今まで「大変な時にはスポーツどころでない」とか「不謹慎だ」という考えを持つ人がいたかもしれない。しかし今季の熊本ヴォルターズを見れば、考えを改めるに違いない。「こんな時」だからこそ、スポーツは人々の力になる。チームを取材して、そして湯之上聡社長の話を聞いて、そんなことを考えさせられた。
昨年4月、熊本県内では震度6以上を観測する地震が7度も発生した。4月14日に最大震度7(マグニチュード6.5)の前震が起こり、16日未明にはマグニチュード7.3の本震が再び同地を襲った。住宅の全壊は8204棟、半壊は3万390棟におよび、NBLラストシーズンの終盤戦を戦っていたヴォルターズも終盤の6試合を中止にせざるを得なかった。
それでもヴォルターズは復活し、Bリーグの初年度を堂々と戦っている。シーズン序盤には13連勝という快進撃も見せた。交流戦に入ってやや星を落とし、現在はB2西地区の3位だが、島根スサノオマジック、広島ドラゴンフライズと微差。今後の奮起によってはプレーオフ進出、昇格も目指せる位置だ。観客動員も好調で、B2最多の数字を記録している。
熊本の復興は途上で、チームにもその傷痕は残っている。それでも彼らは震災の惨禍から立ち上がり、熊本の人々とともに戦っている。ここまでの苦闘とこれからの希望について、湯之上聡社長に語ってもらった。
私自身もヴォルターズも「益城に育ててもらった」
――まず震災の直後の話を聞かせてください。どんなことを考え、どう行動したのですか?
正直に言うと、地震までも順風満帆な会社運営ではなく、入場料収入だったり、各節の冠スポンサーだったり、そういった収入で何とか毎月やりくりをしている状況でした。試合がなくなったことで入場料収入もスポンサー収入も見込めなくなり、「お金が足りません」ということを発表しました。
──それが震災から半月後の5月1日のことですね。
その時は常務兼GMの西井(辰朗)とも「ちょっとダメかもしれない」という話はしていました。チームの本拠地が益城町(熊本市の東隣、最も被害の大きかった地域)でしたし、私自身も益城で教員をしていたという関係があります。私自身もヴォルターズも「益城に育ててもらった」という思いが強かった。できることは一番の被災地である益城のために行動をすることだったし、逆にそれしかできなかったというのが本当のところです。
――お客さんもスポンサーも被害を受けているわけですから、まずシーズンに参加するための資金的なやりくりが厳しかったと思います。
地震直後に「厳しい」ということで、リーグに相談をさせてもらいました。NBLに「何とか助けてほしい」という支援のお願いをすると同時に、全国にもTwitterやFacebook、ホームページで発信し、地元の新聞を通じても発表させてもらいました。支援を募っていく中で、全国的にもご支援が集まりました。
5月の終わりか6月の頭だったと思いますが、NBLからは内々で「決算が閉まらないと正確な額は分からないが、1000万円程度の支援はできそうだ」という承認をいただき、「存続できます」と発表できました。それでも、スポンサーさんも被災されているので、来シーズンは難しいという話も数社からありました。チームを続けられるのかどうか分からない中、自分たちができることをやっていたという感じです
――NBLからの1000万円は融資でなく純粋な支援という形ですか?
支援です。NBLは解散することが決まっていたので、リーグの理事会の承認を得る必要があるが、それぐらいの余剰金が出そうだということでした。他チームへの配分金が減ることにはなるのですが、他のチームのご承認もいただいて、支援を得ることができました。NBLからのご支援と、全国の皆さまからの寄付などを合わせ、総額で2600万円か2700万円は集まりました。
――Bリーグに参加できるメドが立った時期はいつ頃ですか?
6月の頭に「開幕までのメドが立ちました」と発表しました。ですが、その時点では規模を縮小してやるしかないなというところでした。しかし日を経るごとに熊本の状況も変わってきたし、「こういう時だから応援、支援をしなければいけない」とスポンサーさんも立ち上がってくれて、徐々に状況が好転していきました。
ここまでお客さんが来てくれるとは予想していなかった
――熊本県立体育館が改修を行っていた関係で、益城町総合体育館がホームアリーナになっていました。練習もそこでやっていたと聞いています。
今は転々としていますけど、震災前は週5日の練習をすべて益城町総合体育館でやっていました。
――益城の施設は今どのような状況になっていますか?
まだ使えないです。体育館が北東の方向に15センチくらい沈んでいて、ボールを置くと転がっていく状態です。建て直すか、今の施設を直すのかを判断するための国の調査が入っていますが、いずれにしても数年はかかると聞いています。
――現在の練習場はどうなっていますか?
菊池市なので、事務所からだと片道1時間くらいかかります。練習場はやはり震災の影響として大きいのかなと思います。
――ホームアリーナの熊本県立体育館も影響はあったと思いますが?
大アリーナは最優先で復旧してもらったのですが、中アリーナと小アリーナ、駐車場が使えないという状況でした。当初は水道も使えず、開幕戦は仮設のトイレを用意してもらいました。駐車場と中アリーナは復旧しましたが、小アリーナは今もまだ使えません。
――そんな苦しい状況ですが、今季は入場者数が平均で2000人を超え、B2最多です。これをどう受け止めていますか?
いろんな影響があって、今シーズンは増えています。正直、ここまでお客さんが来てくれるとは予想していませんでした。テレビなどメディアのおかげで目に触れる機会が増えて、関心も集まりました。そんなこともあって開幕戦は4300人に来ていただきました。
――熊本は昨年まではNBLに参加していましたが、Bリーグになって2部に振り分けられました。この『差』はどう感じていますか?
熊本自体は震災でメディアに注目されているので、発信してもらっている方だと思います。ですが、もうちょっとB2もリーグとして取り上げてほしい、メディアにも取り上げていただきたいという思いはあります。
感じていることを率直に言うと、並列だったbjリーグとNBLが一緒になって縦割りになって、リーグとしてはB1に注力していて、B2との格差が広がっているような感じはあります。もう少しB2を取り上げてもらえると、地域のバスケットへの関心、バスケット全体が上がっていくのかなと感じています。
我々は環境を作る、選手はコートで力を発揮してほしい
――B1の西地区は熊本と島根、広島の3チームが1ゲーム差で激しく争っています。チームの雰囲気、昇格の手応えを社長としてはどうお感じになっていますか?
ドキドキハラハラしているような状況ですね。だけど小林慎太郎を中心に、本当に選手たちが頑張ってくれている。去年からいるメンバーは震災を経験して、いろんなことを感じています。被災地に入っていろんな支援を続けてきた関係もあって、「熊本のために」とか「被災地の皆さんのために」という目的が一人ひとりの心の中にあります。それが良い方向に向かって、結果につながっていると僕らは感じているし、選手たちもそう感じていると思います。
交流戦に入って若干負けが込んでいますけれど、あの震災を乗り越えたんだから、このピンチも乗り越えていけると感じています。ぜひ昇格して、みんなで喜びたいです。いろんな壁、困難はたくさんありますが、それをみんなで乗り越えるために、フロントは選手たちを取り巻く環境をしっかり作っていく。選手たちはコートで120%の力を発揮してほしい。あとはやるだけです。
――3月末にB1ライセンスの発表がありますが、審査の現状はどうなっていますか?
「文書で来季の計画を出してくれ」というところまでは来ています。債務超過の解消だとか、5000人収容のアリーナの目途だとかは、問題なくクリアしているという認識です。準備は進んでいますし、リーグにも認められているとの感触を得ています。
――震災後の熊本に残った選手、スタッフの思いをどう感じましたか?
選手は5人が残りました。そのうち小林と高濱(拓矢)の2人が熊本出身です。ヘッドコーチの保田(尭之)、アシスタントコーチの岐津(将平)は、1カ月間も益城町の体育館に泊まり込みで支援活動をしていました。そういう思い入れは強いですし、そういう男気ある選手5人とスタッフが残ってくれました。
――ヴォルターズが震災後の地域に貢献できるのはどういう部分だとお考えですか?
僕自身、2008年に無謀にもお金も人脈も選手もない中でチームを立ち上げました。なぜヴォルターズを立ち上げたかと言えば、子供の夢を作りたいということと、熊本に感動を届けて熊本の人に元気になってほしい、そしてバスケットを中心に人と人がつながり合って、豊かな環境ができればいいと思ったからです。
僕らの目的はハッキリしていたんですけれど、チームが立ち上がって目の前の資金繰りがあり、チームの負けも込んでいる中で、活動を続けていくことを優先する感じもありました。ただ、震災が起きたことによって、子供の夢を作って、熊本に感動を作って、人と人のつながりを作るために、熊本ヴォルターズは存在しているんだと、あらためて感じました。その目的を達成するために、僕らは頑張らなければいけないと強く思います。
――熊本の方以外も読んでいると思いますが、最後にもし何かメッセージがありましたら。
僕らは地道に活動してきて、おかげさまで立ち直らせてもらいました。今は一歩一歩頑張っています。熊本で震災があったことをバネに、これからも頑張っていきますので、応援をよろしくお願いします。