古川宏一郎

2020年夏、東京オリンピックは1年延期となったが、チェアマンが交代したBリーグは実質的な『フェイズ2』に入った。新しいプロリーグとして『BREAK THE BORDER』を掲げて急成長したBリーグは、新体制で次の成長を目指す。ただ、それはどこを目標として、どんなアプローチで進められるのか。日本バスケの新たな成長を牽引するキーマンに話を聞いた。まずはBリーグ代表理事COO、かつて横浜F・マリノスの社長を務めた古川宏一郎に、日本バスケが進むべき道筋を語ってもらった。

「自分の仕事で泣くことができるってすごい」

──まずは古川さんのこれまでの経歴について、ざっとご紹介いただけますか。

もともとは携帯電話のNOKIAに新卒で入り、エンジニアをしていました。1年目は日本で、2年目から3年半ほどイギリスで働いて、商品企画をやりたくて日産自動車に移りました。日産では商品企画、経営企画、新規事業企画、中国駐在で現地法人の経営管理、グローバルセールス、最後は電気自動車の国内マーケティングの責任者をやっていました。その後、Jリーグの横浜F・マリノスで社長を務め、Bリーグで代表理事COOに就任したのが今年の1月からです。

──マリノスは日産の子会社ですが、それまではスポーツに関係のない仕事ばかりですよね。何かきっかけはあったのですか?

もともとスポーツは好きで、経営企画にいた時に若手有志での勉強会で「マリノスを題材にどうやってファンを増やすか」というケーススタディをした時がスポーツビジネスとして興味を持った最初のきっかけだったかもしれません。マーケティングはファンを作るということで、そういう意味では自動車のファンを作るのもスポーツチームのファンを作るのも、商品は違うけど根本は一緒です。それで違う分野のマーケティングを学んで幅を広げたいと思い、何年か前からマリノスに行きたいと言い続けていたことが、数年を経て考慮してもらえたというのはあったかもしれません。

マリノスでは最初はファンマーケティングに、次にスポンサーシップマーケティングに自分自身もハンズオンで注力しました。イングランドプレミアリーグのマンチェスター・シティがパートナーということもあり、頻繁にコミュニケーションを取りながらいろいろ学ばせてもらいました。本部のあるマンチェスターやマーケティング拠点のあるロンドンのオフィス、ニューヨークに行って関係のあるヤンキースやニューヨークシティFCでもそれぞれの取り組みを紹介して学ばせてもらったり。特にスポンサーシップマーケティングの考え方、取り組みは私にとっても新しい領域、経験で非常に学ぶことが多かったです。

──スポーツビジネスを実際にやってみて、より魅力を感じられたんですね。

私はマリノスでの1年半で数回涙を流したことがありました。それまで達成感を得ることはあっても、仕事で泣いたことはありませんでした。うれし涙も悔し涙もありますけど、自分の仕事で泣くことができるってすごいですよね。もちろん選手ではなく作り手側であって、ある程度は客観的に見ているはずなのに、ここまで感情が動かされる。ファンの方々にとってはもっとだろうなと思いました。人の心を動かすことができる商品を扱っているビジネスに身を置いていることに幸せを感じました。

──それまでは縁がなかったバスケ界を、外部からはどう見ていましたか?

私は今45歳で、同じ世代の人たちは割と共通していると思うのですが、バスケ部以外でも密に接している時期がありました。高校生の時にバルセロナ五輪のドリームチームはリアルタイムで見ていましたし、『SLAM DUNK』も流行っていたこともあり、昼休みは毎日同級生とバスケしかしてなかったですね。BS放送でブルズの試合もよく見ていました。その後は自分自身は離れていたのですが、最近では若い年齢層や女性ファンをとらえているBリーグは勢いがあるなと思って見ていました。