細谷将司は横浜ビー・コルセアーズを離れ、秋田ノーザンハピネッツと契約を結んだ。実業団から栃木ブレックスの下部組織であるD-RISE、兵庫ストークス、つくばロボッツと努力を重ねてステップアップ、Bリーグの時代になって横浜のポイントガードとしてチームを引っ張ってきた細谷は、自分を欲しがってくれた秋田の熱気に打たれ、興奮している。「今回の秋田移籍はステップアップだと感じています」と力強く語る細谷に、その意気込みを聞いた。
「横浜でもっとやりたい気持ちは、正直ありました」
──まずは横浜を離れた経緯と、退団することへの思いを聞かせてください。細谷選手が出たがったのか、チームが細谷選手との契約延長を望まなかったのか。
シーズンが終わって最初の面談の時点で構想外と伝えられました。もともと「地元でプレーしたい」という思いがあって、その夢を横浜に叶えてもらったので、横浜でもっとやりたい気持ちは、正直ありました。3年目のシーズンはいろいろありすぎて辛かったですけど、やっぱり僕の中で横浜への愛着は強くて、横浜でプレーを続けることがやっぱり一番にありました。それでも、僕自身のプレーだったり、終盤にケガをして迷惑をかけてしまったこともあって、チームの結果が出なかったですから。
「3年連続で残留プレーオフに行って終わるというのは嫌だ」というのが僕の思いで、ファンの皆さん、支えてくれた皆さんに申し訳ない気持ちが残ります。
──今シーズンの成績は14勝46敗。残留プレーオフでもレバンガ北海道に敗れて、B2上位チームのライセンスの不備で残留が決まった形です。苦しいシーズンになった理由は何ですか?
チームが一つになれなかったことです。要因はたくさんあるんですけど、一つは外国籍選手の入れ替えをせざるを得なかったこと。それでも一番は負け続けたことです。みんな一つになろうとして、「ここで勝って乗り越えよう」とやっていたんですけど、勝てないことでどうしても意識のズレ、気持ちのズレが出てきてしまいます。僅差で負けることが多々あって、それは勝ち方を知らなかったんだと思います。
秋田からの誘いは「すごく具体的で、なおかつ熱い」
──それでは秋田の話を聞かせてください。オファーはいくつかあったのですか?
ありがたいことに、B1のチームからもB2のチームからもいくつか興味を持っているという話をいただきました。でも、その中でも一番早かったのが秋田です。金銭面より先にまず、アシスタントコーチの前田顕蔵さん(2019-20シーズンよりヘッドコーチ)から連絡をいただいて、そこで30分ぐらい電話でいろいろな話をしました。そこでチームを大事にする秋田の姿勢、チームを取り巻く熱気について聞かせてもらいました。そこから3ポイントシュートや激しさ、スピードといった僕のプレーを必要だと言ってもらいました。
──もともと面識があったとか、誰かを介しての繋がりがあったわけではないのですか?
接点はまったくなかったです。シーズンが終わってすぐに会いに来てくれました。初めてお会いした時に前田さんはパソコンを持ってきて、秋田のやりたいバスケを全部まとめて見せてくれました。その上で「これをやってくれるか?」と聞いてくれて。すごく具体的でイメージも湧きやすくて、なおかつ熱い。最高ですよね。
──対戦相手としての秋田はどんなイメージでしたか?
もともと僕は能代工のファンですから(笑)。田臥勇太選手からずっと見ています。あのスタイルが好きで、秋田と言ったら能代工、つまりはバスケットボール、というイメージがあります。Bリーグになって初めて秋田に行った時に、その熱気はすごく感じました。あのアリーナの雰囲気は独特で、CNAアリーナ☆あきたは要塞みたいですよね(笑)。天井が高いので広く感じて、それなのに熱気がすごい。まさにクレイジーピンクの名前の通りですよね。対戦していてやりづらさはあまりなかったですけど、ここを味方にしてプレーできるのは楽しみです。
「自分のシュート力とスピードは秋田にマッチする」
──秋田ではポイントガードに若い長谷川暢選手がいて、中山拓哉選手も1番ポジションをやっていましたが、細谷選手が入ることで2番に戻るイメージでしょうか。細谷選手はポイントガードとしてプレーするつもりですよね。
僕は1番のつもりです。中山選手、白濱(僚祐)選手とドライブもアシストもできる2人がいるので、そうなれば僕自身がシュートを打てる機会も増えると思います。なおかつ古川(孝敏)さんも来たので。古川さんは僕がD-RISEの時に一緒だったので、服をもらったりお世話になっていました。その古川さんとチームメートとしてプレーできるのも本当にうれしいです。
──背番号は6になりました。横浜での0じゃなかったので、「これは田臥選手が来るってことなのでは」とファンの一部はザワついたようです(笑)。
僕も何度かそうやって聞かれたんですけど(笑)。でも、0番は横浜でだけ付ける番号って決めていたんですよ。『ゼロからのスタート』という意味で。他のチームではずっと4番でした。大学時代の親友の番号を背負って、そいつの思いも一緒に、という意味で。D-RISEも兵庫もつくばもずっと4番でした。
4番は空いていたんですが、長谷川誠さんの番号だと教えてもらって、それも止めて(笑)。大学時代は51番でしたけど、古川さんの番号ですからね。僕は背番号にこだわりたいというか、意味のある番号にしたいんです。それでサッカーを小学校1年から6年までやっていた時が6番だったので、6番を選びました。
──開幕まではまだ時間がありますが、秋田での抱負をあらためて教えてください。
ワクワクが止まらないです。これまでのキャリアでだんだん階段を上ってきている実感がある中で、昨シーズンに比べると今回の秋田移籍はステップアップだと感じています。東地区で戦うことも刺激になります。僕は厳しいところに行けば行くほど燃えるタイプなので、やってやろうという気持ちです。
秋田から求められて行くので、そのことが強いモチベーションになっています。あのハピネッツの雰囲気、ブースターの熱さの中でバスケットを作り上げていくのは幸せだろうと思います。勝って秋田を盛り上げたい。そこで細谷将司というプレーヤーを全国に強く示していきたいです。自信はあります。泥臭くハードにやっていきます。