昨シーズンの新潟アルビレックスBBはチームの中心だったダバンテ・ガードナーの移籍により、新たなバスケットスタイルの構築を求められたが、確固たる形を見いだせないままシーズンが終了した。そして今オフ、Bリーグ初年度からチームを率いた庄司和広に代わり、福田将吾がヘッドコーチを務めることに。36歳と若いが海外での指導経験もある福田が見据えるチームの未来とは。
「コーチは自分の努力次第で行けるところまで行ける」
──まだ若いですがコーチとしての経験は長いですよね。どのような経緯でコーチを始めたのか教えてください。
部活に所属してバスケットをしていたのは高校までで、当時は教員を目指して東京理科大学に進学しました。bjリーグができるということでトライアウトを受けるためにバスケを再開して1年間やっていますが、選手をやめてコーチを目指すことに葛藤はなかったです。当時、身体を見てくれていたトレーナーの人から「プロを目指すのはいいけど、自分がダメだと思った時は引き際を見極めて、次の道へ切り替えるように」と言われていたので。当時は高校のバスケ部を教えることが夢でした。
プロになれる選手は小学生の時からエリートで、全中に出たりアンダーカテゴリーで経験を積み重ねていて、少なからず才能や素質が必要だと思っています。コーチはそういった経験がなくても自分の努力次第でどうにかなる、行けるところまで行けるんじゃないかという思いがありました。
──大学の頃から指導者としてアメリカで学ぶことを意識していたようです。きっかけは何でしたか?
大学4年の時ですが、カンザス大学の元コーチの方が主催したキャンプに参加しました。そこでプロのコーチとはどういうものかを目の当たりにしたことで、私も高校よりもっと高いカテゴリー、大学やプロでバスケの指導をしたいと思うようになりました。
──九州1部の鹿屋体育大学のヘッドコーチとしてインカレ7位の成績を挙げた後、アメリカの大学でコーチをすることになりました。ここまでの道のりは大変だったのではないでしょうか?
そうですね。当時は英語がしゃべれなかったですし、アメリカにコネクションもなかったので。一番大変だったのは文化の違いであり、私が日本人だという壁です。セントジョーンズ大ともなればNBAに行くような選手もいて、彼らが「なぜ日本人がここにいるの?」という感じだったので。
アメリカのコーチに「日本の相撲でアメリカ人の親方はいないよね。横綱じゃないどころか相撲の経験がほとんどないような人間が親方になって弟子を指導していくのと同じ。将吾がやろうとしていることはそれぐらい難しいこと」と言われました。競争がすごいので、コーチや選手から信頼を得るのも大変でした。アメリカでは自分のテリトリーを侵されることを嫌い、異物が入ってきたかのような目で見られました。
「選手とは良い意味で距離が近い関係でいるべき」
──その後、日本のいくつかのチームでアシスタントコーチを経験し、昨シーズンは横浜ビー・コルセアーズで途中昇格という形でヘッドコーチとなりました。今オフ、オファーは多数あったと思いますが、その中から新潟を選んだ理由は何ですか。
ありがたいことに他のクラブからもお話はいただきました。新潟の小菅(学)社長の日本一を目指していきたいという思い、今後のビジョンと掲げてる目標にすごく共感できて、ここでやってみたいと思いました。他のお話もありがたかったんですけど、家族にも相談せずに、電話をいただいた時点で引き受けました。
──ビーコルでそうだったように『ONE TEAM』を掲げています。これは具体的にはどういった内容なのでしょうか?
これは鹿屋体育大でコーチを始めた時から非常に大事にしていることです。コーチと選手は良い意味で距離が近い関係でいるべきだと私は思っています。オンとオフを切り替えながらではありますが、実際にプレーする選手の意見はすごく大事だし、選手が意見を言いにくい関係性は作りたくありません。そういった環境作り、コミュニケーションを大事にしています。
もちろん、試合になるとプレータイムに差が生まれます。出ている選手はもちろんですが、出ていない選手もチームの勝利に貢献してくれていると思っていて、そういった選手ほどコーチは大事にしてあげないといけない。スタート、サブ、試合にあまり出れない11番手、12番手の選手で求められることは違いますが、全員が役割を全うすることでチームの勝利に繋がっていきます。
──11番手、12番手の選手のモチベーションを保ち、彼らに同じ方向を向かせるにはどうすればよいのでしょう?
私はそういう選手たちとよくしゃべりますし、みんなの前で称えることが多いです。自尊心を大事にしてあげることが一つポイントなのかなと思います。私も高校生の時はスタメンではなかったので、試合に出ていない選手の気持ちは少なからず分かります。そこでチームに受け入れてくれた時やコーチに褒めてもらえた時はうれしかったですし、そういう選手がいるからこそチームは支えられていると思っています。
「東で5位以内に入れば十分チャンスはある」
──日本一を目指すとのことですが、昨シーズンは13勝28敗のチームがいきなり優勝争いをするのは簡単ではありませんよね。
私がハードルを下げればチームの士気も下がります。確かに毎回残留プレーオフを争っているチームが「今シーズンは日本一を目指そう」と言っても、あまりイメージできないと思います。達成可能なレベルとあまりにもかけ離れてしまうと、それは目標ではなく夢とか綺麗事になります。ただ、新潟は2年前に地区優勝してる経験がありますし、林(翔太郎)選手のように強豪チームでプレーしてきた選手も入ってきたので、イメージがつかないわけではありません。
チャンピオンシップに出ない限りは日本一の土俵に立てません。東地区で1位になると言うとあまりイメージできないと思いますが、東地区5位以内に入ろうと考えています。Bリーグの歴史を見ると東地区からチャンピオンが出ています。今は段階を踏んでいますが、東で5位以内に入れば十分チャンスはあるし、優勝は見えてくるはずです。ただ目指すだけではダメなので、ショートターム、ミッドターム、ロングタームの目標をしっかり分けて、選手たちと共有しながら目指します。
──では、新シーズンの新潟はどんなスタイルを目指していきますか?
横浜の時とは違った戦術で戦っていきます。走るアップテンポなバスケというのを掲げていますが、「ディフェンスから走る」と言うチームはたくさんあります。なので我々はその部分を振り切れるくらい強調したいと思っています。バスケに詳しくない方が見ても、「速いよね」という感想が一言ポンと出てくるような、振り切れるようなアップテンポさを強調したいです。
──他のチームとは一線を画すスピーディーなバスケに期待しています。では最後にファンの方へメッセージをお願いします。
クラブ創設20周年の節目の年であり、私も含め選手が大幅に入れ替わった中でこれまでとは違った新潟アルビレックスBBをお見せしたいと思っています。『ONE TEAM』もそうなんですけど、チーム一丸となってタイムシェアをしながら、たすきリレーのようにして勝ちをつかみ取るようなバスケをしたいです。見てる方々が楽しいと思ってもらえるバスケットを展開し、多くの勝利を届けたいです。