「薫英の4番を着させてもらっているので最後まで戦ってチームを勝たせたかった」
大阪薫英女学院はウインターカップ準々決勝で岐阜女子と対戦し、わずか3点届かずベスト4進出を逃した。
試合の立ち上がりからオールコートプレスを仕掛けて主導権を握り、12点リード(44-32)で前半を終えた。しかし、強度が高いディフェンスを仕掛けるがゆえにファウルも混んでしまい、熊谷のどかが「前半でファウルが多くなってしまって、そこを気にしすぎて後半は前から思い切り当たれなかった部分があった」と悔やんだように、第3クォーターでは岐阜女子の高さとスピードを止め切ることができず逆転された。
最終クォーターも一進一退の攻防を繰り広げていたが、59-60で迎えた残り3分39秒の場面で、24得点4アシストを記録していた都野七海がファウルアウトとなった。その後も誰一人あきらめることなく、必死に岐阜女子に食らいついたが66-69で敗れた。
薫英をコート内外で引っ張っていたのは、ダブルキャプテンを務めた都野と熊谷だ。昨年のウインターカップで2年生ながら主力を務め、今年のインターハイではチームを準優勝に導いた。それでも、高校生活最後の試合でファウルアウトとなり、大事な場面をベンチで過ごしたことを都野は責め続けた。「自分のせいでチームが負けてしまったので、すごく悔しいのと申し訳ない気持ちでいっぱいです」
最後をコート上で迎えられなかったが、ここまでエースとして都野がチームを引っ張ってきたことは事実だ。しかし、「薫英の4番を着させてもらって、キャプテンをさせてもらっているので、自分がしっかり最後まで戦ってチームを勝たせたかった思いが強いのですごく悔しいです」と涙を流した。
都野は一人で戦っていたわけではない。ベンチに下がった後も、声を出してチームを鼓舞し続けた。「自分がコートを出た後も、コートに出ている5人がしっかりやってくれることは分かっていました」と都野が語ったように、彼女が退場した後もコート上の5人は全力で戦い続けた。
薫英が岐阜女子を追いかけていたラスト33秒には、ともにキャプテンとして切磋琢磨してきた熊谷が決死のシュートを決め切り、2点差まで詰める場面もあった。自分がベンチに下がった後も、チームを引っ張り続けてくれた熊谷に対し、「困った時に助けてくれていたのは熊谷でした。自分よりもいろいろなことを考えてチームのことをやってくれていたので、最後に決めてくれた時はすごくうれしかったです」と感謝を語った。
その熊谷は都野がベンチに下がった時の状況をこう明かした。「インターハイが終わってから『都野頼み』を脱却しようとチームでやってきたので、みんなには『練習通りやってきたことだよ』と話しました。それに、都野をもう一回コートに立たせたい気持ちがあったので、自分たちが絶対に勝つという思いでやっていました」
しかし、結果は残酷で、2人が揃ってコートに立つことはもうない。熊谷は言う。「あと2試合、一緒に戦いたかったですけど、2人で『頑張ろう』とか声掛けをやったりしてきた時間が本当に楽しかったです」
「成長できる機会をこの薫英で与えていただきました」
薫英で過ごした3年間でバスケットのスキルが向上したのはもちろんだが、それ以上に大切なことを安藤香織コーチの下で学んだと言う。都野が「プレーもそうですが、キャプテンをさせてもらって人間性の部分を学びました。自分の感情だけで暗くなるとか、熱くなるのではなくて、チームのことを考えて声掛けをしたり、チーム全体を見ることを学びました」と言えば、熊谷もこう語った。「先生にご指導いただいてバスケットの技術はもちろん、人間としてまだまだですけど、成長できる機会をこの薫英で与えていただきました。3年間、本当に幸せな時間だったと思います」
惜しくも日本一には届かなかった薫英だが、最初から最後までチーム全員が全身全霊のプレーを体現し、見る者を感動させるゲームを繰り広げてきた。そのことを熊谷に伝えると、こう答えた。「全国制覇という目標ともう一つ、感謝を返すとか、見ている人に応援してもらえるようなチームになる、というのがこのチームのモットーでした。そういうもう一つの目標があるので、今そう言っていただいて良かったなと思います」
思い描いた結末にはならなかったかもしれない。だが、薫英での学びや経験は、これから先の長い人生で必ず彼女たちの力となり、助けとなっていくはず。結果以上の学びを得たことは間違いない。