U15世代の選手育成に取り組みながら、今年5月に民間の体育館建設を成し遂げた『バスケ馬鹿』がいる。群馬県のクラブチーム『無限 NO LIMIT』の堀田享代表だ。家業の和菓子屋を営みながら、各カテゴリーのバスケットボール選手を約20年間にわたって指導。近年では男子日本代表にも選ばれた川島悠翔(NBAグローバルアカデミー)を育てたことでも知られている。このインタビューでは指導の道を志したきっかけや、『無限 NO LIMIT』の方針、『X PARK1510(クロスパーク一期一会)』と名付けた体育館が誕生するまでのエピソードなどを語ってもらった。

母校の指導をきっかけにミニバス、中学、ジュニアクラブでコーチを歴任

——自己紹介をお願いします。

群馬県佐波郡東村、現在の伊勢崎市で小学校5年生からバスケットボールを始め、54歳になります。東海大学を卒業後、実業団2部の丸紅に3年間在籍しました。その後、結婚を機に地元に戻って実家の和菓子屋で職人として働き、ミニバス、中学、高校を指導しながら、2008年にジュニアクラブチーム『無限 NO LIMIT』を立ち上げて現在に至ります。

——指導に携わるようになった経緯をうかがえますか?

丸紅をやめた後、地元でも国体やクラブチームでプレーしていたのですが、実業団まで経験して地元に戻ったということもあって「指導をしてほしい」と声をかけられるようになりました。その中で、母校の高崎商業高校の女子バスケ部からの依頼を受けてコーチを始めたのですが、コーチに就任して2年くらいして仕事が忙しくなりました。インターハイに連れて行けたら退任しようと決め、そこから1年でインターハイに連れて行くことができたので、高校の指導から離れてプレーヤーに戻りました。

数年して、今度は私が在籍していたミニバスの保護者から指導を頼まれたんです。「地元に貢献しなさい」という親のすすめもあってコーチを受けることになったんですが、さらに5年くらい経ってから、中学生になった教え子がウチの店に来て「中学に上がってから勝てなくなったので、1週間に一度でいいから見て下さい」と頼まれたんです。そして、ミニバスと並行してそのチームの外部コーチとして指導にあたりました。その4〜5年後に中学一本に絞り、また5年後ほどで『無限 NO LIMIT』を立ち上げ、中学チームとかけもちで指導しました。息子が中学バスケ引退のタイミングでクラブチームの指導一本にしました。

——お仕事をされながらチームを掛け持ちで指導するのは大変なことだと思います。本当にバスケットが好きなのですね。

とにかく自分がプレーすることが好きでした。バスケットが好きだからクラブチームでもどこでも出たし、どんなローカルの大会にも出たいと思っていました。指導者に本格的にのめりこんだのは中学を見るようになってからです。中学世代は練習の仕方次第で大きく変わると知り、指導方法を学びたい、情報を得たいという姿勢が芽生えました。私自身は身体が動かなくなりますが、子供たちはどんどん上達します。試合に勝ったり、教えたことができるようになったり。教える喜び、楽しさを知りました。人間、褒められたほうがうれしいですから。保護者や子供たちに頼られる気持ち良さがあったのかもしれないですね。

「これしかできない」でなく「どんなスタイルにも対応できる」状態で次のカテゴリーへ送り出す

——『無限 NO LIMIT』はどのようなチームですか?

もう亡くなられた先輩と立ち上げました。とにかくバスケットって楽しいものだから、楽しくやろうというところがスタートでした。その中でブラッシュアップした理念は『楽しく、真剣に』です。スポーツは楽しいからやるわけで、絶対に忘れちゃいけないけど、真剣にやることによって初めて得られる楽しさもあるということを伝えようとしています。

——OBには福岡大学附属大濠高校を経てNBAグローバルアカデミーで奮闘中の川島悠翔選手もいます。

彼は小学6年の2月ぐらいに入団してきた当時から身長が大きかったですね。ただ、大きい子を大きいポジションで育てることはしたくなかったです。この子の可能性にどれだけのものがあるのかはやってみないと分からないので、親御さんと「本人がやりたいのならばいろんなことをやらせてみよう」と話して、これから身長がさらに伸びようが止まろうが、いろんなことができるように準備はしましょうということになりました。

——そういった方針が川島選手の成長を促したのですね。

ウチのチームですべてを教えることはできないし、完全なプレーヤーにできるわけではありません。世の中にはいろんな考え方の先生や指導者がいるので、凝り固まって「これしかできません」ではなく、ニュートラルな、誰にでも対応できるような状態で送り出したいと考えて選手を指導しています。基本的にはオフェンスはフリーオフェンス、ディフェンスだけはチームとして1つや2つ約束事を決めています。それが良い時もあれば悪い時もありますが、川島に関してはフリーでやらせたことが生きて、いろんなことができるようになったのかなと思います。

——近年は『無限 NO LIMIT』のようなクラブチームが増えてきました。ジュニア指導の形は大きく変わっている印象を受けます。

群馬もようやく状況が変わりつつあります。私どもが月謝制のクラブチームを立ち上げてから15年経ちますが、最初の頃はお金を払って指導を受けるというやり方に抵抗がある方が多かったと思います。学習塾なら月々2〜3万円は払って当たり前でも、バスケットに対しては払えないと。お金を出してもいいと思わせるような指導やチームになっていかないと、コーチ業だけで生計を立てるのは難しいと思います。

——今後のジュニア世代の育成に必要なことはどんなことだと思いますか?

指導者をもっと育成しないと今後の日本のバスケットは怪しいと思っています。子供たちがYouTubeなどで情報を得てスキルを覚えたりしても、指導者が追いついていないと言いますか、指導者の情熱と子供の情熱が釣り合っていないと感じることが多々あります。今まで以上に、指導者に対しての指導や勉強会が頻繁に開催されて、良い情報を共有できるような環境を作らなければいけないと思っています。

私は50代半ばになり、これから全国行脚しながら指導するというのは不可能なので、体育館という『場』を提供することで貢献したいですね。指導者育成イベントにウチの施設が使われたり、逆にウチが開催したりして指導者育成の文化を作っていく。子供たちだけへのクリニックではなく、いろんな指導者を呼んで、指導者へのクリニックをやれたらいいなと思っています。