須田侑太郎昨シーズン、3年ぶりのチャンピオンシップ出場を果たしたシーホース三河が、さらなるステップアップの切り札として獲得したのが須田侑太郎だ。昨シーズンはキャリアベストの平均10.1得点を挙げるなど30代になっても進化を続けている。そんなリーグ屈指の3&Dが、同地区の強豪・名古屋ダイヤモンドドルフィンズから何故、移籍したのか。その裏にある熱き思いを聞いた。

32歳とベテランの域に「ようやく自分のことを知れる年齢になってきているのかなと」

――まず、三河への移籍を決めた主な理由を教えてください。

決め手は大きく二つありました。自分の成長にフォーカスした結果、移籍という決断になりましたがそこにはプレー面だけでなく、リーダーシップに関してもさらに成長していきたいという貪欲な思いが強くありました。その中で、ライアン(リッチマン)ヘッドコーチ、三河からお話をいただき、リーダーシップの部分ですごく求めていただきました。自分が成長したいところと、チームに求めていただいたところが僕的にすごくリンクして、また新たなチャレンジとしてやっていきたいなと思ったのが一つです。

もう一つは、ライアンヘッドコーチの下でバスケットをプレーしてみたいとすごく感じたからです。いろいろとお話しをさせていただく中で、ライアン・リッチマンの人となりにすごく惹かれました。バスケット選手としてだけでなく、もっと大枠の一人の人間としてヘッドコーチから学んでみたい。この2つが大きな理由で、最終的に移籍を決めました。

――とはいえ、昨シーズンの須田選手はキャリアベストの平均得点を挙げ、地区優勝を達成しファイナルまであと1勝に迫るなど、名古屋Dで充実したシーズンを過ごしました。この充実した環境から離れることへのリスクを感じなかったですか?

そこは自分でもちょっと変なのかなと思いますが、ある程度、自分の存在を確立できたからこそ居続けてはいけないと。環境を変える怖さ、リスクはもちろんありますし、今まで何度も移籍を経験してきて、大変なこともたくさんありました。ただ、それも含めて乗り越えた時にこそ大きな成長に繋がっていると思います。

ドルフィンズは、選手の年代も大体同じだったりして、リーダーとしてやっていく上ですごくやりやすい環境でした。だからこそ、逆に年齢も違うしキャリアも違う選手たちが多い中で、自分が同じようにリーダーシップを確立できるのか。そこに対してチャレンジしたい気持ちが、リスクとかを圧倒的に上回りました。成長することを最優先に進んでいけるところは自分の良さであり、好きなところでもあります。結果がどうなるかわからないですけど、チャレンジする価値を見出して移籍を決断しました。

――須田選手は32歳で、キャリアでいうとベテランの域に入っています。でも、これまでの発言を聞くと、まだまだ進化していけるという確信を感じます。

ようやく自分のことを知れる年齢になってきているのかなと。身体のこと、バスケット的なことでも、自分の何が強みなのかが明確になってきています。今はその強みをより伸ばしていく、可能性を広げていく。選手としてのクオリティを最大化させるみたいなイメージを持っています。

須田侑太郎

「なり得る最高の自分になれているかなと思います」

――ちょっと振り返っていただきたいですが、2年前のチャンピオンシップ・クォーターファイナルで琉球に負けた直後、須田選手は涙を見せていました。それが昨シーズンは、ファイナルまであと1勝と迫るセミファイナルで広島に負けた状況で、どこか清々しい表情のように見えました。2年前は故障者が続出して満身創痍、逆に昨シーズンは戦力が揃っていました。それでもこの違いが生まれたのは何か理由がありますか。

2年前の琉球に負けて涙した時、あのシーズンはケガ人がたくさん出て1試合7人で戦っていた期間も長くとても苦しかったです。あのシーズンは最後の試合だけでなく、レギュラーシーズンでも何度か感極まったことがありました。それくらいチームとしてすごくまとまり出していました。でもケガ人が戻ってきたり、チームとして変革していく中で、最後の最後に積み上げてきたものが発揮し切れなかった悔しさが大きかったです。良い感じになってきたのに最後で出し切れず、結局は習慣だと痛感しました。あまり良い形でチームとして終われなかったことが一番悔しくて、負けたことより、もったいなかったというか。リーダーとして、チームを1つにし切れなかった悔しさからの涙でした。

昨シーズンの最後ですが、そもそも名古屋Dに入った時に、チームのアイデンティティ、文化をしっかりと作りたいという意気込みで入団させていただきました。ショーン(デニス)ヘッドコーチともそういう話をしてコミットしてやってきました。そして在籍3年目の昨シーズンは、よりチームとして一つになれた実感がありました。そして今回の移籍の理由にも繋がってきますが、シーズンが進むにつれて僕のやることがそんなになくなってきました。

最初は結構、いろいろなことを気にかけてみんなの前で発言したりすることもありましたが、だんだんそういう機会も減ってきました。今まであまり発言しなかった選手が意見を言ったり、マインドが変わった選手も出てきて、多くの選手にリーダーとしての自覚が芽生えてきてすごく良いチームになっていって、0から1を作れたある種の満足感もありました。最後、すごく鮮明に覚えていますが、僕は泣いてなくて、中東(泰斗)と齋藤(拓実)が泣いていました。それも僕的にはとても良いことでした。やっぱり拓実もいろいろと苦労したことで昨シーズンにかなり成長しましたし、泰斗は僕が一緒にやっていきたいと指名して副キャプテンになってもらいました。チームのキーポイントであった2人が、悔しくて涙を流しているところを、ある種客観的に見ていて今シーズンの取り組みが正しかったことを物語っているなと感じました。

負けて悔しいですが、勝ち負け以前にそこがすごくうれしかったです。ドルフィンズで自分がやりたかったこと、ドルフィンズという組織にとって素晴らしいことを、一つ形として残せたんじゃないかという思いがありました。試合後の会見でも言われましたけど、清々しい顔をしたつもりはなかったですが、後で映像を見ると確かに清々しい顔をしているかなと(笑)。これが涙を流した、流していないの大きな違いだと、今落ち着いて考えた時に思います。

――プロになって10年以上が経つ訳ですが、こうやっていろいろな経験を積み重ねてきてプロ入り当時に思い描いていた自分になれている感触はありますか。

毎年、今がピークだと思っていて、そういう意味ではなり得る最高の自分になれているかなと思います。ただ、今の姿を想像していたかというとそうではないというか。こうなりたい、という目標を掲げて逆算して何かをやるというより目の前のことをやり続けて積み上げていく。その結果が、今みたいな、そういう感覚の方が強いです。

本当にいろんな人との出会いで変わってきて29歳、30歳で代表に招集してもらって、トム(ホーバス)さんと出会ってシューターとして確立できました。それまではどちらかといえば、いぶし銀と言いますか、仕事人という役割を好んでいました。それがトムさんとの出会いで、シューターが自分の役割へと変わっていきました。でも泥臭いプレーとかがベースにあってスタッツに現れないことの重要性を分かっているのも自分の良さで、本当に全部が繋がっていると感じています。

そしてマインド一つでここまで変われるんだと強く思います。自分のことをシューターとは見ていなかったですが、トムさんから「あなたはシューターです」と言い続けてもらうことで、何かシューターになるための特別な練習をしたことはないですが、マインド一つで物の見方が変わって今シューターとしてプレーできています。気持ちの持ちようでこんなに大きく変われると、経験を通して学ぶことができました。