粟津雪乃

昨シーズン、東京羽田で活躍後に引退、セカンドキャリアは恩師の下でコーチ業を選択

Jr.ウインターカップは1月7日、男女の準決勝が行われた。女子の四日市メリノール学院と京都精華の対決は、リバウンド数で63-22とゴール下を支配した京都精華が82-48で快勝した。

この結果、四日市メリノール学院は夏の全国中学校とU15年代2つの主要大会をともにベスト4で終えた。日本一に届かなかった悔しさはあるだろうが、今年も機動力とボールムーブに長けた質の高いチームバスケットボールを展開していた。

チームを率いる稲垣愛ヘッドコーチは、U16日本代表のアシスタントコーチを務めるなど中学生年代を代表する指揮官として名高い。稲垣コーチのサポート役として、今シーズンから新たに加わったのが粟津雪乃アシスタントコーチだ。

粟津コーチは、稲垣ヘッドコーチが四日市メリノール学院の前に在籍した四日市市立朝明中で全中準優勝を果たした時の中心選手。その後、桜花学園に進み、3年時には主力として同級生の馬瓜ステファニー、1学年下の山本麻衣らと共にインターハイ、国体、ウインターカップの三冠達成に貢献した。

このようにエリート街道を歩んできたが、高校卒業後に加入したWリーグのデンソーアイリスでは右膝の故障に苦しみ満足にプレーできなかった。デンソーを退団した後、愛知学泉短大を経て東京羽田ヴィッキーズに2021年に加入すると、昨シーズンは25試合出場で平均9.1得点、3.8リバウンドと活躍したが、シーズン終了後に25歳の若さで引退した。

この粟津が、セカンドキャリアに選んだのは恩師である稲垣コーチのいる四日市メリノールでのコーチ業だった。今は稲垣コーチと共に中学、そしてウインターカップに出場している高校の両チームに関わっている。

「(コーチになろうとは)あまり考えていなかったです。でも、もともと子供たちと一緒にやったりすることは好きで、寮母さんとか裏方さんができたらと思っていました。そこに(稲垣)愛コーチが手伝ってくれないかと言ってくれたので、恩返しの意味も込めてです」

このように経緯を明かす粟津コーチは、自身の役割について「子供たちが愛コーチの考えているバスケットに少しでも近づいてくれる手助けをする。優勝が目標ですが、バスケット以外の部分でも愛コーチが求めているモノを子供たちができるようになるためにバックアップをしてきたいです」と続ける。

粟津雪乃

稲垣コーチ「スター街道をずっと歩んできた訳でないからこそ、苦しんでいる子の気持ちも分かる」

恩師である稲垣ヘッドコーチは、粟津コーチについて次のように期待を寄せている。「(179cmであり)留学生役もやってくれますし、子供たちに細かいアドバイスもできます。そしてケガで苦しんだ子でした。スター街道をずっと歩んできた訳でないからこそ、同じように苦しんでいる子の気持ちも分かる。メンタルサポートもやってくれて非常に助かっています。そういう意味でも彼女の存在は大きいと思います」

そして、粟津コーチも自身が故障で辛い思いをした経験を、サポートに生かしたいと強く意識している。「今はケガをする子も多いです。自分は故障による長期離脱を2回経験して、後ろ向きな気持ちになって何回も辞めたいと思ったことがありました。だからこそ、ケガをした選手が少しでも前向きになれる手助けをしたい。最後、メリノールに来て良かったと思えるサポートができればと思います」

今の彼女は、自身をコーチというより、「みんなのお姉さんというか、子供たちよりちょっとバスケットを知っていることが多い分、それを教えてあげられたらという意識です」と捉えている。そして、稲垣ヘッドコーチが大切にする『勝ち負けではなくて、良い顔で終わる』という彼女が中学生だった時と変わらない教えを1人でも多くの選手が体現し、「コーチの求めていることを最後に出し切れるように押し上げていきたい」と考えている。

そして、新しいキャリアの1年を終えた率直な思いをこう語る。「新しい一年でしたけど、羽田にいた時の先輩とかいろんな人が『見ていたよとか、すごかったね』と声を掛けてくれました。その時に自分の選択は間違っていなかった、ここでやってきて良かったというのはあらためて思いました」

主力として高校三冠を経験する一方、高卒からのWリーグ入りも故障で挫折。その後、短大を経てのWリーグに再加入など、現役時代の粟津コーチは山あり谷ありのキャリアだった。だからこそ、いろいろなタイプの選手に寄り添える指導者になれる資質を彼女は備えている。稲垣ヘッドコーチとの師弟コンビで四日市メリノール学院のさらなる進化に貢献するはずだ。