文=鈴木栄一 写真=鈴木栄一、野口岳彦

Bリーグ2年目の王者に輝いたアルバルク東京は、田中大貴、馬場雄大、竹内譲次という日本代表の常連メンバーを筆頭とする選手層の厚さが特徴だ。しかし、このタレント力とともにチームの強みとなっていたのが、ファイナルでの千葉ジェッツ戦でリーグNo.1の速攻を完璧に抑えたことを象徴とする、1試合を通して強度の落ちない堅守だった。これは個々の能力だけでなく、それを組織としてまとめ上げた指揮官の手腕があってこそ。就任1年目でチャンピオンコーチとなったルカ・パヴィチェヴィッチに、激闘のシーズンを振り返ってもらった。

Bリーグ王者、アルバルク東京の指揮官に聞く

──優勝した瞬間を思い出していただきたいのですが、どんな感情が込み上げてきましたか。

10カ月間、一つの目標を追いかけてきました。それを達成することができてハッピーで、満足を感じ、そして疲れました。優勝の興奮を落ち着かせる必要がありました。

──千葉とのファイナルを大差で勝てた要因はどこにあったと思いますか。

中立地での試合は年に1回あるかないかです。いつもバスケットボールをやっている場所とは違う施設に選手たちは慣れていないので、いつもと同じような感覚でプレーするのは難しいものです。そういう時はより基本的なことで勝敗が分かれます。リバウンド、フリースロー、ターンオーバーの数、フルスピードで走って強いディフェンスをできるかどうか。私のチームはいつもと違う環境でも、これらの面でしっかりプレーする準備ができていました。

──コーチはヨーロッパ各国のトップリーグで豊富な経験を持っていますが、日本は全く異なる環境です。その日本で成功を収めるために自分の指導法を変えた部分はありましたか。

バスケットボールにおいて求めるスタンダード、カギとなる部分は基本的に同じです。ヨーロッパ、アメリカ、日本とそれぞれスタイルに違いはあります。しかし、コーチとして戦術理解力、プレーを遂行するスピード、オフェンスでの状況判断、ボールムーブ、ディフェンスの基礎、1対1の守備、トランジション、ピック&ロール、ボックアウトなどは変わりません。

バスケットボールはとても複雑なゲームで、正解にたどり着くには様々な道があります。コーチは様々なアプローチをとることが許されています。それぞれが異なる道で最善の方法を探していくものです。例えばヨーロッパの中でも、いろいろな方法があります。私がやっているのは昔ながらのスタイルで、それはヨーロッパでも今では少数派かもしれません。

私にはユーゴスラビアのバスケットボール界で学んだ道があり、これまでのキャリアを通して他に正しい道があることも知りましたが、それは私に適しているものではないので他の道とのミックスはしません。

──『週末の連戦』というスケジュールは日本のリーグの特徴で、他の国ではほとんど見られないものです。対応するのは難しかったですか。

それが難しいものであっても、コーチとして対応しなければいけないだけです。パフォーマンスコーチである荒尾裕文の助けが大きかったですね。彼とはよくコニュニケーションを取り、私が求めることを聞いてもらいました。これまで連戦のリーグで戦った経験がなかったので彼から教わったことは大きかったです。

質が高く激しいトレーニングをすると同時に、選手たちのケガを防ぐためにオーバーワークをさせない。そのバランスを取ることができたと思います。それは素晴らしいコンディショニングコーチがいて、そして連戦の仕組みをよく理解している優秀なコーチ陣のおかげです。

「練習、試合のスタンダードを高いレベルで維持する」

──シーズンを通して順調に貯金を増やしてきたA東京ですが、その中でも危機を感じたことはありましたか。

私たちにとって最大の危機はワールドカップアジア1次予選のWINDOW2が終わった後でした。竹内譲次、ザック・バランスキー、安藤誓哉が故障しました。さらにブレンダン・レーンが肩を痛め、小島元基も負傷しました。馬場雄大がケガで3カ月離脱している途中の出来事で、この時にはシーズンで唯一となる同一カードの連敗を新潟に喫しています。その後の5、6週間、メンバーが揃ってプレーできるようになるまでは苦労しました。

ただ、3人、4人と選手を欠く厳しい時期でもプレーのスタンダードは落ちませんでした。そして練習のスタンダードを落とすこともありませんでした。中には試合前の練習に参加できるのは6人だけという時がありましたが、質には変化がなかったのです。練習、試合のスタンダードを高いレベルで維持することで、攻守両面で安定感を高めることができました。

たとえ試合に負けても、自分たちのやり方を続けていく。それで最後に故障者が戻って来て、練習も試合もフルメンバーでやれたことが優勝への後押しとなりました。

──複数のケガ人を抱える苦しい状況は長く続きましたが、そこからチームが勢いに乗るきっかけとなった試合はありましたか?

2月10日、川崎に29点差で負けたのですが、その翌日に32点差で勝ちました。その前の北海道戦も故障者がいて、代表選手が直前にチームに合流する状況で、初戦を落としましたが第2戦は勝ちました。まずはここで連敗せずに踏ん張ったことが大きいです。

そしてレギュラーシーズン最後の5試合、川崎が私たちに2ゲーム差と詰め寄っている状況で、琉球とのアウェー2連戦、またアウェーで栃木と1試合、ホームで京都と2試合と、8日で5試合を戦う非常にタフなスケジュールになりました。ともに出場しましたが、大貴が体調不良、ザックがふくらはぎを痛めており、琉球との初戦を大差で落とし、この試合で菊地祥平が足首を痛めました。そして翌日、琉球との第2戦を前に、体調が悪化した大貴はチームより先に東京へと帰りました。そして祥平も欠場したのですが、ここで勝利しました。ここからステップアップして続く栃木戦にも勝利し、東地区の2位をキープできたのですから、この試合がチームにとってターニングポイントだったかもしれないです。

──ケガ人が多い中でも、チームがずっと上位に踏み留まることができた理由はどこにあると思いますか。

まず、チームの編成がうまく行ったことです。素晴らしい人柄の選手たちが集まりました。しっかりしたキャラクターがないとハードワークは続けられません。とても前向きな気持ちの選手たちでチームを作ることができたのが、まずポイントでした。前向きな選手たちは、うまく行かない時でも大きく落ち込むことがない。そして、選手たちがコーチの指示するプログラムを信じてくれました。

また、代表活動で複数の選手がいなくなり、そこにケガ人もいて練習に参加できる選手が5人という時もありました。それでも、その練習は12人の時と同じ質のものでした。どんな人数でも練習の質が落ちなかったのです。練習に参加できない選手たちも、常に練習の模様を見てくれていました。他のチームがどれだけ練習しているかは知りません。ただ私は練習の中でバスケットボールに必要な要素、コンディショニングや戦術トレーニングをカバーしています。コーチングキャリアを通して、私のチームの練習が少ないということはないです。

「優勝の余韻をじっくり味わっている時間はありません」

──長くタフなシーズンが終わり、心身ともにリフレッシュする時間が必要だと思いますが、いつから新しいシーズンに向けて始動しますか。

すでにシーズン終盤から来シーズンについての話をチームとしています。シーズンが終わってから、翌シーズンの準備をイチから始めるのでは遅いです。昨年は代表活動に携わっていたのでチームに合流するのが遅れました。優勝の余韻をじっくり味わっている時間はありません。すぐに来シーズンへの準備を本格的にスタートさせないといけないです。

──就任1年目でBリーグで優勝しました。まだまだチームとして伸びしろがあると思います。これから連覇を続けてアルバルク王朝を築く、そんな手応えはありますか。

私の経験上、『王朝』は計画して作れるものではありません。前の年に優勝しても、次のシーズンは完全に新しい競争のスタートとなります。基本的に、過去の栄光を未来への成功へと結びつけることはできません。新シーズンも良いチームを編成して、適切なアジャストメントをする。そして、再びリーグの強豪と渡り合えることを望んでいます。

──最後にファンへのメッセージをお願いします。

東京という大都市で勝ち続けるのは難しいです。NBAを見てもニューヨークを拠点とするニックスは勝つのに苦労しています。私はベルリンでコーチをした4年間で一度優勝しましたが、それは18年ぶりの優勝でした。東京、パリ、ベルリンといった大都市のチームは常に大きなライバルがいます。人気アーティストによるコンサートなど、素晴らしいエンターテイメントがたくさんあり、それらがライバルとなる中で人気を確立することは大変です。

それでも私たちには素晴らしいファンの皆さんがいます。私は東京の名を冠するチームにいることを誇りに思っています。来シーズンも厳しい戦いになると思いますが、やり甲斐のあるシーズンとなるので、ファンの皆さんにはまた会場に足を運んでいただきたいです。