ステフィン・カリーやダーク・ノビツキーが死を悼む
NBAの歴史に大きな偉業を残した元選手であり、元ヘッドコーチであるドン・ネルソンが、現地8月9日に亡くなった。86歳だった。
ミシガン州マスキーゴン出身のネルソンは、14年間のNBAキャリアのうち11シーズンをセルティックスで過ごし、5度の優勝を経験。1969年のNBAファイナル第7戦で優勝を決定付けるシュートを決めたシーンが、現役時代の彼を象徴するシーンだろう。
それでも、彼の真骨頂は1976年の引退後にやって来た。引退後すぐにバックスのヘッドコーチ兼GMとなり、ここでも優れた手腕を発揮。バックス、ニックス、マーベリックス、ウォリアーズの4球団で30年に渡り指揮を執り、1983年、1085年、1992年にNBA最優秀コーチ賞に輝き、通算勝利数はNBA歴代2位。それぞれのチームでGMも兼任し、ただ指揮を執るだけでなくカルチャーを築いた。
2010年にウォリアーズが若い指導者への切り替えを決めると、ネルソンはあっさりと引退する。その前年に通算1335勝を挙げて当時のヘッドコーチ歴代最多勝利記録を更新する大きな区切りを迎えていたこともあり、「ハワイで隠居生活を送るよ」とクラブの方針を受け入れた。その後はハワイのマウイ島に移り住み、セカンドキャリアとして合法的な医療用大麻の農園を経営。厳格だったヘッドコーチ時代とは打って変わって、地元の人々と交わりながら穏やかかつ華やかな余生を過ごした。
ヘッドコーチとしての足跡に話を戻すと、彼は『ラン&ガン』のスピーディーなバスケを志向し、NBAのバスケに多くの革新をもたらした。バックスを率いていた80年代中盤、フォワードのポール・プレシーにハンドラー役を任せて『ポイントフォワード』とし、そこから生まれるミスマッチを突く多彩なオフェンスを考案した。90年代序盤にはクリス・マリン、ミッチ・リッチモンド、ティム・ハーダウェイを並べる『Run TMC』でスモールボールの原型を作った。2009年には、事前の評価が低かったステフィン・カリーをドラフトで指名し、自分が去った後のウォリアーズに黄金期をもたらしている。
訃報を受け、ウォリアーズは「NBA史上最も革新的で影響力があり、バスケの新たな可能性を見いだす指導者だった」との声明を発表。カリーは「一緒に過ごしたのはたった1シーズンでも、多くのことを教えてもらった。彼がNBA史上最多勝利コーチとなったミネソタでの夜のお祝いは決して忘れない。彼がバスケに与えた影響は計り知れない。バスケ史に残る偉大な頭脳の一人として記憶されるだろう」とコメントを寄せた。
ネルソンは国外選手を積極的に起用する先見の明も持っており、マブスのダーク・ノビツキーも彼が発掘した選手だ。ドイツの2部リーグでプレーしていた無名の19歳だった自分を獲得し、NBAへの順応に苦戦した時期を支え続けたネルソンの死に際して『息子』を自任するノビツキーは、SNSでこうコメントしている。
「単に僕を獲得しただけじゃなく、僕を信じてくれた。僕自身よりも先に、僕の可能性を見いだしてくれた。これまで何度も言ってきたけど、これからも言い続けるよ。あなたが最初のコーチとして、僕に自分らしさを与えてくれなければ、僕のキャリアは全く違ったものになっていたはずだ。ただただ感謝の気持ちしかない」
NBA Commissioner Adam Silver issued the following statement today regarding the passing of Naismith Basketball Hall of Famer Don Nelson:
“Don Nelson revolutionized NBA basketball through his fearlessness, ingenuity and deep conviction. He spent nearly 50 years in the NBA –… pic.twitter.com/Fy9pOYTE0h
— NBA (@NBA) August 9, 2026
