戦に勝った後の会見で「生まれて初めて小島に感謝します」とわざわざ名前を挙げていましたが、小島選手はそれを聞いてどんな感想でしたか?
田中 それ知ってる? 結構、取り上げられたよ。
小島 知らないっすよ。ムカつきますね(笑)。
──セミファイナルの小島選手は、田中選手から見ても頼もしいプレーだったんですよね。
田中 第2戦のオーバータイムの立ち上がり、先に三河にポンポン取られました。その時、第3戦のことも考えてか自分はベンチに下がったんです。そこで小島が活躍してくれて、第2戦で決着がつきました。第3戦に行ったら勝敗は全然分からなくなるし、自分も結構疲れていたので、あの時は本当に初めて小島に感謝しました。
──小島選手は、三河とのセミファイナルについて自分のプレーをどう評価していますか。
小島 大貴さんなど主力がベンチに下がった時には、第3戦を意識しているんだなとちょっと思いました。それで逆に「じゃあ、もうやっちゃおう」と。マッチアップ的な部分でもいけるなと思ってプレーしたら上手くいきました。
──優勝という最高の形で終わりましたが、今はどんな気持ちですか?
田中 うれしいことはうれしいですけど、ホッとしている、肩の力が抜けたな、というのが正直なところです。このチームに加入して、ある程度自分がチームの主軸としてやっている中でまだ一回もタイトルが取れていなかったので、そこに責任を感じている部分もありました。早い段階でまず一つタイトルを取りたいと思っていたので、ホッとしてるっていう気持ちですね。
小島 うれしいですけど、やはり自分としてはチームに迷惑もかけてしまった部分もあります。それに大学の時みたいに、自分の代で優勝したって感じでもないので、フワフワしています。
「眠れない時もありました」「夢にもルカが出てきて」
──ヘッドコーチのルカ・パヴィチェヴィッチの練習といえば、リーグで一番の厳しさとよく言われました。実際、2人にとってはどれだけキツかったんですか?
田中 「アルバルク東京といえば練習がキツい」という感じで取り上げられていますが、勘違いしてほしくないのは「キツい」と言うと皆さん体力的なしんどさのことを考えると思いますが、そうではないんです。ヘッドコーチは一つも甘いプレーは許しません。どんな状況であれミスを許さないという、そこのところの厳しさでキツかったです。
小島 そうですね。
田中 体力的に一番しんどい練習をしていたのは大学の時です。ただ、どういう状況であれ、疲れていようが細かいところまで軽いプレーは許されない。常に集中してやらないといけない、そういった質の高さという意味で「しんどい」とか「キツい」という表現をみんなしているので、そこは間違えてほしくないです。
──小島選手はポイントガードであり、特に槍玉に挙げられやすいポジションです。その大変さは相当なものだったのでは?
小島 もうメチャクチャ大変でした。バスケの時はヘッドコーチから「リラックスした状態を作るな」と言われます。確かに気が抜けたりした時もありました。ルカコーチの求めることを常にやらなくてはいけない。自分の実力がなかったのもありますが、それをずっと続けていくのはキツかったです。
──弱音を吐いたりしたことは?
小島 弱音は吐かなかったです。でも本当にキツくて眠れない時もありました。
田中 夢にもルカがでてきて「ゲンキ!」と叫ぶんだそうです(笑)。
小島 友達と映画を見ていても練習のことを考えちゃって、溜め息をついたりしていましたね。一時期は本当に大変で、どれだけニキビが顔に出たか(笑)。
田中 あれだけストレスが顔に出るんだって、初めて知りました。
──たとえ20点差、30点差で勝っていても気の抜けたプレーをすると怒られる。ルカの厳しい目がある中でのプレーは、率直にどういう思いでしたか。
小島 それだけ厳しいおかげで、これをやったら駄目だなというのが分かりました。ムカつく時もありましたけど(笑)、でも本当に正しいことを言っているんです。そこは毎回ビデオを見せてもらっていて確認したりしました。
──シーズン中も2部練習をどんどんやっていて、疲れを感じたりすることはなかったですか?
田中 ウチはシーズン中、終始疲れていましたからね。開幕時点でもう、シーズンが終わったぐらい疲労困憊するんじゃないか、みたいなところから始まっているので、基本的にみんな疲れていたんです(笑)。でも慣れって結構大きくて、最初はああだこうだと言っていましたが、本当に何が大事なのかを皆が理解できるようになってからは、そんなにキツい雰囲気はなかったんですよね。練習に関して面白いのは、スケジュールが直前にならないと決まらない。前日に決まらないこともあります。「考え中」と言われたまま帰って、夜に明日の練習内容について連絡が来るみたいな。コーチとスタッフの間で最後の最後まで揉めているんだと思います(笑)。
──練習といえば、セミファイナルの三河戦前に練習量を落としたと報道されています。この効果はありましたか?
田中 シーズン中は「ちょっとみんな疲れているから」という理由で練習量を落とすことが皆無で、どんな状況でもブレずにやってきました。だからこそ、最後の最後で午前練習がなくなったりすると、いつもより全然違って楽になったのだと思います。シーズン中から時々ちょっとずつ落としたりしていたら、休みとなっても気持ちが軽くなることはなかったと思います。ずっとやっていたからこそ、効果は大きかったですね。
──シーズン終盤まで、アルバルクの守備といえばヘルプにいかない戦術でした。その結果として、1人の選手に大量得点を許すこともありました。例えば新潟戦で、ダバンテ・ガードナーにやられまくっていた時、選手は割り切れていましたか。
田中 いや、自分は「何点取られるの?」、「何もしないの?」みたいなことを言っていました。新潟戦ではヘルプに行くなとの指示でしたが、しびれを切らして行ったりしていました。そうしたらスリーを決められたんですけど(笑)。でも今になって思うのは、自分たちがその場その場で「これは間違っているんじゃないか」とか思うんですけど、ヘッドコーチはその場だけでなくトータルで考えている。それはチームが始動する前からで、最後にこういう結果となることまですべて計算していたんじゃないかなと思うぐらいです。本当に準備を徹底する人でブレないですし、すごいヘッドコーチだとあらためて感じました。
──ヘルプといえば、小島選手は千葉ジェッツ戦で富樫勇樹選手に42点を取られた試合について、結果は勝ちましたけど、誰かヘルプに来てと思わなかったですか?
小島 特にそういうことはなかったです。あの時はスリーを11本決められたのですが「あ、やられた」くらいしか思ってなかったです。
田中 情けねえなあ(笑)。
小島 そういうディフェンスだし! とにかく言われたことをやろうと思ってました。
「大貴さんと一緒にやれないと泣いたのを覚えています」
──小島選手は大卒2シーズン目を終えましたが、田中選手から見て成長ぶりはどうですか?
田中 大学の時に、試合に一緒に出たことは全くないんです。京都での昨シーズンはチャンピオンシップに出ていなくて、優勝争いをするチームに移籍して来ました。あまり表には出さないんですけど、自分の中でいろいろ考えていたと思います。若いですし、同じポジションの選手は代表に呼ばれていて競争は厳しいですし。その中で自分にはできないとあきらめるのではなく、活躍してやるんだと最後まで練習で自信をつけてきました。そこは本当にすごく頑張ったシーズンだったと思います。
──小島選手から見て田中選手はどういう存在なのか、プロで一緒になって大学の時とは変わっていますか?
田中 これは、もう答えは一つですよ。
小島 黙ってて……。
田中 僕がいたおかげで、こいつは良い思いをしているという(笑)。
小島 違います(きっぱり)。大学の時も一緒に試合に出られそうでしたが、ケガをしてしまって無理でした。シーズンの最初にケガをして、途中で復帰できると思っていたのですが長引いてしまい、大貴さんが卒業するまで一緒に試合に出られないまま終わるんだと思って、ケア室で泣いたのを覚えていますよ。
──そういう意味だと、今シーズンは『雲の上の先輩』とついに同じコートに立てた感慨みたいなものは……。
小島 それはないです(きっぱり)。全くありません。もちろん、うまいのは知ってますし、一緒に出られて優勝もできて良かったとは思います。
──東海大と言えば、竹内譲次選手も卒業生ですが、田中選手とは接し方が違いますか?
小島 そうですね、譲次さんが神様だとしたらコレは……。
田中 コレはってなんだよ(笑)、そこはおかしいだろ。
小島 大貴さんは普通の一般市民です(笑)。
──最後に、お互いの今シーズンの活躍ぶりに点数を付けて評価してください。
小島 大貴さんへの評価としては「もっとやれよ」って感じです。みんなもそう言いますけど、自分も近くで見ていて「もっとできる」と思うので。点数で言うと3点です。
田中 何段階評価だよお前それ。
小島 10点満点での3点です。もっとできます。
──では、田中選手から見た小島選手は何点でしたか?
田中 自分は大学3年生の時に初めて日本一になりました。その時の映像が残っているんですが、自分がシュートを決めた時に、応援席にいる小島が人一倍はしゃいでメガホンを思いっきり叩いている場面が映されているんです。僕はこれが小島の人生のハイライトだと今まで思っていました。僕の試合を見て、一生懸命に僕を応援する。それが小島の一番良いところだと思っていたんです(笑)。だからその小島が、優勝したチームでプレータイムをつかんでしっかりゲームに絡んでいる。これは本当にあの頃からは想像できないくらい頑張っているので、10点をあげときます。これ以上ないです10点です!
小島 いや僕も3点です、これからもっと伸びます!
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