原修太

「昨シーズンまでは外国籍選手とマッチアップする場面があまりなかったです」

千葉ジェッツの原修太は先日の『B.LEAGUE AWARD SHOW 2022-23』でベストファイブとベストディフェンダー賞を受賞した。

原にとって『ベストディフェンダー賞』はずっと目指していた目標の一つだった。しかし「もともとスティールとかブロックも別に多いわけじゃなく、スタッツに表れないのでみんなに印象を与えるしかなかった」と言うように、数字以上のインパクトを残す必要があった。

実際にベストディフェンダーの投票で2位のジョーダン・ヒースはリーグトップの平均1.8ブロックショットを記録し、得票数4位の河村勇輝はスティール数でリーグ6位とディフェンスに関するランキングでトップ10に名を連ねている。得票数3位の藤井祐眞はスタッツこそトップ10入りしていないが、無尽蔵のスタミナから繰り出す粘り強いディフェンスやハッスルによって、同賞を3年連続で受賞している実績を持つ。

今シーズンの原は出場した59試合すべてに先発し、平均28.00分のプレータイムで10.1得点、1.8リバウンド、2.6アシストを記録。ディフェンスに関する数字は0.7スティール、0.3ブロックと突出していない。それでも、2位のヒース(116ポイント)を大きく上回るぶっちぎりの得票数(528ポイント)で同賞を受賞できたのは、1番から4番まで誰でも守れるディフェンス範囲の広さが評価されたからこそだ。

千葉Jの指揮官、ジョン・パトリックはレギュラーシーズンの序盤から原のディフェンス力を高く評価し「ダントツでリーグで一番良いディフェンダー」と称賛していた。原も「ジョンさんはずっと言ってくれていたし、ヘッドコーチがそうやって評価してくれているのはうれしかったし、やりやすかったです」と指揮官の期待に応え続けた。

そして原は、一見するとミスマッチに思える状況でも自身にマークを任せてくれたからこそ、ベストディフェンダー賞を受賞できたと言う。「基本的に外国籍選手に対しては外国籍選手がついた方がいいという概念があります。それに不満はなく、昨シーズンまではチームで連動して守ることが多く、外国籍選手とマッチアップする場面があまりなかったです。でも今年はそういう機会が増えて、自分の中でも抑えられる回数が増えてきてから意識するようになりました。ジョンさんが原はそのままでいいと言ってくれてすごく任される部分があったからかなと思います」

原修太

「僕が良くても他の選手がやられるからあまりスイッチをしないことになっていました」

指揮官からの信頼を獲得し、コンスタントに外国籍選手とマッチアップする機会を得たことで、原のディフェンス能力は開花したと言える。だが原は自分の能力だけでなく、チームメートの存在がなければこの賞を受賞できなかったと強調した。それはきれいごとで言っているのではなく、実際に周りに高いディフェンス能力を持った選手がいなければ、今シーズンのディフェンスシステムを貫けなかったからだ。原は言う。

「1番大きいのはヴィック・ローだったりクリス(クリストファー・スミス)だったり(佐藤)卓磨だったり、みんなスモールなガード陣にもつけることです。今までだったら僕が良くても他の選手がスピードのミスマッチでやられるからあまりスイッチをしないことになっていました。本当に他の選手がいたからこそ、僕がいただけたのかなと思います」

受賞の喜びを誰に伝えたいかとの問いに対し、原はチームメートと答えつつ、特に佐藤の名前を挙げた。佐藤はそのディフェンス力を評価され、2020-21シーズンに千葉Jに加入して以降ずっと先発を任されてきた。しかし、今シーズンは3ポイントシュートが低調に終わり、『3&D』としての役割を全うできず中盤から先発を外された。それでも原は佐藤の献身的なプレーに救われ、自身が好パフォーマンスをする上で欠かせない存在だったと語った。

「同じポジションでスイッチする回数も多いですし、卓磨じゃなかったら僕がチェイスするしかない場面もあったり、卓磨とやっている時が1番良いです。僕がやらないルーズボールにあれだけ行くデカいやつはいませんし、その分自分がディフェンスにフォーカスできました。彼が苦しいシーズンを送っていたのは分かります。もしかしたら、卓磨の方がディフェンスが良いと言われていた反骨心で頑張れたのかもしれないです」

仲間の存在が原をリーグ屈指のディフェンダーへと昇華させた。そして、屈強な外国籍選手を一人で守れ、さらに一定の得点力も持ち合わせているからこそ、原はレギュラーシーズンのベストファイブも受賞するに至った。「ベストファイブは驚きの方が大きい」と、予想外の受賞だったというが、「チームが勝った中でプレータイムをいただいていたので、個人のスタッツ(が評価されて)でまたここに帰ってきたいです」と、さらなる数字面の向上を誓うのだった。