「自分にできることはすべてやった。そう思えるから、後悔はない」
カーメロ・アンソニーが現役引退を発表した。2003年にNBAでデビューし、ナゲッツとニックスのエースとして非凡な得点能力を発揮したカーメロは、現役19シーズンでオールスターに10回選出され、NBAで歴代9位となる通算2万8289得点を記録している。
偉大なキャリアを築いたが、NBA優勝だけは果たせなかった。ただ、後悔はない。『Sports Illustrated』のインタビューの中でカーメロは、「幸せという言葉を使うのは変かもしれないけど、僕は幸せな引退ができた」と心境を語っている。
「かつては優勝しなければ敗者だという考え方があったけど、今はもう気にならない。2003年にドラフト指名を受けて(当時のコミッショナーだった)デイビッド・スターンと握手した時点で優勝したようなもの。僕は人生に勝ったんだ。優勝リングは唯一勝ち取ることができなかったものだけど、それを手に入れるために自分にできることはすべてやった。そう思えるから、後悔はないんだ」
それでも、ちょっとしたすれ違いがなければ優勝できていたという思いはある。インタビューの中で、カーメロは2006年夏のエピソードを明かしている。NBA3年目のシーズンを終えたオフ、彼はナゲッツとマックス額での5年契約にサインした。だが、合意に至る直前にドウェイン・ウェイドから電話があり、「契約は3年にしておけ。みんなと合わせるんだ」と言われた。
『みんな』とは2003年のNBAドラフト全体1位指名のレブロン・ジェームズ、4位のクリス・ボッシュ、5位のウェイドだ。ドラフトの同期であり、アメリカ代表でもチームメートだった彼らには強い絆が生まれていた。彼らが意図したのは、フリーエージェントとなるタイミングを合わせて同じチームでプレーすること。実際、2010年にレブロンとボッシュがヒートに移籍して、ウェイドとともに『スリーキングス』を結成し、4年連続でNBAファイナルに進出して2度のNBA優勝を勝ち取っている。
だが、ウェイドから連絡をもらった時にはカーメロはナゲッツ残留を決意していた。「もう契約書にサインするだけの時に電話がかかってきた。『俺はここで幸せだ。デンバーは最高なんだ』と答えたんだ」とカーメロは言う。
『スリーキングス』が誕生した2010-11シーズンの途中にカーメロはトレードを要求し、ニックスへと移籍した。彼は故郷のチームでキャリア最高のパフォーマンスを見せたが、常勝チームとなったヒートがいつも彼の前に立ちはだかった。
あの時、ウェイドの誘いに乗っていれば、優勝リングは手に入れられただろう。だが、カーメロはそれを悔やんではいない。「ジェットコースターのようにアップダウンが激しいけど、次に上がるのか下がるのかが分からない」と表現するキャリアにおいて、自分にできることはやりきった感覚があるからだ。チャンピオンリングを持っていても、その感覚を得られないまま引退する選手は多い。だからこそ、カーメロは「幸せな引退ができた」と言えるのだ。