取材=古後登志夫 構成=鈴木健一郎 写真=三遠ネオフェニックス

三遠ネオフェニックスの大口真洋は1976年1月6日生まれの42歳、B1では折茂武彦に次ぐ大ベテランである。その大口は開幕前に、フェニックス一筋のキャリアを今シーズンで終えることを表明。そのプロ20年目のシーズンが終わりを迎えようとしている今、大口は大学バスケの指導者としてのキャリアをスタートさせてもいる。今年度に創設された浜松学院大の男子バスケ部の初代監督、これが大口の新しい肩書きだ。

現役ラストイヤー、ほとんどプレータイムがないことへの悔しさを大口は隠そうとしないが、並行して始まった指導者キャリアを「なんか元気にやってます」と飄々とした笑みとともに語る。フェニックス一筋20年のキャリアの幕引きを前に、大口に心境を語ってもらった。

「一度それが途切れてしまうと戻すのは難しい」

──お疲れ様でした、と言うには少々気が早いですが、まずは引退の決断について聞かせてください。長いキャリアだったからこそ、引退の決断は難しかったと思います。

選手としてのこだわりがあって、最後の最後まで迷いました。大学の話をいただいて、両方はやれないので一つに絞るということで決めました。もともとは三遠がやっているスクールの場所として浜松学院大の体育館を借りられないか、というところから今回の話が始まり、そこで三遠の浜武(恭生)社長と学長が意気投合して、浜松学院大にはクラブが何もないのでバスケ部を作って盛り上げていこうと。それでフェニックスの全面監修でバスケ部をやることになりました。

──これまでのキャリアを考えるに、指導者になるのであればプロコーチとしてフェニックスを引っ張っていきたいという思いはありませんでしたか?

全然ないですね。というのも、もともと僕はコーチに向いていないと思っていたので。人に何かを伝えるのが苦手だと認識していて、だから現役にずっとこだわっていたというのもあります。現役へのこだわりは、もう僕自身はきれいさっぱり切り替えているつもりですが、応援してくれている人たちから「寂しいよ」と言われると、僕も「そうですよねえ」となってしまいますね。

正直、ベンチに入って試合に出たりすると、またやりたい気持ちが沸いてきます。今はプレータイムがない状態だから、逆に切り替えられています。ずっと動いていれば折茂さんみたいに動けたと思いますが、一度それが途切れてしまうと戻すのは難しくて、落ちるのは早いと感じます。

「ベンチのベテラン」の役回りは難しかった

──まだ試合は残っていますが、4月になって大学の新年度が始まりました。今シーズンが終わるまで、三遠でのプレーは続けるんですよね?

そのつもりですが、大学の行事と重なった場合はベンチに入らないことになります。中途半端かもしれませんが、もう練習もしっかりやれていないので試合にも出ないじゃないですか。ベンチに入るのが逆に申し訳ないという気持ちもあるんです。ベンチに入ると、応援してくれる人たちは「出るかもしれない」と思います。それでプレーしないと失望させてしまう。だったら最初からベンチに入らないほうがいいのかなと考えることもあります。

ずっと試合に出てきたせいかもしれませんが、ベンチにいるベテランとして試合にアプローチする、という切り替えはうまくできませんでした。18年間それをやってきて、最後の2年はちょっとくすぶった状態になってしまいました。

僕自身、自分からああだこうだと言うタイプではないんですよね。聞かれるといろいろアドバイスもできるんですけど。でも次は大学の指導者になるわけで、自分からそれをやらないといけないんですけど、現役選手としては難しかったですね。自分の考えがちゃんと伝わらないんじゃないかと思ってしまって。

──それでも異なるチーム、異なる立場での『二刀流』は大変なのでは?

忙しくなったのは学生がこちらに来た3月中旬からで、それまでは大学にはほとんど行ってなかったので問題はありませんでした。1期生が7人入部したのですが、1人は前十字を切って手術した後なので、今は6人でやっています。練習初日から「これじゃやばい」と思ったので、これからは大変ですね(笑)。

大学の指導者は「ボールを買うところから始めた」

──新しいバスケ部の監督になるというのは、ワクワクする仕事ですが大変そうでもあります。実際に着手してみて、どんな印象を受けていますか?

まだ何もないですよ。最初はボールを買うところから始めたんです。体育館も立派なものがありますが、バスケ部を作る想定ではなかったので、コートが短かったりリングの後ろの壁が近かったり。トレーニングルームも僕が購入して手作りで。楽しいは楽しいですね(笑)。

大学のバスケは関東志向が非常に強くて、この地域に限らずどの選手も関東の大学に行きたがります。ただ、一極集中は良くないと思うし、Bリーグができて各地にプロチームがある状況で変化してくると思います。特に愛知県は多いので、東海地方の大学バスケを盛り上げて、勢力図を変えていきたいという気持ちがあります。選手を集めるのも大事ですけど、良い環境を与えてあげて、それをどう生かすのかを教えたいです。

東海地方は3部から始まるので、1年ずつ上がっていけば3年で1部に上がってインカレを狙えます。今年入った1期生の選手が4年生になって卒業するまでには何とか全国の舞台に行かせてあげたいですね。

──東海地方の大学バスケを盛り上げる、という考え方は面白いですね。地域密着という点でも、ミニバスからプロチームの三遠までのつながりを構築するのは良い目標だと思います。

そうですね。フェニックスだけで見てもスクールがあって、今度はユースができて。浜松学院には中高とバスケ部がありますが、大学にはありませんでした。そのピラミッドの頂点に大学が来て、そこからフェニックスに進む選手が出てくれば理想的です。

──大学の現場とプロクラブの現場が連携することもあり得ますか?

もちろんです。プロと言っても夏の時期、特に外国籍選手が合流する前は練習するにも人数が少なかったりするので、そういう時に大学生プレーヤーを使ってもらって一緒に練習できればと思います。レベル的にすぐには無理でしょうけど、4年後にはそうできればいいですね。

──非常に夢のある構想で、聞いているだけでも気分が上がりますね。

はい、これは良いステップになるはずですし、僕自身もなんか元気にやっています(笑)。

[引退インタビュー]大口真洋、20年のキャリアに幕を下ろす二刀流の春
(後編)「ここまでやれたのも皆さんのおかげ」