文・写真=小永吉陽子

160cmをトレードマークに生きてきた男が迎えた最大の試練

「頭を使っているから、この身長でもやれるんですよ」

そう言って志村雄彦は、バスケットボール選手としては小さすぎる160cmの身長で果敢に勝利をもぎ取ってきた。高校時代は公立の仙台高をウインターカップ2連覇に導き、大学時代は関東2部だった慶應義塾大を入学当時から「このチームを優勝させる」と言って1部に昇格させ、4年時には関東リーグとインカレのダブル制覇へと牽引し、有言実行を果たしてみせた。当時とは時代が違うとはいえ、県内の選手だけで高校2連覇を遂げ、大学では1部に昇格していきなり日本一というケースは、今の時代には考えられないほどの快挙。その中心にいたのが、圧倒的なトランジションゲームで、得点も、ゲームメイクも、ディフェンスも、すべてをこなして強烈なリーダーシップを発揮してきた志村雄彦だ。

オフコートでもその行動力は目立つ。メディアの前でもファンの前でも、自分の意志を自分の言葉で伝える発信力を持ち、東日本大震災で被災した時は、率先して普及活動を行ってきた。震災後、苦渋の決断ながら仙台89ERSが活動停止になった時には、レンタル移籍をした琉球ゴールデンキングスで背番号「89」を身にまとい、仙台市民や県民を勇気づけながら、プレーオフを戦ったのも彼らしい行動だった。

サイズのなさを逆にトレードマークにしてバスケ界を渡り歩いてきた男。そんな彼が今、バスケ人生最大とも言える試練を迎えている。

最初の試練は3年間を過ごしたJBL時代の東芝(現川崎ブレイブサンダース)でプレータイムがもらえなかったとき。だがこれは、出場機会を求めて移籍したbjリーグにおいて、選手として一回りも二回りも成長することで乗り越えている。しかし今、強豪が揃ったB1東地区の争いの中で、今まで経験したことのないような巨大な壁にぶつかっているのだ。

連敗中の今こそ、チームリーダーの出番

「小さくてタレントがいない僕らが弱いと言われているのはわかっている。でもそんなのは言わせておけばいい。僕らはスピードとディフェンスで粘って、ハングリーに戦うだけ」

キャプテンの志村だけでなく、171cmの石川海斗や170cmの佐藤文哉、184cmの片岡大晴まで、小さな主力ガードの全員から同じ答えが返ってくる。仙台はそのハングリーさで、開幕からの4試合で千葉ジェッツとレバンガ北海道から3勝をあげて下馬評を覆す好スタートを切った。ディフェンスで我慢に我慢を重ね、勝負どころのシュートで粘り、「これしかない」(志村)という勝利の方程式を早くもつかんだのだ。

しかし、栃木ブレックスとアルバルク東京といった層の厚い成熟した相手には全く歯が立たなかった。「やったことのない高さとディフェンスのプレッシャーに面食らって」(志村)、屈辱とも言える最大52点差(56-108)をつけられる4連敗。攻めどころが見いだせないときは、個々が孤立してサイズのなさが余計に露呈されてしまう。これもまた仙台が抱えるもう一つの現実だった。

だが、一番の敗因はサイズのなさよりも、外国人選手との連携を含めた組織力の欠如だ。そのことに気づくためには、格好悪くとも通らなければならないB1の洗礼だった。コテンパンにやられながらも、栃木戦も、A東京戦も、土曜日よりは2戦目の日曜には戦えるポイントを見いだせるようになってきたし、その中で通用していたのはガード陣の攻め気だった。チームが今やるべきことは、ガード陣の小ささを気にすることではなく、層の薄いフロントラインを補うための組織力の構築だろう。

そこで出番なのが、キャプテン志村の統率力である。志村は連勝した北海道戦のあと、すでに先を見越してこう言っていた。「問題は負けはじめてからなんです」と。

「今は(石川)海斗が火付け役で得点を取れるので、bj時代よりチーム力は上がっていると思います。でも僕たちにとっては、間違いなく今までよりレベルの高い相手とやるわけだから、壁にぶつかるときは必ず来る。そこで崩れそうになった時に、いかに細かいことを見過ごさずに積み上げて、勝負どころで決められるかどうか。その役目をするために、自分がこのチームにいるのだと思っています」

志村が仙台に入団してからの9年間、フロントやコーチングスタッフとして、互いに信頼関係を築いてきた間橋健生ヘッドコーチも言う。「志村はうちのチームの長男。苦しい状況になればなるほど、オンコートでもオフコートでも、チームのためにやってくれる。試合終了のブザーが鳴るまでの2400秒間、インテンシティ(激しさ)を持って戦うチームになるために、彼への信頼は揺るぎません」

『仙台の希望の星』はチームとともに成長し続ける

今年で34歳になる。これまでハートの強さで生きてきた選手だが、ハートだけではプロとして乗り切れないことも分かっている。B1参戦が決まってからは、今まで以上に当たり負けしない身体を作り、シュートレンジを延ばし、1対1で対峙したときに相手よりも反応の速度を高める練習を、考え抜きながらやってきた。そんなチームリーダーは、12年目のキャリアでようやく生まれたBリーグで戦う意義をこのように考えている。

最初に口にしたのは「小さい選手がプロでどう生き抜くか見せること」。これは、今までもこれからも、選手である限りは永遠に続く志村のモットーである。そして次にあげたのは「観客に見に来てもらう球団にすること」という、チームリーダーでならではの答えだった。

仙台高時代の恩師である佐藤久夫コーチ(現明成高)は微笑みながらこう語ったことがある。

「仙台高時代に志村をガードにして優勝したからか、明成で教えるようになってからも、うちには小さい選手がたくさん入学して来るんだなあ」

その筆頭がサンロッカーズ渋谷の伊藤駿や新潟アルビレックスの畠山俊樹であり、チームメートの石川海斗や佐藤文哉だ。彼らはサイズこそないものの、スピードやシュート力、ディフェンス力、気の強さといった個性を持って、それぞれのチームで主力となっている。高校時代を仙台で過ごした少年たちにとって、小さくてもやれる志村は憧れの存在だった。そんな仙台人の希望の星だった男は、生まれ故郷に誕生した球団の発展を考え、背負って生きる存在になった。そうした心意気に惚れている県民や市民、ファンはたくさんいるのではないだろうか。

コテンパンに打ちのめされた今、どうやって這い上がるか。

「ここからシーズンを通して成長していくことが、観客に足を運んでもらい、球団として発展していくことにつながると思います。この年になって新しいことにチャレンジができることは相当幸せですよ。へこんでなんかいられません」

噛みついて、噛みついて、噛みつきながら成長していくチームがBリーグにあってもいい。仙台の地にナイナーズを根付かせ、これまで以上に愛されるチームにすることは、志村雄彦のチャレンジそのものであり、使命である。