「ずっと同じ場所にいることによる自分の狭さみたいなものも感じていました」
昨シーズン終了をもって佐藤賢次は、5年間に渡って務めていた川崎ブレイブサンダースのヘッドコーチ職を退任。去就に注目が集まる中、新天地に選んだのはドイツブンデスリーガ1部、MHP RIESEN Ludwigsburgのアシスタントコーチだった。何故ドイツなのか、そして引き続き川崎に在籍したまま渡独する理由を聞いた。
――何故ドイツでのコーチ業を選んだのか、理由を教えてください。
ドイツにこだわっていたわけではないですが、ヘッドコーチとしての役割が終わって、次に自分は何をしたいのかを考えた時、いろいろな選択肢の中の一つに海外がありました。今年で45歳になりますが、この体育館(インタビュー場所となった川崎の練習施設)には大学を卒業してから(選手、コーチとして)22年間、人生の半分を通い続けました。もちろん、ありがたいことにここでいろいろな人や場所に恵まれてきました。だけど、ヘッドコーチを5年間やってきて、ずっと同じ場所にいることによる自分の狭さみたいなものも感じていました。
違うものを見たい欲がある中で、日本ではない環境に行ってみたい思いは間違いなくありました。今まで積み重ねてきたものをリセットして、イチからバスケットボールを考え直す。ヘッドコーチではない立場でもう1回、バスケットを見つめ直したい。組織作り、育成システムなどいろいろなものを勉強したい意味で海外の選択肢があり、ドイツを選んだのは声をかけていただいたからです。
――コーチを務めるチームには、昨季まで2年間、千葉ジェッツの指揮官だったジョン・パトリックがヘッドコーチとして復帰します。パトリックヘッドコーチとは昔から面識はあったのですか。
僕が現役時代、JBLのトヨタ自動車アルバルク(現アルバルク東京)でコーチをされていましたし、現役時代は日本でプレーされていたので知っていました。ただ、いろいろとお話をさせてもらったのは最近になってからです。
――これまで対戦相手として、パトリックヘッドコーチにはどんな印象を持っていましたか。
すごく選手の良さを引き出すのが上手です。例えば内尾(聡理)選手は、特別指定でシーズン途中から入ってディフェンスをバンバンやってチャンピオンシップで存在感を発揮していました。そういうところも勉強したいです。また、どのように指導することで選手が成長していくのか、その過程にすごく興味がありますし、現場で見られることにワクワクしています。
――MHP RIESEN Ludwigsburgでは、まずどんな役割を担うことになりますか。
基本はスカウティングで、練習を手伝って映像を作り、良いところ悪いところをフィードバックする。そして英語をなんとか使って、選手とコミュニケーションを取ってチームが少しでも良くなるように貢献することが自分の仕事なのかと。川崎でのアシスタントコーチ時代と、おそらく同じになるイメージです。
「ヘッドコーチが終わって、すぐにクラブを離れるのは違う気がしています」
――天皇杯を2度制覇など、指揮官として確固たる実績を残しました。慣れない海外でイチから出直すのは、いろいろと大変なチャレンジだと思います。もっとストレスを感じない環境を選ぶこともできたはずです。
そこは苦労したからこそ、得られるものがあるという考えがあります。今までを振り返った時も、やはりキツいシーズンこそ、どうすればいいのかもがいて考え続けて、いろいろな人を話しをしたりしました。その経験が自分を大きく成長させてくれると思っています。
――佐藤さんがドイツで何を感じて、どんな知見を得るのか同業者で注目している人も多いと思います。
そうですね。「ドイツにいる間、行っていいですか?」とか、たくさん言われています。ありがたいことに注目してもらえていると感じていますが、ただ僕自身はイチから勉強をしに行くだけという意識です。だから、本当は誰にも言わずにこっそりと行きたかったです(笑)。「あの人は今どこにいるんだ?」みたいな方が良かったですが、そういう訳にもいかないのは理解しています。
――新しいスタートを切る一方で、川崎に籍を残しての渡独です。そこは、佐藤さんにとって大きなこだわりがありますか。
先ほども言いましたが、同じ場所に居続けることの狭さは感じつつも、川崎に育ててもらって今の自分があります。この22年間の積み重ねが自分の土台です。川崎はプロになってまだ10年も経っていない、発展途上の段階です。そこでチームの成長に貢献したいとの思いがあります。ヘッドコーチ職を終えて、すぐにクラブを離れるのは違う気がしています。もっといろいろなモノを身につけて、自分がやれることを増やす。その上でここに戻ってきて経験を還元することがクラブの発展だけでなく、自分にもプラスになる。その思いをクラブに相談して、ありがたいことに籍を残したままでということになりました。
まだまだ、川崎を良くしていくために自分がやれることはある。それをやり切るまでは、このクラブに貢献していきたいです。自分の中でやれることがなくなった。これまでの経験を全部、形にできたと思ったら、その時に自分のやりたいことをやれたらいいと思っています。ただ、今は川崎の発展に貢献することが軸です。