写真で見る『ウインターカップの変遷』~田臥勇太から洛南、明成の3連覇、そして新たな王者は?vol.1

2016/12/28
Bリーグ&国内
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文=小永吉陽子 写真=石坂慎二、小永吉陽子、一柳英男

『JX-ENEOSウインターカップ2016』はいよいよ男子決勝を迎える。群雄割拠と言われた今大会のベスト4には、トランジションの速さが光る福岡第一(福岡県)、ディアベイト・タヒロウがインサイドに君臨する帝京長岡(新潟県)、日本人エースと留学生の高さで攻撃的なチームに仕上げた東山(京都府)、全中優勝メンバーを擁して創部4年で飛躍した北陸学院(石川県)が進出。

そんな中で決勝はインターハイと同様、福岡第一と東山のカードとなった。

これまで数々の名場面を生み、日本を代表する選手を輩出してきたウインターカップ。現在Bリーグで活躍する田臥勇太を擁して9冠を獲得した田臥時代の能代工から現在まで、熱戦が繰り広げられた冬の王者の歴史を紐解き、大会の変遷を振り返ってみたい。

田臥勇太と能代工の9冠
1996~1998年/能代工3連覇

1996年、ウインターカップの『聖地』が代々木第二体育館から東京体育館へと移ったこの年、田臥勇太が能代工に入学し、高校界に鮮烈デビューを飾った。中学時代にNBAのスター、パトリック・ユーイングと『進研ゼミ』のCMで共演して注目を集めていた田臥が、高校界で話題の中心になるにはそう時間はかからなかった。

田臥の手から繰り出される圧倒的なトランジションゲームは観客を魅了した。シューター菊地勇樹が高確率で3ポイントを決め、インサイドを務めた若月徹ががっちりとリバウンドを奪取。『田臥・菊地・若月トリオ』の活躍で勝利の山を築いていった能代工は、高校3年間、インターハイ、国体、ウインターカップを制覇し『9冠』を達成。その偉業は今も破られていない大記録だ。

『能代工と田臥フィーバー』はバスケ界のみならず一般にも注目を集め、メディアがこぞって報道する現象も起きた。能代工が出場すればどの試合も満員になり、9冠がかかった高校3年生の最後のウインターカップでは、準決勝と決勝のチケットはソールドアウト。満員札止めになったばかりか、1階のコート脇のフロアに座って観戦する者や立ち見客も出て、館内は溢れんばかりの熱気となった。高校ラストゲームとなるウインターカップ決勝の相手は鵜澤潤(名古屋ダイヤモンドドルフィンズ)を擁する市立船橋。98-76で勝利し、能代工にとっては高校9冠を獲得するとともに、全国優勝50勝を飾る節目の大会となった。

仙台の連覇「普通の子たちが日本一になった」
1999、2000年/仙台2連覇

田臥がいた高校3年間、能代工が公式戦で唯一敗れたのが1年次の東北大会決勝。その相手が東北で最大のライバルだった仙台だった。そして、能代工9冠の後にやって来たのが佐藤久夫コーチ(現明成高)が指揮する仙台の時代だ。群雄割拠の1999年大会を制して悲願の初優勝を遂げると、続く2000年は圧倒的強さで連覇。その中心にいたのが強烈なリーダーシップで牽引した160cmの志村雄彦(仙台89ERS)だった。

仙台を語る上で欠かせないのは、宮城県内の選手だけで構成された公立校であることだ。サイズのない宿命の中で取り組んだことは、徹底したファンダメンタルとディフェンス強化、状況判断のできるポイントガードとシューターの育成。そして全員で崩して攻めるパッシングスタイルだ。そうして鍛えた学区内の選手たちを佐藤コーチは「普通の子」と呼んだが、その『心技体』の鍛えられ方は普通の子を超える質の高さだった。

時は公立高が奮闘した時代。その筆頭だった仙台は1995~2001年まで7年連続でウインターカップのメインコートに立つ脅威の勝率を誇り(そのうち5回メダル獲得)、仙台が2年連続で決勝と準決勝を戦った相手も公立校。決勝の相手である小林は森億コーチ、準決勝の東住吉工は岡田伸二コーチが采配を振るい、2人とも佐藤久夫コーチとともに、U-18代表でもコーチングスタッフとして指導にあたった。

私学全盛と留学生の台頭
2001、2003、2004年/能代工優勝
2002年/洛南初優勝 2005年/福岡第一初優勝

2001年のウインターカップベスト8を最後に、仙台の佐藤久夫コーチが日本協会所属で強化にあたることになり、高校の教員を退職。以後、仙台のような鍛え抜いた粘りのチームよりも、選手個々の能力を生かしたチームが競い合う私学全盛時代へと突入する。

2002年には洛南が竹内公輔(栃木ブレックス)と譲次(アルバルク東京)のツインズを擁してウインターカップを初制覇。その洛南を中心に、福岡大附属大濠、北陸といった私学が有望な選手を育成して上位に進出した。さらには能代工も再び上位戦線に浮上し、2001、2003、2004年大会を制覇。名門や古豪が名を馳せる時代となる。

また、洛南の竹内兄弟を筆頭とした2002年には、北陸の石崎巧(名古屋ダイヤモンドドルフィンズ)、土浦日大の岡田優介(京都ハンナリーズ)、日大山形の菊池祥平(アルバルク東京)、市立柏の太田敦也(三遠ネオフェニックス)など、得点力の高い選手が一挙に台頭。この世代は『ゴールデンエイジ』と呼ばれ、U-18代表で史上初めて中国に勝利。彼らは今でもBリーグや日本代表で奮闘中だ。

そんな中でやって来たのが、アフリカはセネガルからの留学生たち。2003年に延岡学園がセネガル人留学生を擁してウインターカップ初の3位になると、翌2004年には同じくセネガル人留学生が活躍した福岡第一がインターハイ初優勝。さらに2005年にはウインターカップ初制覇の歓喜を迎える。もともとレベルの高かった九州はさらに激戦地帯となり、福岡第一と福岡大附属大濠は県内でしのぎを削り合う日本一のライバル関係となった。

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