ケイド・カニングハム

「この番号が球団にとってどれほどの意味を持っているかは分かっている」

ケイド・カニングハムはNBAドラフトでピストンズから全体1位指名を受けた。これは大方の予想通りであり、前夜には「ピストンズはカニングハム指名の方針を固めた」との報道が出ていたため、彼は至極当然といった雰囲気で指名のアナウンスを聞き、ピストンズのキャップをかぶってNBAコミッショナーのアダム・シルバーと握手をかわし、「この瞬間を迎えられたのが本当に幸せだ」と語った。

彼が驚いたのはその後だ。彼のために用意されたジャージーにプリントされていたのは『2』という数字。それがチャック・デイリーのための永久欠番であることをカニングハムは知っていた。デイリーは1983年から1992年までピストンズのヘッドコーチを務め、『バッド・ボーイズ』と呼ばれたチームで全盛期のマイケル・ジョーダンを擁するブルズと渡り合った。1989年と1990年にはNBA連覇を成し遂げている。また1992年のバルセロナ五輪では、ライバルであるジョーダンを含む超豪華メンバーの『ドリームチーム』のコーチを務め、金メダルを獲得した。

2009年に膵臓がんにより78歳で死去。彼自身にプレーヤーとしてのキャリアはないが、コーチとしての偉大なキャリアに報いるために、ピストンズは背番号2を永久欠番とした。

カニングハムはオクラホマ州立大で背番号2を着けてプレーしていた。デイリーの永久欠番だから、別の番号を選ぶつもりだったのだろう。だが、ピストンズはデイリーの遺族に許可を取り付けた上で、背番号2を彼に与えた。

「球団にとって大きな意味のある2番を着けることを認めてくれたデイリー氏の家族に感謝の気持ちを伝えたい」とカニングハムは言う。「僕にとっても大きな意味のあること。この番号が球団にとってどれほどの意味を持っているかは分かっている。僕の前にいた人たちがデトロイトで偉大なものを築き上げ、それは永遠に続いていくんだ」

「ピストンズのレジェンドであるチャック・デイリーに敬意を表して、この2番を着用させてもらう。彼がこのデトロイトでやっていたことを再構築したい。バッド・ボーイズと呼ばれたチームと同じエネルギーを今のピストンズにもたらしたい」

オフェンス力はマーベリックスのルカ・ドンチッチに、バネのある身体能力はジャ・モラントに、コート上での冷静さはティム・ダンカンに……。すでに様々なビッグネームと比較されるカニングハムだが、彼自身がもう一つ付け加えたのはビジネスと社会貢献におけるレブロン・ジェームズの影響力だ。

「リーグに入ったばかりの若手として、最も観察しなければいけないのがレブロンだ」と彼は言う。「自分のストーリーを作り、表現し、それでいて自分らしくあり続けて、自分の人生に多くの人を受け入れている。彼が素晴らしいプレーヤーであることは言うまでもない。でも僕は、地域社会の考え方を変える彼のコート外の活動に感銘を受けているんだ」

背番号2を着けるカニングハムはNBAに大きなインパクトを残し、ピストンズの新たな伝説となれるのか。その第一歩が踏み出された。