トニー・パーカー

スパーズ黄金期を支えた司令塔がコートを去る

スパーズで優勝4回を成し遂げたトニー・パーカーが、『The Undefeated』とのインタビューで現役引退を表明した。

「引退することにした。もうバスケットボールはプレーしない」と決断を明かしたパーカーは、NBAキャリア18年で1254試合に出場。平均15.5得点、5.6アシスト、2.7リバウンドというスタッツを残し、コートに別れを告げた。

37歳のパーカーは、コンディションに問題なく、プレータイムを調整しながらであれば、あと2年は楽にプレーできると主張するも、今が辞め時と判断したという。

引退の理由は大小様々のようだが、彼は「もうトニー・パーカーのプレーができない上に、優勝のためにプレーできないのだとしたら、バスケットボールをプレーしたいとは思わない」ともコメント。昨年の夏にフリーエージェントになったパーカーは、17年プレーしたスパーズを離れ、幼い頃からあこがれたマイケル・ジョーダンからラブコールを受け、彼がオーナーを務めるホーネッツへの移籍を選択した。無論、パーカーはホーネッツ移籍を後悔してはいない。ただ、離れてみてスパーズの存在が自身の中でどれだけ大きかったかを、あらためて実感できた。

「自分はスパーズで17年プレーして、毎シーズン優勝するチャンスがあったと思っている。それが違うチームに移籍して、優勝する可能性がないということに不思議な感じがあった。ホーネッツのチームメートは素晴らしいよ。ただ、最終的には何かを得るためにプレーしているんだ。(フランス)代表でも金メダルを獲得するためにやっていた。スパーズでは、NBA優勝のためにやっていた。優勝のためにやれないなら、どうしてプレーしているのか分からなくなる。その部分が一番違ったし、大好きなバスケットボールの試合に集中する方法も、モチベーションを保つ方法もこれまでとは違った」

パーカーは、すでに引退した盟友のティム・ダンカン、マヌ・ジノビリ、そして恩師であるグレッグ・ポポビッチにも引退を報告したという。2019-20シーズン中には、スパーズによるパーカーの引退セレモニーが執り行なわれることが確実だ。今年の1月14日、パーカーはホーネッツの選手として慣れ親しんだAT&Tセンターに帰還し、古巣スパーズと対戦。スパーズファンはパーカーを割れんばかりの大歓声で出迎え、功績を称えた。

パーカーは、「ファンのみんなの歓声、それから自分への愛情が感じられて、まるで自分の背番号が永久欠番になったかのような感覚だった」と、1月の試合を振り返っている。「本当に永久欠番にしてもらえて、みんなとお祝いするのが楽しみ。彼らはNBAでもベストのファン。僕たちは、一緒に4度も優勝した。それは一生忘れない」

引退後の今後もサンアントニオに住み続ける予定というパーカーだが、リヨンに本拠地を構えるアスヴェル・バスケットのオーナーという顔を持ち、今年の9月には同じくリヨンにインターナショナルスクールを開校するなど、第2の人生でも多忙な日々を送るようだ。

パーカーほどの選手なら、2018-19シーズンをもって引退したドウェイン・ウェイドやダーク・ノビツキーのように、最後の1年を『お別れツアー』にすることだってできた。しかし彼は「自分には必要なかった」と言う。その理由は、スパーズへの愛情に関係している。

「兄弟からは『ドウェインやダークのような形で引退したくないのか?』と聞かれたけれど、『スパーズのジャージーではないから』と言ったよ。ドウェインはヒートのジャージーを着てやれたし、ダークもマーベリックスのジャージーを着てやれたのだから、彼らのキャリアにとって最高の終わり方だった。でも自分は違った。僕はホーネッツでプレーしていたから、別れを伝える必要があるとは思わなかった。僕が別れを告げる時は、(サンアントニオで)ジャージーを永久欠番にしてもらえる時か、殿堂入りを果たす時だから」

また一人、2000年代のNBAを彩ったスーパースターがコートを去った。