片岡大晴

『ソルジャー』のニックネーム通り、戦う姿勢を前面に押し出すスタイルを貫く片岡大晴は、2シーズンを過ごした京都ハンナリーズを離れ、仙台89ERSに復帰することを決めた。気持ちのこもった全力プレー、チームファーストの精神を重んじる片岡に、京都で過ごした今シーズンを振り返ってもらうとともに、B2であることを承知の上で故郷のクラブである仙台へ移籍した心境を語ってもらった。まずは京都での激動のシーズンについて聞いた。

「僕たちはいろんな人の人生を背負って仕事をしている」

──まずは京都でのシーズンを振り返っていただけますか。コート外での不祥事から始まり、最終節までチャンピオンシップ進出を争う激しいシーズンになりました。

メンバーも大きく変わらなかったので、結構やりやすいシーズンになるんじゃないかと思っていたんですけど、結果として2選手が不在となってしまいました。社会的に影響のある事件というか不祥事というか、それを目の当たりにしたことで不安のあるシーズンのスタートになりました。それでもブースターさんやその他の方たち、応援してくれる人がいると分かって、何とかスタートできたのが始まりですね。

──それでも、コート上の出来事だけを見れば京都は勝ちが先行し、好調に見えました。

シーズンを通して考えると、外国籍選手の起用についてのレギュレーションが変わったことで僕らは救われたと感じています。ジュリアン・マブンガとデイヴィッド・サイモンが揃って40分近く出場できるようになって、得点はもちろんですけど、相手の脅威となる存在感を出してくれたので、それが僕らの気持ちにもすごく影響しました。

負け越すことなくスタートできて、中盤もその調子で行けて。これは開幕の時点ではちょっと想像できなかったことです。それで自分たちに目を向ける余裕もできて、日本人選手も含めてチームとして成長できたのは今シーズンのすごく良かったことだと思います。

中盤になってマブンガとデイヴィッドにちょっと疲れも出てきて、負けがこんでしまった時期もありました。僕たちがもっとサポートしてあげたかったとは思います。結局、最後の最後までチャンピオンシップを目指して戦うことができました。結果としては良くなかったかもしれませんが、戦う姿勢は出すことができたと思えるシーズンでした。

──チーム内で不祥事があって、自分としてもプロのあり方を考えることはありましたか?

プロという以前に『人として』ですね。何かを期待されて応援されている、その中でやるからには応えなきゃいけません。応援してくれる人、支えてくれる人を裏切ることは絶対にやってはならない。そうじゃなくて良い影響を与えなくてはいけないですよね。それはあらためて大切にして、当たり前にしていかなければいけないと思いました。それが崩れた時の怖さは半端じゃなかったです。立て続けの不祥事だったので、当時は「今シーズンはもうバスケができないかもしれない」とまで覚悟しました。僕たちはいろんな人の人生を背負って仕事をしているんだと感じました。

片岡大晴

相次いだ不祥事「何かのプラスに働いたとは思えない」

──それだけ揺らいだにもかかわらず、チームは空中分解することなく、そこそこの結果を出すことができていました。チームが持ちこたえられた理由はどこにあったのでしょうか?

いろんな要因があると思います。自分の中では、若い選手も多いチームだったので、若い選手の前で投げ出すような姿は絶対に見せられないという思いがありました。そこに(内海)慎吾さんや(岡田)優介さんのような精神的な支えでいてくれる存在がいたことも、みんなが安心してコートに立っていられる理由だったと思います。もちろん、浜口炎さんのコントロールというのは、そこは絶対ですね。若い選手たちも含め、一人ひとりが踏ん張った結果です。

──シーズンが終わって落ち着いて振り返ることのできる今の感覚として、二度としたくない経験なのか、逆にポジティブな経験に変えられたのか、どう受け止めていますか?

絶対にあってほしくないですよ。何が辛かったって、前日まで一緒に練習して、体育館で挨拶をして明日もまた会えると思っていた、いつも人懐っこい仲間が、次の日からは僕らの想像の外に行ってしまうわけです。犯してしまったことは許されることじゃないですけど、仲間がそういうところに行ってほしくはないし、想像するだけでも本当に辛いです。それが何かのプラスに働いたとは全く思えないです。

──不祥事が重なったスタートから考えれば善戦したと言えますが、逆の見方をすればあと一歩でチャンピオンシップに進出できていました。あと一歩、何が足りなかったと思いますか?

一つの試合における集中の維持、チームのゲームプランのような技術的なことではなく、絶対に勝ち取らないといけない試合を確実に取る力がなかったんだと思います。チャンピオンシップに行ったチームを見ると、落とす試合が少ないです。名古屋Dさんとは競っていたつもりですが、シーズン終盤の大阪戦の逆転勝ちのような、ああいう本当に大事なところで1勝を挙げるメンタリティ、そういうものが欠けていたんだと思います。

最後の最後まで分からなかったので、あの日は悔しかったですね。でも起きてしまったことは変えられないので、そこで責めすぎるのも良くないです。次へのモチベーションに変えました。

片岡大晴

ポイントガードへの挑戦は「楽しかったです」

──いろいろと難しいシーズンでしたが、片岡選手個人としては印象的な働きが目立っていたと思います。本職ではないポイントガードで結果を出したり、満足感はあるのでは?

やっぱりポイントガードをやったことはキーポイントになっていますね。僕はルーキーの時からずっとシューティングガードのポジションで、ポイントガードっていう立場で試合に長く出ることはありませんでした。ケガ人がいる状況で、本来の自分のポジションではないポイントガードにチャレンジして、試合でやるしかない状況に慣れていたのは幸いで、そこは自分の他のプレーへの余裕にもなったと思います。

次のことを考えながらボールを一つ運ぶというのも最初はすごく大変でした。それでも、そうやってチームをコントロールするという部分が自分の成長に繋がったと感じています。目まぐるしく攻防が入れ替わる中で、みんなに意図するプレーを伝えて、ボールをバックコートからフロントコートまでしっかり運ぶ。当たり前のことを完璧に遂行するのがいかに難しいかが分かって。シューティングガードだったらただウイングの位置に走るのが仕事で、ボールが来たらプッシュすればいい。それとは全く違う苦労がポイントガードにはありました。みんな当たり前のようにやっていますが、本当にすごいんだと分かって(笑)。

──大変な苦労をすることで燃えるのか、楽しく取り組めていたのか、どちらですか?

楽しかったですよ。少しずつだけど、できることが増えていくし、コールができてボールも運べて、なおかつ試合に勝てればすごくうれしかったです。大変でしたけど喜びのほうが大きかったですね。でも、個人的なことよりもチームです。一番としては僕は炎さんのバスケットがやりたくて京都に移籍して、その選択は間違っていませんでした。炎さんのバスケットにみんなで取り組んで、うまくハマった時がいかに面白いか。その喜びを感じられたことが一番です。