[引退インタビュー]『J-walk』仲西淳「試合会場で会った時には皆さん一人ひとりにお礼を言いたいので、来てください」

[引退インタビュー]『J-walk』仲西淳「試合会場で会った時には皆さん一人ひとりにお礼を言いたいので、来てください」

2017/08/26 16:00

取材=古後登志夫 写真=古後登志夫、佐々木啓次、Bリーグ

マイケル・ジョーダンにあこがれてバスケットボールを始め、中学を出るとアメリカに渡った少年は、『J-walk』として帰国。そして開幕したばかりのbjリーグを牽引する存在となった。その仲西淳は先日、12年のプロキャリアに幕を下ろした。

bjリーグでは優勝経験がなく、現役最後のシーズンに始まったBリーグでは1部でプレーする機会を得られないままの現役引退。それでも、『J-walk』を長年見てきたファンは、そのキャリアが魅力に満ちたものであることを知っている。長い現役生活を終え、通訳兼スキルコーチとしてのキャリアを踏み出したばかりの彼に、その半生を振り返ってもらった。

[引退インタビュー]『J-walk』仲西淳「バスケットに対しては悔いはないし、やれるだけのことは全部やったと思います」

ストリートをクロスする、道を渡るにかけて『J-Walk』

──果敢にアタックするプレースタイルがチームに覇気を与えていました。ただ、ケガをきっかけに持ち味が出せなくなり、あそこが一番苦しかったところかと思います。

膝をケガして、正直なところ一度は引退を考えました。8カ月もバスケをやれないことはなかったから、自分からバスケットを取り上げられた感じがして絶望しました。ACL(膝前十字靭帯)をケガした選手を何人も見てきて、復帰して頑張っている選手もいたから、そこに勇気をもらいました。「これもチャレンジだ」と自分に言い聞かせていましたね。「乗り越えよう」と。

復帰しても、最初は全然だったんです。自分はケガの前のイメージでプレーするんだけど、身体が付いて来ないから全然ダメで、試合にも使ってもらえず。そこですごく悩んでいたところで大阪エヴェッサから声がかかって。プレースタイルは変わっていたけど天日(謙作)さんのバスケにフィットして、それで自信を取り戻すことができました。大阪に移籍したタイミングはすごく良くて、そこでプレーの幅を広げて成長できたと思います。

──天日コーチの他にも大きな影響を受けたコーチはいましたか?

一人を挙げるのであればジョー・ブライアント(東京アパッチとライジング福岡/コービー・ブライアントの父)です。彼の話す言葉はNBA基準なんです。若かった頃は分からないこともありましたが、その後にキャリアを積めば積むほど、ジョーの言葉が理解できるようになった感じです。キャリアのいろんな場面で「今、ジョーだったらこう言うだろうな」と考えました。「プロは結果を残してナンボ」なんです。プロとしてどうあるべきか、その厳しさについて彼には教えてもらいました。

──仲西淳とは、どんな選手だったんでしょうか?

一言で表現するなら『J-Walk』ですね。そうやってニックネームで呼んでもらえる選手は少ないから。それは自分が残してきた証なのかなと思います。

──あらためて『J-Walk』の意味を教えてください。

アメリカにいた頃、オフシーズンになるとストリートのピックアップゲームに顔を出していたんです。そこで『J-Walk』の名前をもらいました。アメリカでは横断歩道のないところを渡ると警察に捕まって反則切符を切られるんです。その罰金の名前が『J-Walking』。ストリートバスケは目立ってナンボだし、そこで認められなきゃいけないので、クロスオーバーでガンガン抜いていたんです。ストリートをクロスする、道を渡るにかけて『J-Walk』なんです。

通訳とスキルコーチは別物ではなく、つながるものがある

──現役引退とともにバンビシャス奈良の通訳兼スキルコーチ就任のリリースがありました。

例年トレーニングでアメリカに行くんですが、今年はどちらかと言うと自分を振り返るというか、原点を見つめ直すために2週間ぐらいアメリカにいました。日本に帰る前夜にオファーの連絡をもらったんです。その時すぐに受けようとは思わなかったのですが、話を聞きたいということで帰国してから会って。興味はあったのですが、自分の気持ちが整理できていなかったので、一度断りました。

そこで「自分のやりたいことは何だろう」とか考えていたら、30分後にまた電話があって再オファーをもらったんです。そこにすごい熱意を感じて。自分はやっぱり気持ちで対話する男なんです。その気持ちがうれしくて、それで考えた時に今度は「この機会がいろんな道への扉になる」と思いました。

──通訳兼スキルコーチという肩書きです。スキルコーチはともかく、通訳はセカンドキャリアの選択肢として頭にありましたか?

バスケットボールじゃなくても、英語を使う仕事には就きたいとは思っていました。バスケ目当てでアメリカに行きましたが、語学は自分が成長できた一つの大きな要素だから。アメリカに送り出してもらって語学を身に着けて、それを使わない手はないと考えていました。

通訳とスキルコーチの両方をやれるのは自分の個性だと思うし、どちらかに絞るつもりも今はありません。人生はきっかけで枝分かれして変わっていくものだし、いろんなものを持っておきたいから。通訳とスキルコーチは別物ではなく、つながるものがあります。英語ができれば外国籍選手にもアプローチできるし、アメリカにコーチの勉強に行けば英語が使える。自分の中でその2つは違うものじゃないんです。

これからも『J-Walk』であり続けたいと思います

──今回こうして現役を引退して、セカンドキャリアをスタートさせたわけですが、これから引退していく選手に対して助言をするなら?

偉そうに語れる立場ではありませんが、これは誰もが通る道で、気持ちの切り替えが一番難しいところだと思います。みんな「未練はないです」って言うけど、小さい頃からずっとバスケをやり続けて、夢を持ってプロ選手になったわけです。それが引退してしまえば、次の日からそうじゃなくなる。

やっぱり心の中で思うことはいろいろありますよ。ただ、悩めばいいんです。それが自然だから。それを乗り越えたら人としてまた成長できるし、覚悟を持って取り組むことができる何かが見つかった時に、それをやればいいんです。

──では、これまで応援してくれたファンに向けてメッセージをお願いします。

選手ではなくなったんですけど、バスケットボールには今後もかかわっていきますし、もちろん試合会場でも見かけると思います。バンビシャス奈良での自分も応援してほしいし、これからも『J-Walk』であり続けたいと思います。それをずっと見届けてもらえたらなと思います。

自分がプロキャリアを12年間も続けられてこれたのは、間違いなくブースターのみなさんの応援があったからです。ケガした時も病院に励ましに来てくれたり、千羽鶴を折ってくれたり手紙をくれたり。その時だけじゃなく、12年間ずっとサポートしてもらいました。アウェーの試合に来るのにお金も時間もかかります。そういうのも全部、心から感謝しています。ファンの皆さんがいたからこそ、自分はプロのステージでバスケットをやってくることができました。

だから、試合会場で会った時には皆さん一人ひとりにお礼を言いたいので、声を掛けてください。現役選手の時と変わらず試合に集中しているとは思いますが、そこまで険しい表情はしていないと思います。今までよりずっと柔らかい雰囲気になっていると思います。

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