「若い頃に比べて闘争心がイメージよりも離れていきました」
また一人、偉大な選手がユニホームを脱いだ。
サンロッカーズ渋谷は6月10日に広瀬健太の引退会見を行った。島根県出身の広瀬は青山学院大を経て、2008年にJBLのパナソニックトライアンズでキャリアをスタートさせた。1年目からスタートを任され、新人王を受賞。翌年には日本代表にも選出されトップ選手の仲間入りを果たした。その後、2013-14シーズンに日立サンロカーズ東京(現SR渋谷)へ移籍し、そこから9シーズンプレーし続け、14年間のキャリアに幕を閉じた。
広瀬は「引退した数日は寂しい気持ちがありましたが、今は時間がたって新しいことに向かって頑張っていきたい気持ちがあります。14年間を振り返ると長かったような短かったような、ルーキーシーズンのことはあまり覚えていないので今は長かったなと思います」と、現在の心境を語った。
新人王に加え、Bリーグ初年度にはスティール王にも輝いた。また、天皇杯は3度も優勝し、2015年度大会ではベスト5に選出されるなど輝かしいキャリアを送ってきた広瀬だが、クラブ消滅の憂き目にもあい、キャリア終盤の2018-19シーズンには左膝前十字靭帯断裂の重傷を負った。紆余曲折あったが、広瀬は「14年間、総じて良い経験をさせていただいたと思っています」と振り返った。
「かつて所属したパナソニックトライアンズはチームがなくなり、大きなショックを受けましたが、その中で最後に天皇杯で優勝できました。その後、サンロッカーズに迎え入れてもらえて、天皇杯を二度獲ることができました。若手だった時からベテランと呼ばれる年齢になって、若い選手と接する機会も増え、そういった選手とコミュニケーションを取っていくことで、人間としても成長できたと思っています。『あの試合、あの瞬間』というのは今すぐに出てきませんが、いろいろなことを経験させてもらいました」
引退については大ケガを負った時から常に考えていたことを明かし、さらに闘争心の低下も今回の判断に関係したという。「33歳の時に前十字靭帯を切りましたが、そのくらいの時から引退は毎年考えていました。身体もそうですが、若い頃に比べて闘争心がイメージよりも離れていきました。若い時はコートに出たら『全員をなぎ倒してやる』というようなイメージでしたが、そういう気持ちも薄くなってきて、シーズンを通して新しい道に行くことが良い決断になると徐々に思うようになりました」
「一からチャレンジしたほうが、僕自身ワクワクする」
広瀬はBリーグが誕生して以降も、プロ契約ではなく社員選手としてプレーしてきた。そのため、現在は日立製作所の社員として不動産を取り扱う部署で働いているという。
引退後のセカンドキャリアでバスケットボールに関わる仕事を選択する元選手は多くいる。広瀬ほどの選手であれば、引く手あまただと予想できる。だが、広瀬はこれまでに培った多くの経験というアドバンテージを捨て、まっさらな状態で勝負することを選んだのだ。
「今までバスケットしかしてこなくて、そういう人生がちょっと嫌だったんです。良い意味でも悪い意味でも『バスケバカ』になりたくなくて、一人の大人として対応できる人になりたいと思いました。コーチなどはプレーヤーの時とは違う知識やスキルが必要だと思いますが、プレーヤーとしてやってきたバックボーンで勝負できてしまう。全く新しいところに飛び込んで一からチャレンジしたほうが、僕自身ワクワクするんじゃないかと思いました。アドバンテージから離れて、一から鍛え直してもらおうと思い、選びました」
現在は「覚えることが多くて大変」と四苦八苦しているようだ。それでも、「自分がコントロールできるところは常に全力を出してきた」と言い切ったように、目標に向かって努力できる広瀬であれば、必ず良い結果を残せるはずだ。
キャリア通算653試合に出場した広瀬は「バスケットは楽しい」というシンプルな言葉で締めくくった。戦闘服は黄色のユニホームからスーツへとを変わったが、内に秘めた闘争心とアグレッシブな姿勢は今後も変わらない。
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