1957年の豊田通商バスケットボール部創設から続く歴史あるクラブ、ファイティングイーグルス名古屋は、Bリーグ創設後にプロ化を果たし、この2022-23シーズンからB1に初挑戦する。選手の多くが過去にB1を経験しているが、このチームにおける精神的支柱はキャプテンの宮崎恭行に他ならない。2006年に入団した彼は、JBL2部で3度のMVPを獲得する絶対的な司令塔だったが、2015年に膝に大ケガを負って以降はチームのサポート役に回ることに。復帰から5シーズンは繋ぎの役割ながらチーム内での彼の評価は常に高いままで、B1を戦う上でもチームに不可欠な存在と認められている。クラブの歴史を背負ってB1に挑む宮崎に、その意気込みを聞いた。
FE名古屋在籍17年、昨シーズンから『プロ選手』に
──『バスケット・カウント』では初めて取材させていただきます。まずは自己紹介をお願いします。
FE名古屋の背番号1、宮崎恭行です。三重県の鈴鹿市出身で、名古屋大谷高校を卒業した後に実業団のアイシン・エィ・ダブリュで1年半ほどプレーして、FE名古屋に移籍してチーム17年目になります。現役で言うと18シーズン目となります。
──Bリーグ以前の時代も2部でのプレーが続いて、BリーグになってからもクラブにB1ライセンスがない時期が長かったので、ようやくトップリーグに挑戦することになります。大変な時期も長かったと思います。
僕が入団した1年目は、当時の日本リーグ1部がJBLのスーパーリーグと呼ばれている時代でした。その後にJBLとJBL2になって、この頃にbjリーグも始まりました。そこからNBLとNBDLを経てBリーグに至ります。
最初の頃を思い出すと、練習している場所は今と同じなんですけど、みんな社員で社業が終わってから集まって夜に練習するので、まず人数がなかなか揃わない。チーム練習は20時から22時まで、その後に自主練をしたりトレーニングをしたり。仕事が忙しい時期だと集まっても数人で、「今日は3人しかいないから、練習はやめて焼肉でも行くか」みたいなノリもありました。試合数も最初は年に20試合もなくて、お客さんも100人とか200人。JBLになっても日本人選手は全員社員選手でしたね。
僕も朝から夜まで仕事をして、それからバスケをする生活をずっと続けてきました。若い頃はバスケ優先で「ちょっとすいません」ぐらいの感じで仕事を休むこともあったんですけど、それなりに長く会社にいるとそうもいかなくなってきて、なかなか休める日もありませんでした。土日に試合をして月曜は朝6時に起きて普通に出勤、僕は東海地区の営業担当だったんですが、北陸、京都と大阪ぐらいまでは営業で回っていたので、体力的には結構しんどかったです。
──『プロバスケ選手』と自覚できるようになったのはいつですか?
どうでしょうね。Bリーグが始まっても会社の仕事はやっていたので。バスケット一本になったのは昨シーズンにチームが始動する7月からなので、本当に最近ですね。一昨年までは社員選手が3人いて、プロ選手は午前中から練習をしていたんですけど、僕を含む3人は仕事を少し早く上がらせてもらって18時からチーム練習をやっていました。それが昨シーズンからは一応プロという形になって、他の選手と同じように一日中バスケに集中できる環境になりました。なので僕の中では、そこでようやくって感じですね。
「絶対に上を目指してやっていくから、一緒にやろう」と誘われて
──もともと安定志向で社員選手を望んでいたのか、プロ選手として勝負したかったのか、どちらですか?
バスケットだけの環境に身を置きたい、という希望はありました。bjリーグが始まった時に僕も2年ほどトライアウトを受けたんですけど、なかなか良い結果が出ませんでした。誘ってくれたチームもあるんですけど、タイミングが合わなかったり環境が合わなかったり。そんな時に声を掛けてくれたのが今のチームなんです。
──プロ選手になるにあたり、もうベテランですし膝の大ケガも経験しています。迷いはなかったですか?
そこは家族もいるので本当に悩みました。ですが家族が応援してくれて、「やれるまでやっていいよ」と最後の後押しをしてくれたんです。そう言ってもらって「じゃああと何年やれるか分からないけど、そこまではやろう」と決めました。今は仕事を一休みして、バスケットだけの環境に身を置かせてもらっています。
──豊田通商バスケ部の時代からの多くの関係者の思いを一身に背負う存在が宮崎選手だと思います。
そうですね。僕が入団した頃からクラブとしてトップリーグに行く思いはあったのですが、昇格の条件だったり環境だったりでトップリーグに行くことが実現しませんでした。でも、もともとみんなサラリーマンのチームですが、「絶対に上を目指してやっていくから、一緒にやろう」と誘ってもらって、ずっとやってきたんです。
僕自身、若い頃は「自分がチームを引っ張って活躍してトップリーグに」とやってきて、2015年にケガをしてからはプレーしなくてもチームに貢献できることはたくさんあると思ってやってきました。
チームの歴史はかなり古いんですけど、本気で上を目指すようになってからのすべてを知っているつもりです。今までのチームの歴史だったり、どんな環境でやってきて、どう取り組んできたのか、何を目指すのか、それを新しく入って来る選手に伝えるのが自分の役割だと思っています。
「このチームでできる限りプレーして、このチームで引退したい」
──FE名古屋のチームカラーを一言で表現すると?
「盛り上がっている」ですかね。選手だけじゃなく川辺泰三ヘッドコーチ、またアシスタントGMの坂東武幸もすごく良いキャラをしていて、選手以上にベンチで盛り上がっているんじゃないかと思います。試合に注目してもらいたいのはもちろんですけど、盛り上がっているベンチだとか、そういう雰囲気を楽しんでもらいたいです。
──B1初挑戦のシーズンとなりますが、個人の目標はどこに置きますか?
個人的にはまずは試合に出ることですね。プレータイムとしては、まずは平均5分です。
──その平均5分に大きな価値があると思います。
5分出れるか出れないかもあるんですけど、やっぱり僕としてはチームを最優先で考えていて、チームが勝つために必要なことを自分ができればと思っています。5分出るのが目標ですが、プレータイムが5分でも10分でも、5秒でも僕の役割は変わらないと思っています。またB1の舞台でもチームの良きメンターでありたいと思っています。
──同じチームで17年やっている例は他にないのでは?
去年その話題になった時に調べてくれた人がいるんですけど、同一チームでの最長はシーホース三河にいた桜木ジェイアールさんの19シーズンだそうです。僕はその時点で17年で、2番目に長いという話でした。
──ジェイアールさんを超えるつもりはありますか?
そうですね。少なくともバスケを続ける以上、僕はこのチームしかないと思っているので、このチームでできる限りプレーして、このチームで引退したいと思っています。