デロン・ウィリアムズ

写真=Getty Images

ジャズ退団後、若気の至りをずっと後悔

デロン・ウィリアムズにとって、今年の夏は、過去の過ちを悔い改める機会になった。この話の発端を説明するには、7年前まで遡らなければならない。

2011年2月9日、ジャズの歴史に残る『不名誉な出来事』が起こった。同日ホームで行なわれたブルズ戦の最中、当時6年目だった生え抜きポイントガードのウィリアムズが、チームの指揮を執って23年の名将ジェリー・スローンが指示したプレーを独断で変え、2人は衝突した。この一件後、スローンはジャズのヘッドコーチを辞任し、ウィリアムズはネッツにトレードされた。

当時リーグトップクラスの司令塔に成長し、キャリアベストのスタッツを残していたウィリアムズは、スローンとの決裂が決定的になった一件の前から、彼が指示するプレーについて異論を唱えていた。その話を耳にしたスローンは、ウィリアムズに「君はこのチームの指揮を執りたいのか?」と訊ねたという。そしてブルズ戦でウィリアムズが問題行動を取った後、ハーフタイム中にも同じ質問を投げかけ、ウィリアムズは「指揮権はアンタのものだ」と答えた。ウィリアムズとのやり取りに疲れ切ったスローンは、当時のチームCEOだったグレッグ・ミラーと試合後に話し合い、翌日に辞任した。

ウィリアムズは若く、勝ち気な選手で、自信に満ちていた。そういう時、気づかない内に他者を傷つけてしまうことは少なくない。ウィリアムズは、その後ネッツ、マーベリックス、キャバリアーズを渡り歩いたが、スローンへの言動について後悔の念を抱えたまま生きてきた。

34歳になったウィリアムズに、ジャズ球団社長スティーブ・スタークスから連絡があったのは、今年の春のことだった。スタークスから、スローンとの再会を打診されたウィリアムズは、二つ返事で快諾。ウィリアムズは、当時から抱えていた後悔の気持ちを、ジャズ公式ホームページにこう語った。

「あのような形で終わってしまって、いつも頭の中にあったし、苦しかった。もっと上手に対応できたことはあった。自分は頑固だった。若くて、愚かだった。口をつぐむことだってできたのにね。それが賢い方法だったし、正しい判断だった。コーチは彼だったのだから」

そして今年の6月19日、ウィリアムズはミラー、スタークスらとスローンの自宅を訪れ、2人は7年ぶりに再会した。

スタークスが2人の再会をセッティングしたのには、理由があった。現在76歳のスローンは、パーキンソン病と認知症を患っている。年々健康状態が悪化しているため、時間が残されている間に2人を和解させたいと思い、行動に移した。

2人の再会に立ち会ったミラーは、ウィリアムズがスローンに謝罪した時の様子を、こう形容している。「彼はとにかく過去の言動を後悔していた。嘘偽りのない気持ちをジェリーに伝えていた」

スタークスによれば、スローンはジャズの指揮を執っていた当時と変わらずに厳格なままで、ウィリアムズから謝罪の第一声が出ても、最初は受け入れようとしなかったという。ウィリアムズは何度も謝罪の言葉を伝え、その後2人だけでスローンの自宅にある仕事部屋で話し、昔の写真を見ながら言葉を交わした。病気の影響で、記憶が曖昧になることも少なくないようだが、ウィリアムズは「コーチは色々と覚えている。僕が彼を怒らせた一件も覚えていたよ」と話した。「そのことを咎められた。言われて当然だと思う。昔のままだったね。コーチのことを知っている人なら分かるけれど、彼は思ったことをそのまま口に出して伝える人だから」

2人は和解し、握手して別れた。ウィリアムズは、恩師との再会について、こう述べた。

「起こってしまったことを謝罪する機会をもらえた。自分が生意気だった時、コーチはそのたびに思うことを自分に伝えなければいけなかった。苦痛だったと思うし、言いたいことを言って楽になりたかったのだとも思う。会えて良かった。悪いことなんて一つもなかった。ポジティブなことしかなかった」

理想とは程遠い形でジャズを退団後、ビビント・スマート・ホーム・アリーナに来るたびにファンからブーイングを浴びせられたウィリアムズだったが、本人は今もジャズファミリーの一員という意識を持ち続けている。今もユタに自宅を持っているのは、球団に愛着があるからだ。

ウィリアムズは、一生の後悔になりかねなかった過去の過ちを、ちょっとの勇気によって正すことができた。7年という時間はかかったものの、これからはジャズと新たな関係を築いていけるのではないだろうか。