世戸陸翔

急激な成長曲線を描いた不器用なビッグマン

世戸陸翔なくして福岡第一高校のウインターカップ制覇はなかっただろう。故障者が相次いだチームにあって試合に出続け、「体育館での練習も試合も自分が一番出たと思います」と『無事これ名馬』を地で行く存在。不器用ながら、入学後に一つひとつ武器を身に付け、大会ベストファイブにも選出された。卒業後は関東大学リーグ1部に所属する日本大学へ進学予定。高校同様に愚直に努力を積み重ねて強豪チームでポジションを狙う。

217日。創部30周年と全国大会優勝の祝賀会で、世戸は1カ月半ぶりに同級生と顔を合わせた。互いに伸びた髪を見て引退を実感した。「寮生活をしていたころと変わらずみんな元気でよかった。大人になり始めているなという感じがしますね」

ブレザーを奈良県の自宅に忘れて、後輩に借りたのはご愛嬌。激闘を制して日本一に登り詰めた立役者は、残り少なくなった仲間たちとの語らいを楽しんだ。

年明けから地元に戻った。中学時代の恩師に優勝を報告し、所属していたクラブチームの練習に参加。地元のバスケ仲間たちからは「ホンマに優勝したんか?」といじられたが、プレーで答えた。「自分の小学生時代を知っている人たちからすると、あり得ないと思われても不思議じゃないと思う。でも、一緒にバスケットをして分かってくれたみたいです」

数多くのBリーガーを輩出した井手口孝コーチにとっても、世戸の成長カーブは予想以上のものだった。世戸は中学3年時、東山高校に進学した同郷の飯田流生と福岡第一の練習に参加。井手口コーチは当時からセンスを感じさせた飯田ではなく、不器用なビッグマンにひかれたという。「世戸のほうが福岡第一らしいプレーヤーでした」

世戸陸翔

ルームメートのケガに「覚悟が決まった」

井手口コーチは「アピア(パトリック眞)がケガで離脱して、責任感が出てから大きく伸びたよね」と続けた。世代別日本代表にも選ばれていたアピアは、3月の九州大会で左膝の前十字靱帯を断裂した。世戸はこれを受けて、チームが今年のテーマにしていたリバウンド強化を、同期でルームメートでもあるアピアの分まで担うと決めた。「4番ポジションは自分しかいないと覚悟が決まりました」。

BリーグやNBAの動画で、リバウンドの入り方を意識的に見て真似た。2022年のウインターカップで開志国際高校の優勝に貢献した武藤俊太朗(明治大)も手本にした。「泥くさいプレーも3ポイントシュートもリバウンドもできてすごく尊敬しています。まだ到底およばないんですが、新チーム発足当初から目標にしてきました」。

夏以降はオフェンス面も進化。東山に完敗してベスト4に終わったインターハイ終了後には、定評があったミドルレンジのジャンプシュートに加えてフローターを習得した。朝練からジャンプシュートと交互に打ち続けて磨いたシュート。井手口コーチも「『入らないなら打つな』と言った時期もあったけど、練習して入るようになったから止める理由がないよね」とその努力を認めた。

9月に入ると、得点への意識はさらに高まった。崎濱秀斗や森田空翔らのケガを受け、井手口コーチから『お前がやるしかない』と言われ、「普段意識しない部分まで意識してプレーするようになりました」。『U18トップリーグ』では平均16.7点で得点ランキング2位に輝いた。

11月のウインターカップ予選決勝で、福岡大学附属大濠高校に敗れた後には、高校では封印していた3ポイントシュートも解禁。「ウインターカップまで1カ月ぐらいでしたが、良い感覚がつかめました」と振り返るシュートは、3回戦の東海大学附属諏訪高校戦で4本試投し3本成功。かつての進学候補であり、「自分なりにライバル視していた存在だった」という佐藤友を擁する準々決勝の東山戦でも4本中1本決め、チームトップの17点を挙げた。

決勝までの6試合を戦った後も「まだ試合ができる」と言えるほど余力があった。アピアも本番に間に合った。「1人も欠けず全員が揃って優勝できてうれしかったです」と、改めて優勝の感慨にひたった。

世戸陸翔

夢だった関東大学リーグ1部へ挑戦「バスケット人生を懸けます」

関東1部でプレーするのは、中学時代からの夢だった。日大を選んだのは同ポジションのライバルが多く、競争が一番激しそうだと感じたから。「今後のバスケット人生を懸けます。生き残れたらBリーグ、プロという未来があるかもしれません」。同大の新4年生には、中学3年生から憧れている米須玲音がいる。「一緒に試合に出られたらうれしいです。自分にとって『テレビの中の人』という存在ですから」と控えめに意気込んだ。

大学進学に備える現在は、時間を見つけてフィジカル強化に取り組んでいる。3年夏から冬にかけて、ジャンプやコンタクトに必要な臀部やディフェンスで必要とするハムストリングを重点的に鍛え、83キロから87キロまで増量に成功。試合でもその効果を実感した。「大学生は高校生と体つきが違う。技術もすごく大事だと思っていますが、まずはウエートトレーニングを重視しています」と話し、ジムに通う日々を過ごしている。

福岡第一に入学した当初は、レベルの違いに自信を失ったという。「体格も違うし、正直怖かったです」。ターニングポイントとなったのは2年生の夏。これまで以上の厳しいランメニューを乗り越え、「3年生に負けない走力がつき始めた」と自信がついた。

最後の1年は大きな故障もなかったが、井手口コーチから忘れられない『特別扱い』を受けたことがある。夏のインターハイ直前、森田と練習を外された。井手口コーチは疲労を抜くためだったと意図を説明したが、世戸は「怒られて本当に怖かったんですよ。絶対違うと思います」とこれを否定している。

当時の心境を思い出すと、恩師の『配慮』を今も信じられないでいる。ただ、成長の場を与えてくれた井手口コーチへの感謝は尽きない。「第一に入っていなかったら日本一という経験もないし、今の自分はありません。他のチームでは味わえないことが味わえてよかったです」。

崎濱と山口瑛司のダブルキャプテンは、新チームが発足した元日に「日本一になる年の福岡第一にはいい4番がいる。世戸とアピアがやってくれると思う」と話した。2023年度の福岡第一は世戸の成長とともに強くなった。