マヌ・ジノビリ

写真=Getty Images

『ビッグ3』を形成し、スパーズのNBA優勝4回に貢献

3月28日、AT&Tセンターでのキャバリアーズ戦後、昨年8月に現役を引退したマヌ・ジノビリの永久欠番式典が執り行われた。

式典には、ヘッドコーチのグレッグ・ポポビッチ、現役時代に4度の優勝を共に成し遂げたティム・ダンカン、トニー・パーカー、アルゼンチン代表とNBAで一緒にプレーしたファブリシオ・オベルト、ジノビリの家族らが出席した。

パーカーは「君のような選手はいない。エゴを持たなかった彼こそ、スパーズを体現する選手でした」と、元パートナーを称えれば、ダンカンはジノビリが1999年のドラフト全体57位で指名された時のポポビッチとのやり取りを再現し、「家でドラフトを見ていたら、僕たちのチームが聞いたこともない選手を指名したのです。『エマニュエル・ジニビリ? いったい誰を指名したんですか? 』という感じで。でも電話口のポップは『彼は素晴らしい選手になれる』と言っていて、『分かりました、ポップ。大丈夫』という受け答えをしていました」と、珍しくジョークを挟みつつ、「彼はまぎれもない天才でした。誰よりも先に試合展開を読むことができた選手でした。君は、ほかの誰にもできないことをしていたんだ」と、ジノビリに賛辞を送った。

ジノビリにとってNBAでの恩師であるポポビッチは、「我々は、誰一人欠かすことができないチームを作りました。ただ、マヌがいなかったら、優勝はできなかったでしょう」と、試合後も会場に残ったファンに向け、語りかけた。

「マヌがいなければ、起こり得なかったことです。先ほどトニーも言っていましたが、彼のガムシャラさ、突き進む力、勝利に対するとてつもない意思の力、競争心は並外れたものでした」

そしてマイクを握ったジノビリは、ファン、スパーズに感謝の気持ちを言葉にし、「こういうキャリアを送れるなんて、微塵も想像していませんでした」と述べた。

「僕自身も、自分に近い人間の誰もがこのようなキャリアを送れるとは想像もしていませんでした。バスケットボールが自分に与えてくれたものは、あまりにも多い。この恩は、生涯忘れません」

現役時代にNBA優勝4回、アルゼンチン代表としてオリンピックでの金メダル獲得、ユーロリーグ優勝、ユーロリーグ・ファイナルMVPという輝かしい成績を収めたジノビリは、ダンカン、パーカーと共にスパーズの黄金期を支えた一人として、多くのファンの記憶に残り続ける。