文=小永吉陽子 写真=三上太

「今年の安藤はやる」。誰より躍動した開幕戦で見えた期待感

センセーショナルな活躍だった。優勝候補にも挙げられる栃木ブレックスとの開幕戦で勝利の立役者となったのは、この夏、その栃木から秋田ノーザンハピネッツに移籍した24歳の安藤誓哉だった。

33分出場、3ポイントシュート3/3本(100%)を含む18得点、4アシストの活躍。司令塔として試合を支配したという点では、古巣の先輩ガード、田臥勇太や渡邉裕規よりも目立っていた。特に際立ったのが、スペースを広く使った展開を引き出したゲームメーク。コーナーをうまく使ってシューターに打たせ、自らスペースを作っては1対1を仕掛けてディフェンスを揺さぶった。栃木で3番手ガードだったことを思えば、大いなる成長を見せたと言っていいだろう。

「開幕戦が栃木と決まった時から、この試合をイメージして練習してきました。bjのチームはフィジカルが弱いと言われているけど、同じ日本でプレーしているのにそんなのは関係ないって思っていました。それを見せるためにも、アグレッシブなプレーで勝ててよかったです」

イキイキとゲームを支配した姿は秋田と栃木の両ファンを驚かせたが、一昨シーズンにカナダとフィリピンのプロリーグを渡り歩き、強気な姿勢でスタメンを勝ち取った活躍を思えば、ここまでやれたことは不思議ではない。ただようやく、日本でその姿を見せることができたのだ。

栃木のトーマス・ウィスマンヘッドコーチ(以下HC)は昨夏にマニラに出向いて安藤のゲームを観戦している。フィリピンの後に挑戦したDリーグ(NBA Development League)でドラフト指名されなかったことで、熱心に誘ってきたのが栃木だった。しかし12月からの途中入団で、すでにチームスタイルが出来上がっていた中に入っていくことは、司令塔というポジション上、難しいことだった。海外で少しばかり自信を得て帰国したものの、キャリアのない若者にとっては、ひたすら忍耐と勉強の年になった。

「栃木での半年を後悔したことはないです。試合に出られなかったのは初めてのことで、そういう気持ちを味わってどう行動すべきか見えたし、尊敬する田臥さんと練習できたことや短いプレータイムで結果を出すことを学べたのは良い経験になりました。秋田で試合に出ることで栃木に恩返しができ、プライドを見せることができたと思います」

カナダとフィリピン、自分で切り拓いたプロリーグの道

Bリーグに出てきた面白いガード。安藤誓哉の歩んできた経歴は異色である。

勝負強さを鍛えられたのは明成高時代。スコアラーとして、時にはゲームメークもするガードとして、高2で明成のウインターカップ初優勝に貢献し、高3のインターハイでは準優勝。そのインターハイ県予選の決勝では、フリースローを14本連続で決めてライバル東北学院との延長を制した逸話を持つ。

U-18代表として出場したアジア選手権では平均23.4点を叩き出し、この頃から海外の同世代の動向が気になり始めた。とはいえ、明治大への入学後はポイントガードにコンバートしたことと、2年時には下級生ながらキャプテンに任命されたことで重責を担う日々。大学3年でインカレで準優勝し、大学生活があと1年と迫ったところで進路選択の岐路に立たされた。

「NBAでプレーすること、日本代表で活躍すること」。これは高校時代から変わらぬ夢である。大学3年の夏休みにはロサンジェルスへワークアウトに出向いており、海外挑戦の情報収集は始めていた。「1年でも早く海外に出て、強い環境で揉まれたい」という思いは膨らむばかり。卒業に必要な単位を取得できる目途も立ったことで、4年生の5月に行われた李相佰杯(日韓学生選抜)と関東トーナメント後にはバスケ部を退部する異例の決断を下した。

そうしてつかんだのが、エージェントを介して参戦したアメリカのドリューリーグ(独立リーグ)であり、そこでの活躍によって開けたのがNBLカナダへの入団ルートだった。カナダのハリファックス・レインメンでは、ジョゼップ・クラロスHCから「戦術を遂行する力がある」と評価されてスタメンに抜擢。ファイナルに進出してオール・ルーキーチームにも選出された。

カナダでの活躍は、アジア人枠で人材を探していたフィリピンに届いた。フィリピンには年に3回のリーグ戦があるが、シーズン最後に行われる「ガバナーズカップ」には193㎝以下のアジア人枠があり、その枠で安藤は入団。約2カ月という短い期間ながらも合流してすぐにスタメンに抜擢され、プレーオフを経験した。

カナダもフィリピンも、「血を流しながらやっている感じがした」と言うほど、荒々しいフィジカルのぶつかり合いがあるリーグ。そんな異国の地で、東洋からやってきた無名の若者が買われた要因はシュート力にある。ポイントガードとして攻めるべきところで躊躇なく得点を取りにいく持ち味は海外でも通用していた。

そして実際にフィリピンで取材して感じたことだが、安藤には学生時代から変わらぬ、生真面目に練習に臨む姿勢があり、かつ、不必要だと判断されればいつでも首を切られてしまう世界に身を置くハングリーさもほとばしらせていた。サラリーのことで切実な話をすれば、Dリーグに挑戦して生きていくための資金を1年で稼がなければならない切迫感も安藤にはあった。栃木時代に至らない点があったとすれば、そうした競争心だったのかもしれない。今の安藤には、そのエネルギーに満ち溢れんばかりのギラギラとした野望さえ感じる。今シーズンの躍進を大いに期待したい選手なのだ。

「海外でプレーしたいし、東京オリンピックにも出たい。そこはブレない自分の目標です。でも今一番に思うのは、自分を必要としてくれる秋田を勝たせたい。そうすることが海外挑戦にも、日本代表にも通じると思うので、目の前の試合に全力で取り組むだけです」

「もっと強気でやってもらわないと」と長谷川ヘッドコーチ

かつて、松下電器時代に新人王とMVPを同時に受賞し、日本代表のポイントガードとして世界選手権に出た秋田の長谷川誠HCは、「どうしても獲得したかった」という安藤を正司令塔にした今、「誓哉には自由にやらせている。悪いプレーをどんどんやってもらったほうが次につながるから」と寛大な姿勢で育てている。そんな中で自身の経験を伝えていくことで「安藤誓哉にしかできないガードになってほしい」と成長を望んでいる。

アグレッシブなガードという点では、長谷川HC自身の現役時代と似ているところがある。そのことを告げると「まだまだでしょう」との評価が即答で返ってきた。「では足りないところは?」と聞くとこれまた即答で「もっと強気にやってもらわないと」と笑みを見せた。

それは、安藤の目標である日本代表の司令塔とは、今以上に強気で、もっと経験を積まなければ戦えないポジションであることを告げているようであり、期待の表れ。この師弟関係も注目していきたい秋田の見どころだろう。

開幕戦で注目されたことで、今後はマークが厳しくなっていくことは確実。それをも楽しみにしているという24歳の司令塔は、今はひたすら向上心を持って突き進むだけだ。