文=鈴木健一郎 写真=高村初美

「自分なりに代表選手にいろんな風を吹き込みたい」

日本バスケットボール協会は今日、日本代表の新たなヘッドコーチとなるフリオ・ラマス体制下のアシスタントコーチ2名を発表した。

一人はエルマン・フリアン・マンドーレ。現在、アルゼンチンリーグのプレーオフ準決勝を戦っているサンロレンソで、フリオ・ラマスのアシスタントを務めているコーチである。そしてもう一人が、先月まで広島ドラゴンフライズを率いた佐古賢一だ。

長く日本代表の主力としてプレーした『Mr.バスケットボール』が、コーチとして戻って来た。代表アシスタントコーチとしての第一声として「私には現役時代にオリンピックに行けなかったという思いがあります」と佐古は言う。「日本代表が強くなくてはバスケットボールの発展もないと考えています。2020年の東京オリンピック出場を目標に、自分なりに代表選手にいろんな風を吹き込みたい」

「コーチを広島で経験しましたが、アシスタントは初めてになります。どういうことをやるかは新体制の中で模索しながらになりますが、一番大事なのはそこに『魂』があるかだと思っています。死語になりつつあるかもしれないけど『魂』が大事。国と国が戦うという上ではプライドがあるはずで、そのプライドをどのように高めていけるかです」

広島で佐古慰留のための署名が10万人集まるも……

5月28日まで、Bリーグで最も遅くまで戦っていたのが広島であり、佐古はその広島を率いていた。横浜ビー・コルセアーズとの入替戦に敗れ、昇格を逃した責任を取って佐古は辞任。その後、広島ではファンによる佐古慰留の署名活動が行われ、10万人の署名を集めた。

「葛藤は大きかったです」と佐古は打ち明ける。

「6月2日には横浜の実家に帰るはずでしたが、署名活動をしていただいたことで動揺したというか……。代表のオファーをいただいたのは6日か7日だと思いますが、正直びっくりしました。2020年に向かって新しいヘッドコーチも決まっていて、このタイミングで自分に来るとは思っていなかった」

「かなり苦しい10日間、どうしていいか分からなくて眠れませんでした。10万を超える署名の方々の思いに反して、現役時代からの夢であるオリンピックに挑戦する、それがモチベーションになるということでオファーを受けました」

「マインドは変えられます。僕は広島で変えました」

佐古がオリンピックを語る時、その口調は自然と熱を帯びる。「自分も代表には長く入りましたし、オリンピックの予選には5回挑んでいます。20歳で最初に挑みました。自分がルーキーとして、戦力ではない状態で代表に入って、自分が慕った先輩方から『頼むな』と託されて始まったのがオリンピックへの思いです。オリンピックを目指したことで、人間的に成長できました。一つのものを追い求める、それがあったからこそ40歳まで現役を続けられたし、バスケット人としてのプライドを形成できた。結果的には成し遂げられませんでしたが、自分には最大のモチベーションでした」

オリンピックを目指す思いは、他の誰でもなく自分のもの。佐古はこの仕事を引き受けるにあたって、エゴを隠そうとせず「犠牲になるつもりはありません。自分もやるからには得るものを得るつもりです。選手に頑張ってもらって、オリンピックに出たい」と言い切る。

ポイントとなるのは冒頭で語った『魂』の部分だ。佐古は語る。「自分にできるのは、接して、相談に乗りながら、マインドを変えていくことだと思います。戦術的にはヘッドコーチの言うことを理解して、選手たちに納得させてアジャストさせて。コーチに必要なのは知識よりも人間として求心力を持って、魅力を伝えていくこと。戦術的なところはしっかりサポートしながら、自分の思っていることを形にしたい」

「マインドは変えられます。僕は広島で変えました」と佐古は言う。「時間はかかりますが、代表に入るだけのポテンシャルを持つ人間だったらスピードも速いと思います。W杯予選の間にいろんなものを変えられると信じて僕はやります。代表の活動は片手間で、メインは母体のチームだと思っている人間もいるだろうけど、2020年のオリンピックがモチベーションになる、それが今のチャンスだと思います」

男子日本代表の目標は8月8日に開幕するアジアカップ。7月3日にキャンプが始動し、国内で国際強化試合を行った後、24日にスペインに向けて出発。スペインで強豪クラブとのテストマッチを含む最終調整を行い、アジアカップの開催地となるレバノンに入る。

新たな指揮官フリオ・ラマスの下、佐古がどんな手腕を発揮するか。そして日本代表にどんな変化が見られるか。東アジア選手権では不甲斐ない姿を見せた代表だけに『変化』を期待したい。