ボリス・ディアウ

写真=Getty Images

2014年のNBAファイナル『陰のMVP』

フランス出身の元NBA選手、ボリス・ディアウが、プロ17年のキャリアに終止符を打った。ディアウは、ソーシャルメディアに投稿した動画で引退を表明。船上でフランス代表のチームメートだったトニー・パーカー、ロニー・トゥリアフとこれまでのキャリアを振り返り、自分の口から引退を告げた。

2001年にフランスでプロデビューしたディアウは、2003年のNBAドラフト全体21位でホークスから指名を受け、アメリカに渡った。その才能が花開いたのは、NBA3年目の2005-06シーズンだった。ジョー・ジョンソンとのトレードでサンズに移籍すると、ほぼすべてのカテゴリーでスタッツを伸ばし、攻守両面で貢献できる万能性を発揮。平均13.3得点、6.9リバウンド、6.2アシストを記録し、シーズンを通じて最も成長した選手に贈られるMIP賞を受賞した。

その後2008年にボブキャッツ(現ホーネッツ)にトレードされるも、東カンファレンス下位が定位置だったチームではモチベーションの低下などが見られるようになり、2011-12シーズン
後半に解雇された。この直後、ディアウは名将グレッグ・ポポビッチからスパーズでプレーするチャンスを与えられ、ユーティリティプレーヤーとして復活を遂げる。スパーズでの1年目に続き、2年目となった2013-14シーズンもNBAファイナル進出に貢献すると、レブロン・ジェームズ、ドウェイン・ウェイド、クリス・ボッシュの『スリーキングス』を擁したヒートとの『リターンマッチ』で本領を発揮した。第3戦からスターターに起用されると、ポイントガード並の視野の広さを生かしてボールを回し続け、チームオフェンスを活性化させた。ヒートの3連覇を阻み、球団史上5回目の優勝を果たしたスパーズにおいて、『陰のファイナルMVP』と称賛された活躍は、まだ記憶に新しい。

スパーズには2016年まで在籍し、その後はジャズを経て、昨年にフランスリーグのルヴァロワ・メトロポリタンズと契約。そして、2018年の夏に引退を決断した。

フランス代表としても2013年のユーロバスケット優勝に貢献した他、同大会で2011年の銀メダル、2003年の銅メダル獲得に貢献している。代表通算247試合出場は、元フランス代表バスケッ
トボールチームの選手で、2006年にフランスバスケットボールの殿堂入りも果たした母親のエリザベス・リフィオーに並ぶ試合数で、「母親をリスペクトしている」という理由から、それ
以上代表でプレーすることを選ばなかった。

NBAでは今でこそ『ポジションレス』という考えが浸透しているが、ディアウはそのパイオニアの一人だ。NBAの中で特に身体能力に秀でていたわけではなかったものの、高いバスケットボールIQを駆使し、ケミストリー構築に欠かせない潤滑油的な存在として重宝された。