チェイス・バディンジャー

「膝や足首への負担が小さい」ことでビーチバレーに

2009年のNBAドラフトは『当たり年』だった。全体1位指名は華やかなスター選手のオーラをまとうブレイク・グリフィンで、3位にジェームズ・ハーデン、5位にリッキー・ルビオ、7位にステフィン・カリー、9位にデマー・デローザン、17位にドリュー・ホリデーがいた。そのリストのずっと後ろ、2巡目44位指名がチェイス・バディンジャーだった。

身長201cmでウイングスパンは212cm。ずば抜けた機敏さと跳躍力というアスリート能力を持つフォワードで、勝負強いシューターでもあり、2巡目指名でありながらルーキーイヤーからロケッツのローテーションに食い込んだ。2012年のスラムダンク・コンテストに出場して話題を集めてもいる。ただ、運動能力任せのプレーヤーはケガに弱い。ロケッツで充実した3年間を過ごした後に移籍したティンバーウルブズではケガ続き。まず膝を痛め、膝をかばってプレーするうちに足首を痛め……と負のスパイラルに陥った。

「NBAで立ち位置を確立していたわけじゃなかったから、痛みがあってもプレーし続けるしかなかった。そのせいでバスケのキャリアは予想より早く終わってしまった」とバディンジャーは言う。

2015-16シーズンにペイサーズとサンズでプレーしたが復活は果たせず。2016年にネッツのトレーニングキャンプに参加するも開幕前に解雇され、スペインに渡った。この頃から彼はバスケを引退し、バレーボールに『復帰』することを本気で考え始めていた。

バディンジャーは高校までバスケとバレーボールの『二刀流』で、バレーボールでは多くのタイトルを勝ち取り、全米最優秀選手に選ばれてもいる。同時にバスケでも優れており、マクドナルド・オール・アメリカンではケビン・デュラントとともにMVPに輝いた。大学進学にあたり、バスケとバレーを両方とも続けられるオファーもあったが、彼はバスケ一本に絞ってアリゾナ大へと進む。「どちらが自分に向いているか、どちらが好きかで選んだわけじゃない。バスケはバレーより桁違いに稼げる。バスケで食っていくという判断だった」と彼は振り返る。

それでも29歳でNBAプレーヤーとしてのキャリアが頓挫した時、彼はバレーボールにセカンドキャリアを見いだそうとした。「バスケのコートで年間82試合をこなすのは、僕の身体にはもう無理だった。難しい決断だったけど、僕は競技者であり続けることを選択した。砂浜は膝や足首への負担が小さく、ケガと付き合う比率が少なくて済む。それでビーチバレーを選んだ」

彼にとってビーチバレーは馴染みのある競技だった。彼の実家はビーチに面しており、オフに帰省すると旧友たちとビーチバレーに興じた。「オフシーズンのトレーニングみたいなもので、大会にも参加していた。いろんな人に『プロでやっていけるぞ』と言われて真に受けたんだ。プロツアーに出るようになって、いかに自分が未熟かを思い知らされたけどね(笑)」

2017年でプロバスケ選手のキャリアに終止符を打った彼は、ビーチバレー向けに10kgほど体重を減らす肉体改造をして、その翌年から主要大会に出場し始め、2019年には「オリンピック出場を目指す」と宣言している。東京オリンピックは準備期間が短すぎたが、マイルズ・エヴァンスとのコンビは昨年のプロツアーで全米2位、世界13位へと躍進し、パリオリンピック出場権を勝ち取った。

「NBAでは競技に打ち込む姿勢を学び、それをビーチバレーに生かした。好きで始めた競技だけど、娯楽でやるわけじゃない。プロとして、仕事としてプレーする以上は、練習と試合以外の時間も体調を管理して適切な食事をとり、映像を見るのが生活の優先事項だ。それをパートナーにも伝えて、協力してここまでやってきた」とバディンジャーは語る。

そして彼はNBAを経たことのメリットをもう一つ挙げる。「お金だよ。僕は昔に一稼ぎしたから、金銭面の心配をせずビーチバレーに打ち込むことができる」。マイナー競技の選手は、オリンピアンであっても経済的に厳しいケースが少なくない。相棒のエヴァンスはコーチで生計を立てながら競技を続けている。バディンジャーはウルブズに移籍する時に3年1500万ドル(約23億円)の契約を手にした。NBA選手だった知名度のおかげでスポンサーも集まりやすい。バディンジャーはそのメリットを享受しつつ、『プロとして』の責務を果たすつもりだ。

「オリンピック出場は僕のアスリートキャリアにおいて最高のハイライトになるだろう。でも、出場するだけで満足してはいけない。今こそ世界を驚かせ、金メダルを手に入れるんだ」