変革の京都ハンナリーズを率いる31歳の若き新社長、松島鴻太(前編)「人生で最大のチャレンジが来た」

変革の京都ハンナリーズを率いる31歳の若き新社長、松島鴻太(前編)「人生で最大のチャレンジが来た」

2022/08/10 12:00
松島鴻太

2026年にスタートする新B1に入るためにも今、Bリーグでは少なくないチームが経営体制の変更など積極的に動いている。京都ハンナリーズもその内の1つで、7月1日から自動車の正規ディーラー業を中心とする株式会社マツシマホールディングス、ホテルや駐輪場の建設、運営を手掛ける株式会社アーキエムズによる共同経営体制に変わり、マツシマホールディングスの常務取締役を務めていた松島鴻太氏が新社長に就任している。自身もラグビー選手として東海大仰星高校、東海大、トップリーグのコカ・コーラレッドスパークスでプレーと素晴らしい経歴を持つ31歳の若きリーダーに、京都をどのように進化させていきたいかを聞いた。

「経営陣が一新された今シーズンは第二創業の初年度に」

――まず、新社長への打診を受けた時の率直な気持ちを教えてください。

マツシマホールディングスの中で、スポーツ経験などのいろいろな要素を考えると自分に社長の話が来るかもしれない、という思いは持っていました。それでも実際に打診が来た時は驚きもありましたし、プレッシャーも相当感じました。ただ、これは人生で最大のチャレンジをする時が来たという気持ちになりました。スケールは違いますが、高校で日本一のチームに入学した時の気持ちを思い出し、乗り越えるべき高い壁が待ち構えていますが自分ならできる、やってやろうという高揚感がすぐに来ました。もちろん今までのチームの歴史に敬意を持った上でですが、経営陣が一新されたことで今シーズンは我々が新たな歴史を積み上げていかないといけない、第二創業の初年度にあたると思っています。

──社長就任前、京都とはどのような関わりがありましたか。

これまでマツシマホールディングスは京都のパートナーとして関わっていて、自分は担当する部署の長をしていたのでハンナリーズの営業担当の方と、冠ゲームについてのやりとりなどをしていました。当時はパートナーとしての目線で、面白いチームですがポテンシャルを発揮し切れていない。もったいないなというイメージをずっと持っていました。

──2社による共同経営について、どのように考えていますか

マツシマホールディングスは約70年の歴史がある企業ですが、我々の力というのは限られています。アーキエムズ様という素晴らしい企業と一緒になって新しいチャレンジができることはプラスでしかないと思っています、実際、両社から出向の形で5名ずつくらい人員を補強していますが、皆さん優秀で情熱のある方たちで心強いです。そして意思決定については、私が現場で判断を下せる体制となっていますので、マイナスの要素はなく本当に良い形でスタートが切れています。

松島鴻太

「フロント側に理解者がいることは選手にとって大きな安心材料になる」

──松島社長はラグビー選手として活躍されていました。東海大仰星高校でキャプテン、東海大で副キャプテンと、ともに日本を代表する強豪校でリーダーになっていて、エリート街道を歩んできたと思います。

まず、最初に言わせていただきたいのですが、自分は全くエリートではないです。ラグビーを始めたきっかけですが、小学校の時はずっと野球をやっていて、それが5つ年上でマツシマホールディングスの社長である兄が中学校からラグビーを始め、それを見ているうちに自分もやりたくなって中学校に入ってから始めました。

──そこから東海大仰星という日本屈指の強豪校に入った経緯を教えてください。

中学校では同志社でキャプテンを務め、京都代表に入ったりしていました。同志社中学の生徒は99.99%、そのまま同志社高校に進学していて、当時は僕が初めて中学から高校に行かない人間だったかもと言われていました。その中で東海大仰星に進んだのは声をかけてもらったことに加え、僕が入学する前の年に日本一になったチームでチャレンジしたい思いが強かったからです。そして父がすごく背中を押してくれたこともあって、自分から飛び込んでいきました。ただ、正直に言うと高校での最初の練習で「来るところ間違えたかも」と思いました(笑)。全国から優れた選手が集まる中で、周囲のレベルについていけずに最初は苦しい思いを味わいました。ただ、このままで終わったら、せっかく挑戦させてくれた両親の気持ちも踏みにじることになるとすごく感じました。

だからこそ誰よりも努力しようと、朝一番に学校に行って夜も最後まで残って練習する。本気でひたすらラグビーのことだけを考えてやった結果、全く試合には出ていなかったのに3年生になったらキャプテンに選んでもらえました。当時、僕が入学してから2年連続で冬の全国大会で初戦敗退と地獄を見ていたのでこのままではいけないと、キャプテンとしてもう一度チームの文化を叩き直そうと思いました。クールにプレーするのではなく、泥臭く感情を直球で出して戦って『ワンチーム』になることを目指しました。その結果、全国大会では優勝した東福岡に負けましたがベスト8に辿り着けました。この結果は今でも誇りに思っていますし、仲間に感謝しています。同志社から出てチャレンジして本当に良かったですし、高校時代の経験は自分の財産になっています。このように僕は最初から試合に出て活躍しているようなエリートコースを進んでいる訳ではなく、底辺を見ています。だからこそいろいろな人の目線を分かることもできると思っています。

──その後は東海大に進み副キャプテンとして活躍されました。

大学では、高校の時とは違う苦労がありました。大学生になると高校に比べるとある程度は自由が生まれます。そこでチームをまとめていく際、今となっては僕も尖っていて高校の時の成功体験にこだわりすぎていたとわかりますが、柔軟性に欠けていた部分がありました。そういった反省すべき点など、いろいろな経験は今、すごく生きています。また、大学ではナンバー2として、自分がどんどん前に行くことなく結果を出していくにはどうすべきかを学べたのも大きかったです。

──東海大はバスケットボール界を代表する強豪です。大学時代、バスケ部の選手たちと繋がりはありましたか。そしてバスケ部の監督である陸川章先生の授業は受けていましたか。

陸川先生の授業は受けていました、すごく人間性の部分を大事にされている方で、だから東海大のバスケ部が強いんだと思っていました。その人柄についての印象が強く残っています。バスケ部は同級生に藤永(佳昭)選手(アルバルク東京)や晴山(ケビン)選手(富山グラウジーズ)、後輩にはベンドラメ(礼生)選手(サンロッカーズ渋谷)、中山(拓哉)選手(秋田ノーザンハピネッツ)がいました。同じ学科で同級生の2人とは同じ授業をたくさん受けていました。早く会場で会って声をかけたいですね。

──自分自身がトップアスリートであったことは、選手とコミュニケーションを取る上で利点になると思いますか。

完全に強みだと思っています。競技は違いますがアスリートの経験を持っていますので、選手たちがどういう目線で物事を見たり、考えているのか想像できるのは自分にとって大きな武器になります。もちろんバスケットボールについて何か言うことはないですが、チームスポーツの在り方であり、どうやってチーム作りをしていくのかの部分は、ラグビーと一緒だと思います。アスリートに対して刺さる行動、言葉については理解しているつもりですし、自分のこれまでの経験は生かせる。選手にとって経営者やフロント側に、自分たちと同じ目線を持っている理解者がいることは大きな安心材料になると思います、そういったコミュニケーションに関して、選手とフロント側の一体感であり、絆を強くしてくことに挑戦していきます。

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