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全体5位指名を受けた直後、ダンは人目を憚らず涙を流した

6月23日にバークレイズ・センターで行なわれた2016 NBAドラフト全体5位でティンバーウルブズから指名された、プロビデンス大のクリス・ダン(ガード)は、人目も憚らず涙を流した。

指名直後のインタビューでは、晴れてNBA選手となる機会を手にした喜びとともに、「きっと母も、どこかで見てくれていると思います」と語った。

ダンは、幼い頃に母親に連れられて家を飛び出し、父親とは離れて暮らすようになった。母親は、幼い2人の息子を育てようと努力したがうまく行かず、犯罪に手を染めて収監されることも何度かあった。

ダンにとってバスケットボールとの最初の関係性は、生活費を稼ぐための1対1の賭けバスケだった。兄のジョンはギャンブルで稼ぐ日々。そんな状況を見かね、母親は刑務所から父親に連絡を入れ、2人の息子に正しい生活をさせてほしいと依頼した。

何年も元妻と息子たちの居場所を探し続けていた父親のジョン・セルダンに異論はなかった。再開を果たした息子たちを受け入れ、親権を獲得することになった。

ただ、セルダンにはすでに別の女性と生活しており、2人の娘を授かってもいた。父親と生活を始めたクリスとジョンだったが、クリスは『新しい家族』になかなか心を開かなかったという。

幼い頃に別れた父親と再開し、正しい道を歩み始める

親子関係を取り戻すきっかけはスポーツだった。元アメリカンフットボール選手だった父は、息子と真剣にスポーツで競い合った。そんな中、少しつずつ父に心を開き始めたダンは、大好きなバスケットボールにあらためて打ち込むようになっていった。

ダンは、『USA Today』のインタビューで、父親との関係についてこう語っている。「父は毎日のように僕に影響を与えてくれた。正しいことを、正しい目的のためにやっているかどうかを確認された。父がいなかったら今の自分はいない。父親が自分を支えてくれるというのは、すごく幸せなことだよ」

高校3年の2012年にオールアメリカンに選出されたダンは、決して強豪校とは言えないプロビデンス大への進学を選択する。これはヘッドコーチのエド・クーリーが、自分と似た境遇で育ったことに親近感を覚えたからだった。

大学1~2年時には、肩の負傷で思うような結果を残せなかった。度重なる負傷を克服するため、手術というオプションを検討していた矢先、母親が他界したという報せを受けた。

失意のうちに3年目の2014-15シーズン、ダンは平均15.6得点、5.5リバウンド、7.5アシストを記録。ビッグイースト・カンファレンスの最優秀守備選手賞、そして年間最優秀選手賞を受賞した。

2015年のオフにNBAドラフトにエントリーするも、ドラフトを待たずに取り下げ、最終的に大学4年目のシーズンもプレーすることを決めた。もっとも、大学に残ったのは、バスケのスキルを磨くこと以外にも、学位を修めることで妹たちに模範的な姿を見せたかったからだった。

「自分が模範的な例になれるところを家族に見せたくて、たくさん勉強した。大学での4年間のカリキュラム以外にも、サマーセッション(夏休みの間の学期)でも授業を受けた。妹たちはスポーツをやっていない。だから僕がスポーツがすべてではなくて、別の何かでも成功を収められる人間だということを示したかったんだ」

大学3年から4年のシーズンでは、3ポイントシュート成功率が35.1%から37.2%に上昇し、ターンオーバーは平均4.2から3.5に減少。NBAレベルに適応するには、まだまだ成長させなければいけない要素が多いことを実感しているダンだが、まずは夢の舞台に立つ資格を手にした。

ゲームメークだけでなく得点力も備え「大学No.1ポイントガード」の呼び声も高いダン。ポイントガードとしては最上位の指名となった。