今年10月、広島ドラゴンフライズはクラブ創設から10周年の節目を迎える。財務状況の悪さを理由にBリーグ初年度をB2で迎えたクラブを試行錯誤しながら成長させ、『東高西低』、『地方クラブは上位で戦えない』といった定説を覆した立役者の1人が、2016年に社長に就任した浦伸嘉だ。自らの故郷である広島のバスケットボールの発展を目指し、奮闘を続ける浦社長に、ここまでの歩みと今後の展望を聞いた。
「現在は『正のスパイラル』に入り始めているんじゃないかなと感じています」
──今季で社長就任8年目を迎えます。これまでの歩みを振り返ってみていかがですか?
この7年、大変なこともいろいろありましたが、就任した当時に思い描いたイメージにかなり近づいてきたなという印象があります。オファーを受けた時に『こういうことをしっかりやっていけばこうなるだろう』と考えてきたことが想像通りに実現しているというか。むしろもっと発展していても良かったと思うくらいです。
──就任当初に描いていたイメージについて、具体的にうかがえますか?
1つはバスケットボールの価値を上げることです。私が現役だった頃、日本にはbjリーグとNBLという2つの男子リーグがありました。それぞれ皆さんが一生懸命盛り上げられていたと思うんですが、当時は「競技大会」と言いますか「誰が1番強いか」、「誰が1番うまいか」というロジックが今より強かったと思っていて、実際にNBLのチームよりbjリーグのチームのほうが好きという方もいました。ただ、強い、弱いよりも興行としてお客様が満足するかどうかがプロスポーツは大事だと思っています。その考え方が生まれ、興行が成り立ってきたという点でイメージ通りかなと。
ビジネス的な面でもかなりイメージ通りに来ています。ドラゴンフライズは現在6期連続で黒字ですが、このおかげで若手の良い選手を獲得したり、専用練習場とトレーニングルームが併設された『ドラフラベース』を建設するなど未来に向けた投資ができるようになってきました。現在は『正のスパイラル』というものに入り始めているんじゃないかなと感じています。
──正のスパイラルが生まれるにあたって、2018年に親会社となったNOVAホールディングスの存在は大きかったのではないでしょうか。
NOVAホールディングスが親会社になった事により、全ての面で大きな成長に繋がりました。ここまでの急成長はNOVAホールディングスのサポートのお陰と言っても過言ではありません。それに加えて広島にチームを作ったということ自体が良かったと思います。広島はカープさんの試合がある日は広島駅でみんながカープの応援をしているし、球場近くのローソンが赤くなります。さらにサンフレッチェさんもあり、もともとのスポーツに対する県民の愛が非常に高いという地の利がありました。
そういった中で、我々は自治体、県のバスケットボール協会、地元のメディアをとても大切にしています。この三者のクラブに対する理解が深まれば深まるほど県民からの信頼が上がると考えているからです。役所や地元メディア、県協会が「ドラゴンフライズを応援しています」となれば、県民のみなさんも「このチームは安心して応援できる」って思えるじゃないですか。まずはそういうところの信頼度を積み上げてきたからこそ、スポンサーを務めてくださる企業さんにも価値を感じていただけているのかなと。来シーズンでクラブ創設10シーズン目、僕は社長就任8年目になりますが、少しずつコツコツやってきたことが今こうして形になり、現状があると感じています。
──広島を象徴する広島東洋カープとはどのような関係性を築いていますか?
去年初めて『カープコラボデー』を実施しました。新井貴浩監督に始球式を行ってもらい、選手にもご来場いただいた上で、カープの名物ダンスをうちのダンスチームが踊ったり、シュートが入った時の音響をカープの応援歌にしたりしました。3ポイントシュートが入って「カープ、カープ、カープ、広島〜」って曲が流れると、会場の皆さんは何も言われずとも「広島カープ〜」って歌われていましたね。
広島県民は100%カープファンなんじゃないかっていうくらいカープさんは人気があるので、もともとお金を払って試合を見に行ったりグッズを買ったり、その雰囲気を楽しんだりできる人たちがいるというのはありがたいことですね。試合以外のところではカープさんが運営している『メタカープ』という仮想空間の一角にドラゴンフライズのブースを出させていただいたり、コラボグッズを販売したり、とても可愛がっていただいています。来シーズンはカープのファンクラブに加入している6万人ぐらの方に我々の試合のオファーを出させてもらうことになっています。カープも昔、資金難など大変な時期を経験しているからこそ、我々を盛り上げてくださっているとのことで、とても広島らしい取り組みだなと思います。
「泥臭いことを頑張ってる人を応援しようというところが広島県民にはある」
──浦社長の考える広島の県民性とはどのようなものですか?
75年前、広島には原子爆弾が投下され推定14万人が命を失いました。しかし、僕らのご先祖様がそこから立ち上がって、戦争には負けたけど魂は決して屈しなかった。だからこそ広島は復興できたと思っています。それに加え、僕は広島の人々には『寛大な心』があると思います。原爆によって凄惨な経験をしたにもかかわらず、過去を恨むのでなく未来を向いてきたのが広島県人だと思っています。
ドラゴンフライズには『HIROSHIMA PRIDE』というクラブ理念がありますが、これは上記のような県民性を受け継いでいきたいという思いから生まれたモノです。例えば、試合が終わったらアウェーの選手が退場する時にスタンディングオベーションをし、相手をリスペクトすることもその1つです。チームもそうですが、営業などでも絶対にあきらめません。そういう広島らしいところを表現し、それを広島県民の皆さんに応援していただいている。泥臭いことを頑張っている人を応援しようという文化は県民性の中に確実にあると思います。
──順調にクラブを成長させているかと思いますが、その過程では大変なことも多々あったかと思います。
本当にいろいろありました。そもそも僕が社長を引き受けたタイミングでクラブには2億2千万円の赤字があり、これを理由にBリーグ初年度はB2からのスタートでした。何でそんなクラブの社長を引き受けたのかというと、Bリーグができると分かった時に「そんなこと(財務状況)でこのクラブがなくなるようだったらバスケ界は一生ダメになる」と思ったからです。そこの賭けに自分のすべてを張ったという感じでしょうか。そういうところからのスタートだったのですべてが大変でしたけど、クラブが上がっていく過程のことだったので、振り返れば大した問題ではありませんでした。
──浦社長を駆り立てた原動力は何だったんでしょうか?
1つは広島出身なので、とにかく広島を盛り上げたいという思いです。もう1つは日本のバスケ選手の優秀さを世界に証明したいという思いです。
野球もサッカーも、日本人選手が当たり前のように世界で活躍するようになっていますが、これは選手を育てる環境が整っているからだと考えています。一方で、バスケットボール界は長らく環境が整っていなかったから良いリソースが伸びなかった。以前、現場側にいた身としてそれをすごく感じました。例えば、高校野球で日本一になってドラフト1位指名で入団したら、1億円クラスの契約を結ぶことができますが、バスケはそうではなかった。以前に私が指導していた選手が、次のカテゴリーで日本一を取ったことがありましたが、当時は残念ながら世間的に大きな価値は感じられませんでした。広島を盛り上げたいという気持ちと、日本人バスケット界の優秀さを世界に証明したいという気持ち。この2つが私の原動力となっています。