『バスケット・グラフィティ』は、今バスケットボールを頑張っている若い選手たちに向けて、トップレベルの選手たちが部活生時代の思い出を語るインタビュー連載。華やかな舞台で活躍するプロ選手にも、かつては知られざる努力を積み重ねる部活生時代があった。当時の努力やバスケに打ち込んだ気持ち、上達のコツを知ることは、きっと今のバスケットボール・プレーヤーにもプラスになるはずだ。
1989年9月8日生まれ、大阪府出身のシューティングガード。精度の高い3ポイントシュートを得意とし、なおかつ抜群の勝負強さを備えるクラッチプレーヤーとして、昨シーズンのNBLファイナルではMVPに輝いた。日本代表でも主力として活躍、Bリーグの『顔』の一人でもある。今シーズンはドライブやパスに磨きをかけ、さらなるレベルアップに余念がない。
兄がいなかったら、バスケットはやっていなかったかも
バスケットを始めたのは4歳年上の兄の影響です。最初はソフトボールとバスケの両方をやっていて、どちらも好きでした。ソフトボールは幼稚園の年中から始めたので、そちらも楽しかったんです。ソフトボールとバスケットボールを比べて、どちらが好きかなんて考えることもなく、どちらも楽しくやっていました。家から学校までバスケットボールをついて通ったりしていましたよ。とは言っても、小学校は家の目の前だったんですけど(笑)。
当時はプロ野球選手になるのが夢だったんです。子供の頃は近鉄バファローズの藤井寺球場が家のすぐ近くだったので、家族でよく試合を見に行きました。僕が小さい頃は野茂(英雄)選手とか(ラルフ)ブライアント選手がいて、小学校高学年の頃は(タフィ)ローズがいました。プロ野球の試合は毎晩のように見ていましたし、ソフトボールの試合を優先してバスケットの練習を休むこともありました。プロバスケットボール選手になるという夢は、その頃にはなかったですね。
そんな僕がバスケットに本格的に取り組むようになったのは小学校5年生の時です。それも兄の影響でした。兄が中学校でバスケ部にいて、その試合をよく見に行っていたんです。兄の遠征先まで父と一緒に応援に行ったり。能代カップも見に行きました。それで自分もバスケをやろうと。小6の時には「中学に行ったらバスケをやる」と決めていました。
兄も結構高いレベルでバスケをやっていたんです。大阪の東住吉工業高校(現・大阪府立東住吉総合高校)に進んで、京都ハンナリーズで今プレーしている佐藤託矢さんが3年生の時に、兄が1年生でした。その時はウインターカップで3位ですから、かなり強かったんです。
だから兄がいなかったら、バスケットはやっていなかったかもしれません。今はさすがに兄に憧れてくっついていくことはないですけど、でも今も兄は知識がすごくて、僕のプレーを見て「もっとこうしたほうがいいんちゃう?」みたいなことは言われますね。
「大阪で優勝したい」というモチベーションに燃えて
中学になってバスケ一本に専念するようになったのですが、別に強豪校に行ったわけではありません。普通の公立中学校で、そのメンバーの中では僕はうまいほうでした。兄の影響で小学校の休み時間にバスケをやっていて、その仲間を僕がバスケ部に誘ったんです。みんな素人の子たちだったので、多少ではあっても経験のあった僕が上手でした。
特にスポーツに力を入れているわけでもない学校だったので、朝練習もなかったのですが、そこを無理にお願いしました。顧問も理解のある先生で、1時間ぐらい前から体育館を開けてくださって朝練をやって、夕方に2時間ぐらい練習をして。外部コーチも呼んでくれました。テスト期間中は練習をしてはいけないルールだったんですが、そこも無理を言って1時間だけ自主練習をさせてもらったり。その頃からかなり熱を入れて練習していましたね。
なんでそれだけ真剣に取り組んだかと言うと、単純に勝ちたかったからです。メンバーの共通の目標が「大阪で優勝したい」だったんです。それに向けたモチベーションは全員すごかったです。
ただ、土曜日や日曜日まで丸一日バスケをするわけじゃないので、それなりに遊んでもいました。女の子とデートしたいとかはなかったですが、ゲームを買って友達と遊んだり。土日は朝に練習をやったら友達の家に何人かで行ってゲームをしたりしていました。その友達というのもバスケ部のメンバーなんですけど。
ゲームしたいからバスケをサボるなんてことは、あのメンバーの中では全くなかったですね。親も親で理解があると言うか、子供の意思を尊重して、いろいろサポートしてくれました。僕たちもバスケをやりたいから勉強はやらない、なんてタイプではなかったので。みんなほぼ、クラスでトップ10ぐらいの成績を取っていました。僕もすごく賢かったんです。テストでは平均90点ぐらい取っていましたよ。
そのメンバーからして、僕は仲間に恵まれたと思います。今は僕に家族ができたので、そう簡単には帰れなくなりましたが、それまでは大阪に帰るたびに集まって出迎えてくれたりしていました。これからもずっとこの仲間との関係は続くと思っています。
バスケット・グラフィティ/辻直人
vol.1「兄を追い、仲間に恵まれてバスケにのめり込む」
vol.2「スランプは乗り越えるのではなく『我慢』する」
vol.3「シュートフォームは自分で考えながら見つける」