フードデリバリーのアルバイトからレイカーズの選手へ
レイカーズは敗戦の淵にいた。11月2日のペリカンズ戦、残り33秒にザイオン・ウイリアムソンの2本のフリースローで108-109と逆転を許し、レブロン・ジェームズがターンアラウンドから放ったジャンプシュートがリングに弾かれると、速攻に転じたラリー・ナンスJr.にダンクを決められて3点差に。タイムアウトを挟んでロニー・ウォーカー四世のコーナースリーのチャンスを作ったが、このシュートも決まらない。会場にいたレイカーズファンの大部分が「負けた」と思ったはずだ。
残り1.6秒からのファウルゲームで相手がフロースローを2本落としても、レイカーズが崖っぷちであることに変わりはなかった。サイドラインからのリスタート、3ポイントシュートしかない中で選択肢は限られていた。直前に外してはいたものの3ポイントシュートを8本中4本を決めていたウォーカーか、6本打ってすべて外していてもやはりレブロンか──。
ここで、レイカーズが選んだのは、逆サイドのコーナーに走る『伏兵』マット・ライアンだった。アンソニー・デイビスがスクリーンを掛けて、彼がフリーになった瞬間にオースティン・リーブスからのパスが届く。ディフェンスも迫っていたが迷わず打ち切ったシュートは、リングの中央を射抜いた。
土壇場で追い付かれたペリカンズはオーバータイムに盛り返すことができず、レイカーズが120-117で勝利した。
オーバータイムの出場はなかったものの、この試合で18分プレーして11得点を挙げ、第4クォーターの勝負どころでラッセル・ウェストブルックを差し置いてコートに立ったマット・ライアンとはどんな選手なのだろうか。
現在25歳の彼がここにたどり着くまでの道は困難を極めた。学年で言えばベン・シモンズが1位指名された2016年のNBAドラフト組だが、大学で3つのチームを渡り歩いて4年生までプレーした彼がエントリーしたのは2020年のNBAドラフトで、しかも指名は受けられなかった。
大学でのスタッツに突出したものはなく、NBA選手になれる保証は何もなかったが、ライアンはバスケで得た大学卒業資格を使って就職するのではなく、バスケの世界にしがみつくことを選んだ。地元のニューヨークで庭師の仕事をしながら、収入を補うためにフードデリバリーのアルバイトをする日々。優先するのはバスケだが、おりしも新型コロナウイルスのパンデミックの真っ只中で、ワークアウトの機会を得ることすら難しかった。
そんな彼に訪れたチャンスは2021年のサマーリーグで、キャバリアーズの一員としてプレー。ここで4試合で平均26.5得点、3ポイントシュート成功率48%というスタッツを残して、NBAへの扉をこじ開けた。ナゲッツ傘下のGリーグチームでプレーした後、セルティックスで2ウェイ契約を得て今年4月のNBAデビューに至ったが、出場は1試合のみ。そして今夏、プレシーズンでまずまずのプレーを見せたことに加え、とにかくチームにシューターが足りないレイカーズの台所事情からチャンスを得た。
ペリカンズ戦のハーフタイム、ライアンは前半に6本の3ポイントシュートを放ち、5本を落としていたが、指揮官ダービン・ハムに「後半も6本打たせてくれたら、5本は決める」と宣言したそうだ。ハムは「よし、君を信頼しよう。だけどシュートが入らなかったら外すぞ」と答えたという。ハムが最後のチャンスを彼に託したのは、その姿勢に感じるものがあったからだろう。
サイドラインからパスを送ったリーブスは「あのプレーは100万回練習したけど、成功したのは多分1回だけかな」と笑顔で振り返る。「AD(デイビス)が良いスクリーンを作ったので『投げるしかない』って感じだった」
そのライアンは、初めてロッカールームで記者に囲まれて「まるでレブロンみたいだ」と素直に喜び、「ADのバックスクリーンとオースティンからのパスは完璧で、3ポイントラインを踏んでいなくて良かった」と語る。
「3ポイントシュートには自信があるんだ。そうでなかったら僕はここにはいない。だから、それまであまり決まっていなかったとしても落ち着いて打つことができる。1試合に15本もシュートを打ちたいと要求できるような選手じゃないけど、機会を得た時にはベストを尽くす。その僕に最後にもう1本打つ機会を与えてくれたコーチに感謝しているよ」
「アスリートにとって、コーチやチームメートに信頼されること以上にうれしいことはない。僕はこのチームに来た日からベストの自分を出そうと努力してきて、それを見ていてくれた。これからも毎日、周囲に良い影響を与えられる存在でいたい。できることなら、今日のような活躍をまだまだ続けたいね」
今シーズンのレイカーズは開幕から苦戦続きで、1勝を挙げるのに四苦八苦しているが、NBAのコートに立つために何年も努力し続けてきたライアンにとっては大した問題ではないのだろう。彼はまだNBAで自分の地位を築いたわけではなく、その努力は今後も続けていかなければならないが、少なくとも大きなリュックにピザやハンバーガーを積んでニューヨークの街を自転車で走り回ることはもうない。