文=泉誠一 写真=(C)NBA

ブラッドリーの体を作ったのは2人の日本人だった

フロリダ大学時代は吉田修久氏が、ウィザーズでは佐藤晃一氏が、それぞれストレングスコーチやトレーナーとして若いブラッドリー・ビールの体作りにかかわっている。もちろんブラッドリーも2人のことはよく覚えていた。

「2人はとても似ていて、スマートであり、ユニークなんだ。でも、2人とも僕にはすごく厳しかった(笑)。いつもレベルアップを求めてきたよ。体を強くすることに対して彼らが真剣に取り組んでくれたことは今でも本当に感謝している」

吉田氏はその後、スパーズのストレングス&コンディショニングコーチ、またアースフレンズ東京Zのアスレティック・パフォーマンス アドバイザーとして活躍。佐藤氏は現在、ティンバーウルブスのスポーツパフォーマンス・ディレクターを務めている。

佐藤氏がウィザーズで働いていた最後の年に、ルーキーとしてやって来たのがブラッドリーだった。NBAで戦う体作りをする1年目は、相当ハードに追い込まれていたようだ。翌年、ティンバーウルブスに移籍した佐藤さんが、ロードでウィザーズに戻って来た時にロッカールームに顔を出すと、「もう向こうのチームだろ。あっちに行けよ(笑)」と悪態をついたそうだ。もちろん半分ジョークであり、「感謝している」と言う言葉どおり、その後も交流は続いており、今回の来日でも再会を果たしている。

ファンの皆さんが大きな力になっている

1996-97シーズン、ウィザーズはキャバリアーズと最後まで8番目のプレーオフスポットを争い、最終戦で勝利してプレーオフ進出を決めた。その時から勝手にキャバリアーズをライバル視し、嫌いになったと正直に話したところ、「僕もそんなに好きじゃないよ」とブラッドリーは同調してくれた。

「キャバリアーズに対してのライバル意識は、僕も持ってるよ。特にギルバート・アリーナスがウィザーズにいて、レブロン・ジェームスがキャバリアーズにいる時代も良いライバル関係だったよね」

ギルバート・アリーナスやアントワン・ジェイミソンらが主役を演じた2004-05シーズン、ウィザーズは8シーズンぶりにプレーオフ進出を果たした。しかし翌2005-06から3シーズン連続、ファーストラウンドで対戦し、いずれも敗れている。やっぱり遺恨があるキャバリアーズであり、この気持ちをブラッドリーと共有できたのはうれしかった。今シーズンもカンファレンスファイナルに進んでいるライバルは、やはり倒さねばならない存在なのだ。

最後にブラッドリーは来シーズンの優勝を誓ってくれた。「チャンピオンを目標にするのは間違いない。難しいことだけど、全身全霊を注ぎ込んで戦うよ」

「日本のファンには本当に感謝している。日本を始め、僕が行ったこともない国や会ったこともない人たちが声援を送ってくれたり、憧れの対象としてくれているのは、選手として一つの原動力にもなっているんだ。みんなの模範となる行動をしたい。まだ22歳と若いけど、それでも自分に対していろんなアドバイスを求める人も多いので、その思いに応えたいと常に思っているよ。ファンの皆さんが大きな力になっていることは間違いない」

来シーズンこそ、1977-78シーズン以来となるNBAチャンピオンになることを大いに期待している。そのためにもワシントンDCに住むファンだけではなく、ワールドワイドなNBAなのだから、日本からだって応援しようではないか!

現在、「NBAに一番近い日本人選手」と言われる渡邊雄太が、同じワシントンDCにあるジョージ・ワシントン大学で活躍中だ。日本のバスケファンには是非、ワシントンDCまで行って、渡邊のプレーを現地で見ていただきたい。そのついでにウィザーズを応援することだってできる。その逆も然りだ。

ジョージ・ワシントン大学の本拠地チャールズ・E・スミスセンターからベライゾンセンターまではメトロで20分程度。ホワイトハウスを挟んで、歩いても35分程度とほど近い位置にある。

インタビューの翌日、NBAパブリック・ビューイング・パーティーにも足を運んだ。西カンファレンス決勝のウォリアーズvsサンダー戦を大画面で観戦するとあって、青や黄色のウェアが多い。しかし、その中に赤いウィザーズのジャージーやTシャツを着ているファンもしっかりいた。イベントのクライマックスにはブラッドリーの直筆サイン入りジャージーのプレゼント。興奮にもゲットした方が、ジョンと同じ2番ながらご自身の名前を入れたオリジナルのウィザーズジャージーを着る筋金入りの女性ファンだった。献身的な愛は報われる──そう感じた瞬間でもあった。

今回の来日で身近になったブラッドリーをきっかけにウィザーズファンとなって、一つのチームを愛し続ける楽しさを共有できれば幸いである。GO WIZARDS!!

WOWOWの番組に出演したり、ファンと交流したりと、ビールの初来日は慌ただしくも充実したものとなった。