昨夏のアジア競技大会で不祥事を起こし、1年間の出場停止処分が科された永吉佑也の長いシーズンが終わった。処分が軽減されたことで、レギュラーシーズンの最後にプレーすることはできたが、プロバスケットボール選手としての信頼回復はこれから長い時間をかけて取り組んでいく課題となる。今シーズンはラスト4試合の出場のみで終了。頭を丸めて再スタートを切った永吉に、バスケットボールができなかった時期をどう過ごし、自身と向き合う中で何を得たかを聞いた。
「ただゴミを拾えば、それが社会奉仕なんだろうか」
──バスケットボールで進学も就職も決めてきたプロ選手にとって、この競技はただ好きなスポーツではなく、自己表現して身を立てる道具でもあったと思います。それがいきなり長期出場停止となり、先の見えない状況になりました。自分と向き合う長い長い時間を経て、永吉選手自身にどのような変化がありましたか?
自分の中で全然違う部分があります。永吉佑也は永吉佑也だけのものじゃないんだな、という部分です。今までは自分のことしか考えていなかったり、ちゃんとした生活をしていなかったり、もちろん試合でも自分勝手なことをやったり、ファンの気持ちを考えずに対応したり、思い返せばそういうことがありました。でも今は、多くのファンの方々がいて、日本のトップリーグにいて、元日本代表だった、それがあっての永吉佑也なのだから、そこを自分でしっかりマネジメントしなきゃいけないと思います。
自宅に帰ればリラックスしますが、家の外に出たらあっちの僕じゃなくてこっちの僕、永吉佑也という選手として生きていく。それまではもう一人の自分がいるという考えは全くありませんでしたから、そこは大きく変わりました。
──処分が決まった当初、対外的に社会奉仕活動を始めるまではどう過ごしていましたか?
日本に帰って来て1週間は自宅謹慎で、それから1カ月ぐらいは何もできませんでした。心の整理の時間でした。
──ネガティブな考えに頭が占められて、整理するのに1カ月かかった?
そうですね。辛いことばかり考えて眠れず、まともに生活できなかった時期もありました。そこで何をしていくかと考え、社会奉仕活動をするとなった時に、「じゃあなぜ社会奉仕活動か」という目的意識について高田(典彦)社長としっかり話し合いました。そこからは自己反省を繰り返しながら、どういうボランティア活動があるのかを自分で調べたり、友達に紹介してもらったり、あとはスポンサーさんにも手伝っていただきました。
去年の夏、京都に台風が来た直後の清掃活動に参加させてもらったんですけど、最初は何をすればいいのか分からなくて。ただゴミを拾えば、それが社会奉仕なんだろうか。そう考えると、もっと社会と交わりを持つべきだし、この期間にしかやれないことはいっぱいあると考えました。僕みたいなのがポジティブでいいのか分かりませんが、自分自身はポジティブでいなければいけないと考えて、それで10月から本格的に社会奉仕活動を始めました。
「お世話になった人とファンのためにプレーしたつもり」
──そこからは、どんな日々を過ごしていたのですか?
清掃活動や医療機関のボランティアスタッフ、児童養護施設の訪問などです。佐藤卓磨(滋賀レイクスターズ)に声を掛けて一緒に行くこともありました。また試合会場のスタッフとしていつも協力してもらっている京都のシニアボランティアグループと一緒に会場の設営や撤収をしたり、いろんな活動をさせてもらいました。それが主に午前中で、午後からはチーム練習に参加して、夕方からはハンナリーズのU15チームを見たり、ミニバスの指導に行ったり。週末は一日がかりの社会奉仕活動で、清掃イベントや児童養護施設に行く。ずっとそんな毎日でした。
練習もしていましたが、高田社長とも話し合いを重ねた上で、社会奉仕活動をメインにして、バスケットボール選手として活動する前に社会人としてしっかりしないといけない、そこはブレないように行こうと決めていました。
──不祥事から今まで、いろんな人に支えられたと思います。
社会奉仕活動が生き甲斐になった部分はあります。毎回いろんな人と話をさせてもらって、良い話があったり笑い話があったり、そういった中で僕は生きていけたと思います。今振り返るとお先真っ暗で、死にたくなるような気分になる、ヤバい時期も正直ありました。でも、そうやっていろんな人と関わり合いを持って、明日への希望を持てたからこそ、辛い時期を乗り越えられました。
支えてくれた人はたくさんいます。本当にいろんな人に助けてもらいました。身近なところで言えばチームメートです。練習には行くので毎日会っていて、「今日はどんなことやってたの?」と僕に聞いてくるんです。そこで「今日は何もしなかった」という日がないように頑張っていました。
──1年間の出場停止処分が軽減されて、シーズンの最後にコートに戻ることができました。ここに至るまでの心境はどのようなものでしたか?
日本バスケットボール協会に復権手続規定という制度があって、もともとは「1年間を全うして次のシーズンに」という気持ちでしたが、お世話になっている人たちが「早く見たいね」とか「応援に行きたいね」と言ってくれたんです。バスケットを知らない人たち、選手としての僕を知らない人たちの「見たいね」という声が後押ししてくれて復権申し立てをすることにしました。
そこからはハンナリーズのホームゲームで、入場ゲートで会場のチラシとかマッチデープログラムを配るボランティア活動をしながら、お客さん一人ひとりとやり取りするようになりました。その中で「頑張ってね」とか「早く帰ってきてね」という声を本当に多くいただき、やはりファンの皆さんは温かいなと思って。だから僕にとっては4試合の出場よりも、社会奉仕活動を通じて多くの人とかかわったことが大きいです。この4試合も、これまでお世話になった人とファンのためにプレーしたつもりです。先を見据えたら自分のためになってしまうので、声援に応えたいという気持ちだけでプレーしました。
「あれから永吉佑也は変わったと証明したい」
──プロバスケ選手としてのキャリアが続くからには、今回の経験をバネにして、選手としてもレベルアップしなければいけないですね。
その通りですね。そうじゃないと周りは認めてくれないと思っています。
──選手としてレベルアップして、信頼を取り戻して……その先はどうなりたいですか?
ざっくりと言うなら、子供たちのあこがれになりたいです。それで十分なんじゃないかと思うぐらい、ミニバスの指導とか児童養護施設の子供たちと今までとは違う距離感、個人と個人の関係性でふれ合う中で、子供がどれだけ僕ら大人にとって宝なのかを感じました。
その子の明るい未来のために僕には何ができるのか。それは自分がコートで精一杯頑張る姿を見せるだとか、しっかりマナーを守るだとか。審判とコミュニケーションを取る時とか、ファン対応をしっかりしていく。そうした社会人としてのベーシックな部分をしっかり保つことができれば、アスリートとしての部分も自ずと伸びてくると思います。
──復帰戦ではそんな子供たちを招待して、プレーする姿を見せました。
ずっと見たいと言ってくれていたので、招待させてもらいました。お手製のプラカードを持って「頑張れ」と声を掛けてくれたおかげで、すごく緊張していたんですけど安心できました。
僕は今までコートの外をあまり見なかったんですよ。今回、コートの外を見てファンの方に応えるべきかどうか考えたんですけど、自分のルーティーンだから見ないことにしました。それでも、見なくても感じられるものがあったと言うか、本当に背中を押され続けていました。この気持ちは忘れちゃいけないと思います。
だからこそ、社会奉仕活動はこれからも積極的にやっていくつもりです。自分自身で関係性を築けているところもいっぱいあるので、自ら動いていきます。京都のために頑張りたい気持ちもありますし。先週も時間を見つけて、午前中だけですが何日か行かせてもらいました。
──来シーズンからはまた仕切り直しで新しい挑戦ですが、日本代表に返り咲いてやろう、という欲はありますか?
その欲はどうなんですかね。自分みたいなのが日本を代表する選手になっていいのか、今はちょっと言葉にしづらい部分はあります。ただ、もし呼んでいただけるなら光栄です。頑張ることで認めてもらえる、あれから永吉佑也は変わったと証明できるのなら、それはチャレンジしたいです。
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