「当時はプロフェッショナルになる方法を知らなかった」
ディアンジェロ・ラッセルは24歳にして、4チームを渡り歩いたジャーニーマンだ。2015年にドラフト2位でレイカーズに入団したがトラブルを起こしチームから孤立し、ネッツへトレードされた。ネッツではオールスターに選出されるなど活躍したが、ケビン・デュラントとのサイン&トレードでウォリアーズへ移籍。そして、今シーズン半ばにティンバーウルブズへ再びトレードされた。
ラッセルは『The Athletic』の取材で、これまで所属していた4チームを振り返り、レイカーズ時代はプロとしても未熟だったと語った。「当時はプロフェッショナルになる方法を知らなかったし、サポートも得られなかった。ただ、僕は誰も責めるつもりはない。全部自分の責任だ。たくさんのことを経験したけど、思うように状況が飲み込めていなかった」
ラッセルが入団した年のレイカーズは、コービー・ブライアントが引退する年だったため、ラッセルのような若手は注目されなかった。また、当時はクラブの育成にも問題があったようで、ヘッドコーチのバイロン・スコットとの関係も悪化していた。
その後、ネッツに移籍したラッセルはヘッドコーチ、ケニー・アトキンソンの下で才能を開花し、オールスター選手にまで成長した。しかし、彼は指揮官だけが称賛されるのは不当な評価だと話す。「ケニーのおかげで成長できたわけではない。正直、彼が僕の才能を理解していたとは思わない。彼は第4クォーターで僕がどんなパフォーマンスができるか、分かっていなかったんだから」
そしてラッセルはフリーエージェントになるとウルブズなどの数チームから関心を寄せられたが、マックス契約をオファーしたウォリアーズと契約した。
「移籍先を探す中で『ウルブズへ行けばカール(アンソニー・タウンズ)や他の選手とプレーできる。肩の荷を下ろしリラックスしてプレーできるかもしれない』と考えた。でも、現時点で最大限の評価をしてくれるチームと契約すべきだと思ったんだ」
しかし、ラッセルはウォリアーズに上手くフィットせず、今年の2月にウルブズへトレードされた。そして、親友のカール・アンソニー・タウンズが「いつか一緒のチームでプレーしたい」と語っていたことが実現した。
才能がありながらチームを渡り歩いてきたラッセルだが、ようやく未来を託してくれる球団にたどり着き、トレード後に初めてミネソタの空港に降り立った際には、「ここが僕のいるべき場所だと感じた」と話した。
ウルブズ加入後は出場した12試合のすべてで先発を務め、平均21.7得点、4.6リバウンド、6.6アシストを記録している。シーズンは新型コロナウイルスの影響で中断しているが、もし再開した際には、今までの経験を糧に新天地で活躍するはずだ。